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紫式部 源氏物語の引歌 万葉集部

 源氏物語は一条天皇の中宮彰子のサロンで紫式部が周囲に見せた時から非常に評判の作品で、一番の熱心な読者は藤原道長だった紫式部日記などから推測が出来ます。この状況にあって、当時の教養人たちで読み回す前提で作品が創られている関係で、和歌に先行する作品を示唆する詞をつかって歌の世界を広げる本歌取(盗古歌)と言う技法がありますが、源氏物語では文章にも和歌に先行する作品を示唆する詞をつかって文章が示す世界を広げています。これを源氏物語の引歌技法と称します。今回は、この引歌技法に注目して資料を提供します。
 ただし、本資料は源氏物語に万葉集から引用されたとされる引歌の元歌を紹介するものです。そのため、古今和歌集などの万葉集以外から引用されたものは、私の守備範囲の外ですので扱っていません。なお、本資料作成に使った参照先は、文末「説明」に載せています。
 なお、資料紹介は、次のようなもので構成されています。
  源氏物語の帖番号と題名
  引歌を行ったと思える文節
  万葉集の巻番号と歌番号及び作歌者
  原文
  標準的な読み下し:読下
  弊ブログでの私的な訓読:私訓
  弊ブログでの私的な意訳:私訳
  源氏物語引歌解説で指摘する他の歌集

1.
源氏物語 第二帖 帚木
引歌文 あるまじき我が頼みにて見直したまふ後瀬をも、思ひたまへ慰めましを、
万葉集巻四 集歌737 大伴坂上大嬢
原文 云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将念君
読下 かにかくにひとはいふともわかさぢのあとせのやまのゆりももはむきみ
私訓 かにかくに人は云ふとも若狭道の後瀬(あとせ)の山の後(ゆり)も念(も)はむ君
私訳 あれやこれやと人は噂を云っても、若狭への道にある後瀬の山の名のように、貴方との逢瀬の後もお慕いします。愛しい貴方。

2.
源氏物語 第三帖 空蝉
引歌文 紀伊守国に下りなどして、女どちのどやかなる夕闇の道たどたどしげなる紛れに、
万葉集巻四 集歌709 豊前國娘子大宅女
原文 夕闇者 路多豆頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見
読下 ゆふやみはみちたづとほしつきまちていませわがせこそのまにもみむ
私訓 夕闇は路たづとほし月待ちて行ませ吾が背子その間(ほ)にも見む
私訳 夕闇は道が薄暗くておぼつかなく不安です。月が出るのを待って帰って行きなさい。私の愛しい貴方。その月が出る間も貴方と一緒にいられる。
六帖 夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわが背子その間にも見む(第一帖-371)

3.
源氏物語 四帖 夕顔
引歌文 あさけの姿は、げに、人のめできこえんもことわりなる御さまなりけり。
万葉集巻十二 集歌2841 人麻呂歌集
原文 我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
読下 わがせこのあさけのすがたよくみずてけふのあひたをこひくらすかも
私訓 我が背子の朝明の姿よく見ずて今日の間の恋ひ暮らすかも
私訳 私の貴方がまだ薄暗い朝明けの中を帰っていく姿をはっきりと見ないまま、おぼつかなく、今日の一日を恋しく暮らすのでしょうか。

4.
源氏物語 四帖 夕顔
引歌文 まだ知らぬことなる御旅寝に、息長川と契り給ふことよりほかのことなし。
万葉集巻二十 集歌4458 馬史國人
原文 尓保杼里乃 於吉奈我河波半 多延奴等母 伎美尓可多良武 己等都奇米也母
読下 にほとりのおきなかかははたえぬともきみにかたらせことつきめやも
私訓 にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ辞(こと)尽きめやも
私訳 にほ鳥の息継ぎが長い、その言葉のような、息長川は水が絶えたとしても、貴方にお話しする物語は尽きません。

5.
源氏物語 四帖 夕顔
引歌文 泣く泣くも、今日はわが結ふ下紐を、いづれの世にか解けて見るべき、逢ふまでの形見ばかりと
万葉集巻十二 集歌2919 無名
原文 二為而 結之紐乎 一為而 吾者解不見 直相及者
読下 ふたりしてむすひしひもをひとりしてわれはときみしたたにあふまては
私訓 ふたりして結びし紐をひとりして吾は解きみじ直に逢ふまでは
私訳 二人して結んだ下着の紐を、私一人だけでは解きません。直接に逢うまでは。

6.
源氏物語 第六帖 末摘花
引歌文 故宮おはしましし世を、などてからしと思ひけむ。かく頼みなくても過ぐるものなりけりとて、飛び立ちぬべくふるふもあり。
万葉集巻五 集歌893 山上憶良
原文 世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
読下 よのなかをうしとやさしとおもへともとひたちかねつとりにしあらねば
私訓 世間(よのなか)を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
私訳 この世の中を辛いことや気恥ずかしいことばかりと思っていても、この世から飛び去ることが出来ない。私はまだ死者の魂と云う千鳥のような鳥ではないので。

7.
源氏物語 第七帖 紅葉賀
引歌文 まだかかるものをこそ思ひはべらね。 今さらなる身の恥になむとて、
万葉集巻四 集歌563 大伴坂上郎女
原文 黒髪二 白髪交 至耆 如是有戀庭 未相尓
読下 くろかみにしらかまちりをゆるまてかかるこひにはいまたあはなくに
私訓 黒髪に白髪交り老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに
私訳 黒髪に白い髪が交じり老いるまで、このような恋にはまだ出会ったことがないのに。

8.
源氏物語 九帖 葵
引歌文 にひたまくらの心苦しくて、夜をや隔てむと思しわづらはるればいともの憂く惱ましげにのみもてなしたまひて
万葉集巻十一 集歌2542 無名
原文 若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
読下 わかくさのにひたまくらをまきそめてよをやへたてむにくくあらなくに
私訓 若草の新(にひ)手枕(たまくら)を枕(ま)き始(そ)めて夜をや隔てむ憎くあらなくに
私訳 若草のような初々しい貴女と手枕での共寝を始めた、そんな夜の訪れに間を置くでしょうか。嫌いでもないのに。
六帖 若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎からなくに(第五帖-2749)

9.
源氏物語 九帖 葵
引歌文 年ごろ思ひきこえし本意なく、なれはまさらぬ御けしきの心憂きことと怨みきこえたまふほどに、
万葉集巻十二 集歌3048 無名
原文 御猟為 鴈羽之小野之 柏 奈礼波不益 戀社益
読下 みかりするかりはのをののかしはきのなれはまさらずこひこそまされ
私訓 御猟する雁羽の小野し柏(かしはき)し汝(なれ)は益(まさ)らず恋こそ益れ
私訳 大王が狩りをなさる雁羽の小野の柏の、その柏(=御綱葉)、磐姫皇后の故事のように貴女は嫉妬を起こさず、恋慕う気持ちだけは盛り上がって欲しい。
注意 原文の「柏」は、一般に「櫟柴之」の間違いとして「ならしばの」と訓みます。ここでは、原文の「柏」のままに訓んでいます。その関係で原文の「奈礼」を「汝(なれ)」と訓んでいます。

10.
源氏物語 十一帖 花散里
引歌文 橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ
万葉集巻八 集歌1473 大伴旅人
原文 橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多寸
読下 たちはなのはなちるさとのほとときすかたこひしつつなくひしそおほき
私訓 橘し花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
私訳 橘の花が咲き散る、その里のホトトギス。そのホトトギスが「片恋(カツコヒ)、片恋」と昔の日々に帰りたいと鳴く日が多いことでしょう。

11.
源氏物語 十二帖 須磨
引歌文 いつとなく大宮人の恋しきに桜かざしし今日も来にけり
万葉集巻十 集歌1883 無名
原文 百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎挿頭而 此間集有
読下 ものしきのおほみやひとはいとまあれやうめをかすしてここへつとへる
私訓 ももしきし大宮人は暇あれや梅を挿頭(かざ)してここに集へる
私訳 多くの岩を積み上げた大宮の宮人は、時にゆとりがあるのだろうか、梅の花を髪に挿してここに集っている。
和漢朗詠集 ももしきのおほみやひとはいとまあれやさくらかさしてけふもくらしつ(

12.
源氏物語 第十三帖 明石
引歌文 波のよるよるいかに、嘆きつつ明石の浦に朝霧の立つやと人を思ひやるかな
万葉集巻五 集歌799 山上憶良
原文 大野山 紀利多知和多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流
読下 おほのやまきりたちわたるわかなけくおきそのかせにきりたちわたる
私訓 大野山霧立ち渡る吾が嘆く沖瀟(おきそ)の風に霧立ち渡る
私訳 大野の山に霧が立ち渡って逝く。私の嘆きの溜息が風となり霧が立ち渡って逝く。
引歌別説として
古今 ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(巻九-409)

13.
源氏物語 十五帖 蓬生
引歌文 年ごろ、あらぬさまなる御さまを、悲しういみじきことを思ひながらも、萌え出づる春に逢ひたまはなむと念じわたりつれど、
万葉集巻八 集歌1418 志貴皇子
原文 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
読下 いはたきるたるみのうえのさはらひのもへいつるはるになりにけるかも
私訓 石(いは)激(たぎ)し垂水(たるみ)の上のさわらびの萌よ出づる春になりにけるかも
私訳 滝の岩の上をはじけ降る垂水の上に緑鮮やかな若いワラビが萌え出る春になったようです。
注意 原文の「石激」は、一般に「いははしる」と訓みます。滝の水の弾け飛ぶ景色が違います。そこが奈良の歌人と平安貴族の感覚の差です。

14.
源氏物語 二二帖 玉鬘
引歌文 金の岬過ぎて、われは忘れずなど世とともの言種になりて、かしこに到り着きては、
万葉集巻七 集歌1230 無名
原文 千磐破 金之三崎乎 過鞆 吾者不忘 牡鹿之須賣神
読下 ちはやふるあきのみさきをすきぬともわれはわすれしおかのすめかみ
私訓 ちはやぶる金(かね)の三崎を過ぎぬとも吾は忘れじ男鹿の皇神(すめかみ)
私訳 岩戸を開き現れた神が宿ると云う金の三崎を通り過ぎたけれども、私は忘れません男鹿の大切な神を。

15.
源氏物語 二三帖 初音
引歌文 咲ける岡辺に家しあればなど、ひき返し慰めたる筋など書きまぜつつあるを、
万葉集巻十 集歌1820 無名
原文 梅花 開有岳邊尓 家居者 乏毛不有 鴬之音
読下 うめのはなさけるおかへにいへおれはともしもあらすうくいすのこへ
私訓 梅し花咲ける岡辺に家居れば乏しもあらず鴬し声
私訳 梅の花が咲いている丘の辺りの家に住んでいたら、うらやましくもありません、鶯の鳴き声よ。
六帖 梅の花咲ける岡辺に家しあればともしくもあらず鴬の声(第六帖-4385)

16.
源氏物語 二十八帖 野分
引歌文 中将の朝けの姿はきよげなりな。ただ今は、きびはなるべきほどを、かたくなしからず見ゆるも、心の闇にや
万葉集巻十二 集歌2841 人麻呂歌集
原文 我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
読下 わかせこのあさけのすかたよくみすてけふのあいたもこひくらすかも
私訓 我が背子の朝明の姿よく見ずて今日の間の恋ひ暮らすかも
私訳 私の貴方がまだ薄暗い朝明けの中を帰っていく姿をはっきりと見ないまま、おぼつかなく、今日の一日を恋しく暮らすのでしょうか。

17.
源氏物語 第三一帖 真木柱
引歌文 野をなつかしみ、明かいつべき夜を、惜しむべかめる人も、
万葉集巻八 集歌1424 山部赤人
原文 春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
読下 はるののにすみれつみにとこしわれそのをなつかしみひとよねにける
私訓 春し野にすみれ摘みにと来し吾そ野をなつかしみ一夜寝にける
私訳 春の野にすみれを摘みにと、来た私です。この野に心が引かれ、ここで夜を過しました。
六帖 春の野に菫摘みにとこし我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(第六帖-3916)

18.
源氏物語 第三一帖 真木柱
引歌文 赤裳垂れ引き去にし姿をと、憎げなる古事なれど、
万葉集巻十一 集歌2550 無名
原文 立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎
読下 たちてもひいてもそおもふくれないのあかもひきいにしすかたを
私訓 立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳裾引き去(い)にし姿を
私訳 立上っても恋い焦がれ座っていても恋い慕う、紅の赤い裳の裾を引いて奥へ去って行った貴女の姿を。
六帖 たちて思ひいてもそ思ふ紅の赤裳たれひきいにし姿を(第六帖-3333)

19
源氏物語 三四帖 若菜上
引歌文 水鳥の青羽は色も変はらぬを萩の下こそけしきことなれなど、書き添へつつすさびたまふ。
万葉集巻八 集歌1543 三原王
原文 秋露者 移尓有家里 水鳥乃 青羽乃山能 色付見者
読下 あきつゆはうつりにありけりみすとりのあをはのやまはいろつくみれは
私訓 秋露は移しにありけり水鳥の青羽(あをば)の山の色付く見れば
私訳 秋の露は彩りを移す染める物だなあ。水鳥の青い羽が秋山の彩に染まっていくのを見ると。
六帖 白露はうつしなりけり水鳥の青葉の山の色づくみれば(第二帖-921)
六帖 紅葉する秋は来にけり水鳥の青葉の山の色づくみれば(第三帖-1468)

20
源氏物語 三五帖 若菜下
引歌文 ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろきたまひて、さらば、道たどたどしからぬほどにとて、御衣などたてまつり直す。
万葉集巻四 集歌709 豊前國娘子大宅女
原文 夕闇者 路多豆頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見
読下 ゆふやみはみちたづとほしつきまちていませわがせこそのまにもみむ
私訓 夕闇は路たづとほし月待ちに行ませ吾が背子その間にも見む
私訳 夕闇は道が薄暗くておぼつかなく不安です。月が出るのを待って帰って行きなさい。私の愛しい貴方。その月が出る間も貴方と一緒にいられる。
六帖 夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわが背子その間にも見む(第一帖-371)

21.
源氏物語 第三九帖 夕霧
引歌文 いとなかなか年ごろの心もとなさよりも、千重にもの思ひ重ねて嘆きたまふ。
万葉集巻十一 集歌2371 人麻呂歌集
原文 心 千遍雖念 人不云 吾戀嬬 見依鴨
読下 こころにはちへにおもへとひといはぬわかこいつまをみむよしもかも
私訓 心にし千遍し思へど人云はぬ吾恋嬬(こひつま)の見むよしもがも
私訳 心の中では千遍も貴女を愛していると思っていても、それを人には口に出して云いませんが、私の恋する貴女を抱く機会がありません。

22.
源氏物語 第四二帖 匂宮
引歌文 秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にも、をさをさ御心移したまはず、
万葉集巻八 集歌1541 大伴旅人
原文 吾岳尓 棹牡鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹牡鹿
読下 わかをかにさをしかきなくはつはきのはなつまとひにきなくをしか
私訓 吾が岳にさ雄鹿来鳴く初萩し花妻問ひに来鳴くさ雄鹿
私訳 私の家の近くの岳に角の立派な鹿が来て啼く。初咲きの萩の花に妻問いに来鳴きする角の立派な鹿よ。

23.
源氏物語 第四六帖 椎本
引歌文 野をむつましみとやありけん御返は、いかてかはなと、きこえにくうおほしわつらふ、
万葉集巻八 集歌1424 山部赤人
原文 春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
読下 はるののにすみれつみにとこしわれそのをなつかしみひとよねにける
私訓 春し野にすみれ摘みにと来し吾そ野をなつかしみ一夜寝にける
私訳 春の野にすみれを摘みにと、来た私です。この野に心が引かれ、ここで夜を過しました。
六帖 春の野に菫摘みにとこし我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける(第六帖-3916)

24.
源氏物語 第四七帖 総角
引歌文 何か、これは世の人の言ふめる恐ろしき神ぞ、憑きたてまつりたらむと、
万葉集巻二 集歌101 大伴麻呂
原文 玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓
読下 たまかつらみならぬきにはちはやふるかみそつくといふならぬきことに
私訓 玉(たま)葛(かづら)実(み)成(な)らぬ木にはちはやぶる神ぞ着くといふならぬ樹ごとに
私訳 美しい藤蔓の花の実の成らない木には恐ろしい神が取り付いていると言いますよ。実の成らない木にはどれも。それと同じように、貴女を抱きたいと云う私の思いを成就させないと貴女に恐ろしい神が取り付きますよ。

25.
源氏物語 第四七帖 総角
引歌文 道のほども、帰るさはいとはるけく思されて、心安くもえ行き通はざらむことの、かねていと苦しきを、夜をやへだてむと思ひ悩みたまふなめり。
万葉集巻十一 集歌2542 無名
集歌2542 若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
読下 わかくさのにひたまくらをまきそめてよをやへだてむにくくあらなくに
私訓 若草の新(にひ)手枕(たまくら)を枕き始めて夜をや隔てむ憎くあらなくに
私訳 若草のような初々しい貴女と手枕での共寝を始めた、そんな夜の訪れに間を置くでしょうか。嫌いでもないのに。
六帖 若草の新手枕を巻きそめて夜をや隔てむ憎からなくに(第五帖-2749)

26.
源氏物語 第四七帖 総角
引歌文 今宵の罪には代はりきこえて、身をもいたづらになしはべりなむかし。木幡の山に馬はいかがはべるべき。いとどものの聞こえや障り所なからむ。
万葉集巻十二 集歌2425 人麻呂歌集
原文 山科 強田山 馬雖在 歩吾来 汝念不得
読下 やましなのこはたのやまのむまあれどかちよりあがこしなをもひかねて
私訓 山科の木幡の山の馬あれど歩(かち)より吾が来し汝(な)の思ひかねて
私訳 近江路の山科の木幡の山を馬も越えると云うが徒歩で私は来ました。貴女を慕うだけでは逢えないので。
拾遺集 山科の木幡の山に馬はあれど徒歩よりぞ来る君を思へば(雑恋-1243)

27.
源氏物語 第四七帖 総角
引歌文 若き人の御心にしみぬべく、たぐひ少なげなる朝明の姿を見送りて、なごりとまれる御移り香なども、
万葉集巻十二 集歌2841 人麻呂歌集
原文 我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
読下 わがせこがあさけのすがたよくみずてけふのあいだをこひくらすかも
私訓 我が背子の朝明の姿よく見ずて今日の間の恋ひ暮らすかも
私訳 私の貴方がまだ薄暗い朝明けの中を帰っていく姿をはっきりと見ないまま、おぼつかなく、今日の一日を恋しく暮らすのでしょうか。

28.
源氏物語 第四九帖 宿木
引歌文 一人月な見たまひそ。心そらなればいと苦しきと聞こえおきたまひて、
万葉集巻十一 集歌2541 無名
原文 徊俳 徃箕之里尓 妹乎置而 心空在 土者踏鞆
読下 たもとほりゆきみしさとにいもをおきてこころそらなりつちはふめども
私訓 徘徊(たもとほ)り往箕(ゆきみ)し里に妹を置きて心(こころ)空(そら)なり土は踏めども
私訳 あちこち歩き回って行く、その言葉のような、徃箕(ゆきみ)にある里に行こうとすると、そこには愛しい貴女が住んでいるので、心はうわの空です、大地を踏んでいるものの。

29.
源氏物語 五十帖 東屋
引歌文 佐野のわたりに家もあらなくになど口ずさびて、
万葉集巻三 集歌265 長忌寸奥麿
原文 苦毛 零来雨可 神之埼 狭野乃渡尓 家裳不有國
読下 くるしくもふりくるあめかかみのさきさののわたりにいへもあらなくに
私訓 苦しくも降り来る雨か神の埼狭野の渡りに家もあらなくに
私訳 御幸の道中でなんと辛くも降ってくる雨よ。紀伊国の三輪の崎にある新宮川の渡し付近には雨宿りするような家も無いのに。俺達はこんなにずぶぬれになってしまったよ。

30.
源氏物語 五一帖 浮舟
引歌文 峰の雪みぎはの氷踏み分けて、君にぞ惑ふ道は惑はず、木幡の里に馬はあれどなど、あやしき硯召し出でて、
万葉集巻十一 集歌2425 人麻呂歌集
集歌2425 山科 強田山 馬雖在 歩吾来 汝念不得
読下 やましなのこはたのやまにむまあれどかちよりあがこしなをおもひかねて
私訓 山科の木幡の山の馬あれど歩より吾が来の汝は思ひかねて
私訳 近江路の山科の木幡の山を馬も越えると云うが徒歩で私は来ました。貴女を慕うだけでは逢えないので。
拾遺集 山科の木幡の里に馬はあれど徒歩(かち)よりぞ来る君を思へば(雑恋-1243)

31.
源氏物語 五一帖 浮舟
引歌文 雨降り止まで、日ごろ多くなるころ、いとど山路思し絶えて、わりなく思されければ、
万葉集巻二 集歌212 人麻呂
集歌212 衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山侄往者 生跡毛無
読下 ふすまぢをひきてのやまにいもをおきてやまぢをいけばいきるともなし
私訓 衾(ふすま)道(ぢ)を引手の山に妹を置きて山(やま)姪(めひ)行けば生けりともなし
私訳 白妙の布で遺体を隠した葬送の列が行く道の引手の山に貴女を一人置いて、山道を姪たちが帰って行くと自分は生きている実感がありません。
注意 原文の「山侄往者」の「侄」は「姪」の異字体ですが、近年は「徑」の誤字として「山路を往けば」と訓みます。そのため、歌意は違います。

32.
源氏物語 五一帖 浮舟
引歌文 わりなく思されければ、親のかふこは所狭きものにこそと思すもかたじけなし。
万葉集巻十一 集歌2495 人麻呂歌集
原文 足常 母養子 眉隠 ゞ在妹 見依鴨
読下 たらちねのははがかふこのまゆこもりこもれるいものみるよしもがも
私訓 たらつねし母し養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよこも)り隠れる妹し見むよしもがも
私訳 心を満たす母が飼う蚕が繭に籠るように、母親によって家の奥に隠れている貴女に会う機会がほしい。
拾遺集 たらちねの親のかふ蚕(こ)の繭ごもりいぶせくもあるかな妹に逢はずて(恋4-895)

33.
源氏物語 五二帖 蜻蛉
引歌文 いかなるさまにて、いづれの底のうつせに混じりけむなど、やる方なく思す。
万葉集巻二 集歌224 依羅娘子
原文 旦今日ゞゞゞ 吾待君者 石水之 貝尓 交而 有登不言八方
読下 けふけふとわかまつきみはいはみすのかひにましりにありといはすもや
私訓 旦今日(けふ)旦今日(けふ)とあが待つ君は石見し貝に交りにありと言はずやも
私訳 今朝は帰られるか、今日は帰られるかよ私の待っていたあなたは石川の貝にまじってすでに亡くなられたと言うではありませんか。
注意 源氏物語の「うつせ」とは貝殻を示す。

説明:
 はじめに、源氏物語は平安時代中期の言語で記述された小説です。従いまして、平安中期から鎌倉時代初期の読書階級にとっては”現代文学作品”と云うことになります。この背景から作品鑑賞は単なる本文読解と云うものだけではなく、源氏物語全巻整備がなされた段階からすでに源氏物語が引用した先行する古典作品を研究する、つまり、引歌研究が行われていました。
 この引歌研究に関して江戸期末期の歌学者である萩原広道氏は、「源氏物語に載る万葉集歌は万葉集からの引用ではなく、全てが古今和歌六帖に収容された万葉集歌から引用されている」と指摘します。つまり、平安時代の女流作家たちでは万葉仮名表記の万葉集原文は読めるはずがないから、必然、平仮名に訓点されたものからの孫引きであるとの指摘です。他方、源氏物語が書かれた時代、清少納言は基礎的教養として万葉集、古今和歌集、後撰和歌集は最低限であると枕草子で主張しています。
 この二つの主張には矛盾があります。江戸末期の源氏物語等の平安時代の文学を研究した萩原広道氏は「当時の女性では万葉集が読めるはずがない」と指摘し、片や当時の女性を代表する清少納言は「万葉集は必須的な教養、つまり、読解・暗記すべきもの」とします。
 そうした時、本資料を掲載する目的は、引歌と云う技法から導き出される源氏物語創作時の、当時の人々の万葉集の享受と解釈への理解を深めることにあります。つまり、万葉集歌が示す景色とその歌の引用を行った源氏物語が示す景色との対比を通じて歌の鑑賞深度を探るための基礎資料とするものです。もし、歌と物語が示す景色のベクトルが一致しますと、源氏物語の作者と読者は万葉集歌を十分に享受していたと推定されます。
 なお、ここでは元歌からの引用か、後年の秀歌集からの孫引き引用かの判定を行わず、引用された万葉集歌は万葉集からとしています。また、歌が単独に万葉集に載るものか、はたまた古今和歌六帖などの秀歌集収載の重複歌なのか等の網羅的な調査は行っていません。可能性はありますが、万葉集との重複歌を載せる捨遺和歌集、古今和歌六帖、柿本集、赤人集などに対しての詳細調査はしていません。インターネット検索レベルでの調査のみです。
 話題参考として源氏物語には嵯峨天皇の四巻本古万葉集を婚礼の調度品として書写したとの話題があり、また、作者である紫式部の主人筋となる藤原道長は二十巻本万葉集への訓点研究をした歌学者でもあります。その藤原道長は草稿本を勝手に紫式部の局から持って行ってしまったとの逸話が残る源氏物語の熱心な読者です。従いまして、藤原道長の応援の下、紫式部が道長たちの研究を通じて四巻本万葉集や二十巻本万葉集の原文やその読み解きの情報を得ていた可能性は否定出来ません。また、紫式部は中宮彰子に白氏文集の解説・講義をするほどの才媛ですから、短歌四千首ほどに古点付けされた万葉集が読解出来なかったと云うのも無理筋の主張です。
 なお、源氏物語引歌研究において『源氏物語引歌綜覧』では万葉集からは二十七首、それに「HP源氏物語の世界」の解説でのものを加えますと三三首が引用されています。その内訳では巻二から3首、巻三から1首、巻四から4首、巻五から2首、巻七から1首、巻八から6首、巻十から2首、巻十一から7首、巻十二から6首、巻二十から1首が採られています。(注:判断で除いたもの、古今和歌六帖から繰り入れたものがありますので、『源氏物語引歌綜覧』で示すものとは一致しません)
 ここで、現在行われている源氏物語引歌研究が正しいものとしますと、その採歌された歌の分布から紫式部は伝存する二十巻本万葉集を当時の万葉集として享受していた可能性があります。他方、源氏物語と伝存する各種の万葉切の状況からしますと公卿階級の婚礼では女性の調度品として豪華に装飾を施した四巻本古万葉集の書写を整えていたとの推定が可能ではないでしょうか。

<資料参照>
引歌:
源氏物語引歌綜覧(鈴木日出男、風間書房)
HP源氏物語の世界 源氏物語(大島本)
本文:
高千穂大学名誉教授渋谷栄一氏 HP源氏物語の世界 源氏物語(大島本)

補足:
 参考情報として、源氏物語と云う書物は連載小説のような形で各帖が順次に創作されたと思われ、鎌倉時代になるまですべてを網羅した完本形で編纂されたものはなかったのではないかと疑われています。この背景において現在に伝わるものは鎌倉時代初期に藤原定家が収集・整備したものを中心に交合・校訂されたものです。この原文整備状況を踏まえ、時代における書記方法の進化と整備と云う視線から考えますと、原文整備を行った藤原定家たちの書記方法が、紫式部が創作したときの書記方法と同じかどうかは不明です。また、平安時代中期以降の男女での書記方法の相違と云う問題点も指摘する必要があります。
 今日の研究において藤原定家が整備した古今和歌集や土佐日記等の伝本を参考にしますと、藤原定家は平仮名(崩し連綿変体文字)主体で表記された原本から鎌倉時代の読者階級人たちの読解を容易にすると云う目的を以って漢字交じり平仮名の書記スタイルに翻訳を施しています。つまり、源氏物語もまた書記スタイルにおいて藤原定家の解釈を下にした翻訳作業が行われた可能性があります。
 およそ、可能性として紫式部が著書したときの書記方法は、漢語となる詞は漢字表記、大和言葉となるものは平仮名(崩し連綿変体文字)表記と思われます。例を用いて説明しますと、現代解釈での第十三帖の明石の巻で万葉集歌を引歌としたと考える文節(文中では光源氏の詠う和歌)は次に示すものです。

源氏物語 第十三帖 明石
大島本 嘆きつつ明石の浦に朝霧の立つやと人を思ひやるかな

 しかしながら、性別と書記方法の進化の歴史を踏まえますと紫式部は光源氏が詠う和歌を当時の書記方法の約束に従って次のように書記していた可能性があります。古今和歌集の歌と同様に、原則、平仮名(崩し連綿変体文字)のみの書記方法です。

可能性 なげきつつあかしのうらにあさきりのたつやとひとをおもひやるかな

 この場合は「一晩中、別れたことを悲しく思い夜を明かすうちに日の出を迎え、感じる朝の冷気に明石の入り江が、嘆きの証しのような朝霧によってあたり一面を覆うでしょうかと、明石の里に残してきた貴女に想いを砕きます」というような景色となります。このように、書記方法により見る景色が少し変わりますので、引用元となる引歌自体も鑑賞者により変わるようです。
 源氏物語で示す男女の別れの嘆きを中心に据えますと、万葉集 巻五の集歌799の歌が引用元であろうと云う推定になります。他方、内実より表面上の文字列の一致を重視しますと古今和歌集からの引用と云う別の案が生まれます。ただ、源氏物語の解説では、「なげきつつあかしの」の「あかし」には少なくとも、夜通し、夜が明ける、霧の縁語からのため息をついたということへの証し、地名の明石との四つの違う意味を持つ言葉があります。従いまして、引歌の研究からしますとイメージを地名に限定させるような「明石」の表記を使うようでは源氏物語にはならないようです。
 ちなみに「嘆きつつ明石の浦に朝霧」との解釈では、引歌は古今和歌集 巻九に載る歌番号409の次の歌とします。なお、現代解釈では歌の内容が非常に限定されます。

<平安時代の表記;清音一字一音崩し連綿変体仮名>
ほのほのとあかしのうらのあさきりにしまかくれゆくふねをしそおもふ
<現代解釈での表記>
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ

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