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万葉集が好きな、作業員です

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職業人としての柿本人麻呂

第一章 氏族社会の和珥族と柿本臣 柿本人麻呂の氏族を考える  人麻呂が生きた時代は、家族・一族・係累が互いに助け合い生活していた氏族社会と規定し、個人が自由に住居地を定め、また、個人の意思で職業を選べる時代ではなかったと規定します。その時代、皇族・王族・豪族などの有力者の子弟だけが特別に教育を受ける機会があり、その才能によって天武天皇の時代以降に始まった律令規定の社会環境でのみ選抜を受けて官途に就ける、そのような氏族社会と考えます。  人麻呂の生涯と職業を考える上で、手

    • 職業人としての柿本人麻呂 第一章 氏族社会の和珥族と柿本臣

      職業人としての柿本人麻呂を考えるにあたって  この覚書は、万葉集と云う日本最古の詩歌集の中で重要な位置を占め、また、その後の和歌の発展に大きな影響を与えた柿本朝臣人麻呂の人物像を考察するものです。  巻頭「はじめに」でも紹介しましたが、今日においても万葉歌人、柿本人麻呂の人物像は定まっていません。そのために人麻呂歌を鑑賞する立場により、その人物像は変化します。職業を例としますと、遊女を伴う旅の遊行詩人を生業とする一族の一人ではないかとする説、石見国の下級官吏ではないかとする説

      • 職業人としての柿本人麻呂

        NOTEのために  今回、以前に面白半分に自費出版した『職業人としての柿本人麻呂』を、内容を修正した上でNOTEに載せさせていただきます。この文章は万葉歌人として有名な柿本人麻呂をその和歌歌人から見たものではなく、飛鳥時代から奈良時代を生きた人間・柿本人麻呂を生活・社会面から考察したものです。まず、標準の文学の世界からのものではありません。そのようなものとして扱って下さい。なお、『職業人としての柿本人麻呂』は自費出版として流通10部で出版していますからひょっとすると検索には当

        • 長屋王を再評価する

           以前に「万葉時代の北宮を考える」と言うテーマで、奈良時代の長屋王の大王(太政大臣)就任説を紹介しました。また、「日本書紀の基礎 日本紀私記序(弘仁私記序)を読む」と言うテーマで現在に伝わる日本書紀や続日本紀が桓武天皇や嵯峨天皇の時代以外の人にとって、それが正しい正史であるかどうかは不明であることも紹介しました。ここではおさらいになりますが、もう一度、「万葉時代の北宮を考える」と言うテーマについておさらいをして見ます。  昭和五十年(1975)に奈良市尼ヶ辻町の郵便局予定地か

        職業人としての柿本人麻呂

          万葉集 熟田津の歌への別なる解釈

           万葉集にあって歴史と絡めて昔から色々と物議を交わして来た歌が、次の額田王が詠う熟田津の歌です。そして今もその物議の決着が着いていないようです。この歌の歴史的な背景を気にしなければ普段の大宮人による秋の十五夜での舟遊びのような感のある歌ですが、この歌に歴史的背景を認めるか認めないかで、見方が大きく変ってきます。そこが面白いわけです。しかし人により歴史解釈が大幅に違うので、その人それぞれの歴史解釈の論拠を説明しないと、それぞれが解釈した歌の論説自体が成り立たないような非常に解釈

          万葉集 熟田津の歌への別なる解釈

          万葉時代 年号の基礎知識

           表題で「万葉時代 年号の基礎知識」としていますが、この年号は中世朝鮮側から確認した万葉時代の日本の年号です。日本側の日本書紀や続日本紀で示す年号とは違う性質のものです。ただし、万葉集や伝存する寺院などの古文書などと時に一致する年号があります。  さて、李氏朝鮮時代の半島側に、日本に関する歴史書が伝存しています。それが『海東諸国紀』と言うものです。この歴史書は李氏朝鮮の領議政(宰相)を執った申叔舟が若い時に日本国と琉球国について記述した漢文書籍の歴史書で李氏朝鮮成宗2年(14

          万葉時代 年号の基礎知識

          万葉集 我と吾の違い

           テレビを見ていましたら「天上天下唯我独尊」と云う言葉が扱われ、そこでこの言葉に対してコメントをされた方が「我」と云う文字は“自分”や“己”を意味するのではなく、“社会を構成する一人一人の自己”を意味するから、「天上天下唯我独尊」と云う言葉は「この世の中で私一人が唯一尊い」と云う意味ではなく、「この世の中を形成する一人一人が尊い、従って、己だけが尊いのではなく、相手もまた尊い人間であると云うことを尊重しなければいけない」との教えであるとされていました。  なるほどと思いました

          万葉集 我と吾の違い

          催馬楽と万葉集

           今回、知っている人は知っていると云う催馬楽を取り上げたいと思います。催馬楽は奈良時代後期から平安時代初頭に興り、平安時代中期以降には今様に取って代わられ衰退し、鎌倉時代までには歌われなくなった宮中歌謡です。お気付きのように、催馬楽と万葉集歌とは同じ時代の同じジャンルの娯楽として、その時代での関係を考えることが必要なものなのです。  催馬楽と万葉集歌との関係を見る前に、知る人は知ると云うこの催馬楽について説明しますと、ネットでは次のような解説を見ることが出来ます。 <催馬

          催馬楽と万葉集

          万葉集 山柿の門を考える

           万葉集の和歌の世界で古今和歌集の仮名序で柿本人麻呂と山部赤人が取り上げられていることから、万葉集で歌われる「山柿の門」とは山部赤人と柿本人麻呂のことであるとなっています。ただ、万葉集で「山柿の門」の言葉が使われた時、当然、万葉人たちは古今和歌集の仮名序の存在を知りません。未来の物事を根拠に過去の物事を説明することは、まず、科学でも学問でもありません。  さて、その「山柿の門」の言葉ですが、これは万葉集巻十七に大伴家持が詠う「更贈謌一首」と云う標題を持つ集歌3969の歌があり

          万葉集 山柿の門を考える

          万葉時代の北宮を考える

           私が扱う与太話は主に万葉集の歌々を素人が原文から鑑賞したものを載せています。鑑賞の過程で、今回のように歴史等について触れることがありますが、それは万葉集に載る歌を西本願寺本の原文から読むとき、一般に説明される歴史等に対して違和感があり、その感じた違和感を紹介するためです。違和感の源を探るとき、扱う歴史等の原文資料の多くは漢文で記されているため、素人が漢文記述の原文を読み、専門家の行った訓読や現代語訳と対比する必要が生じます。今回は、まだ評価の定まっていない「北宮」の言葉につ

          万葉時代の北宮を考える

          日本書紀の基礎 日本紀私記序(弘仁私記序)を読む

           現在、日本書紀と名が付けられている国書に対して、万葉集には日本紀と日本書紀の二種類の表記があります。そこで、なぜ、万葉集に日本紀と日本書紀との二つの表記があるのかを明らかにするために、平安初期の嵯峨前太上天皇・淳和後太上天皇・仁明天皇の時代の承和十年六月頃に多朝臣人長達の記録により内史局(図書寮)が日本紀講筵の前例資料として作成したと思われる日本紀私記序を紹介します。ここで、平安時代初頭の漢字知識から「書」と「書紀」との表記の違いを紹介しますと、「書、庶也。紀庶物也。」です

          日本書紀の基礎 日本紀私記序(弘仁私記序)を読む

          紫式部 源氏物語の引歌 万葉集部

           源氏物語は一条天皇の中宮彰子のサロンで紫式部が周囲に見せた時から非常に評判の作品で、一番の熱心な読者は藤原道長だった紫式部日記などから推測が出来ます。この状況にあって、当時の教養人たちで読み回す前提で作品が創られている関係で、和歌に先行する作品を示唆する詞をつかって歌の世界を広げる本歌取(盗古歌)と言う技法がありますが、源氏物語では文章にも和歌に先行する作品を示唆する詞をつかって文章が示す世界を広げています。これを源氏物語の引歌技法と称します。今回は、この引歌技法に注目して

          紫式部 源氏物語の引歌 万葉集部

          紫式部 春画野宮草紙(小柴垣草紙)を考える そのエロの世界

           今回、日本が世界に誇る平安時代後期以前に由来を持つ肉筆春画である野宮草紙(小柴垣草紙)を中心に紫式部を絡めて遊びます。ただ、伝存の多くは江戸時代の模写ですし、それらの大半は個人所蔵で公開はされていませんので、研究者が好事家の世界での伝手を頼って調べるような世界です。  小柴垣草紙は複数の場面絵にその場面を紹介する絵詞書を付けたものですから、本来は絵を紹介すべきですが著作権の関係で紹介出来ませんので、以下に言葉で内容を紹介します。なお、長文系統の絵詞書は省略します。検索すると

          紫式部 春画野宮草紙(小柴垣草紙)を考える そのエロの世界

          紫式部たち、遊びの教養 その2

           今回は、前半は前回の続きで、後半は前回の展開から万葉集に遊びます。当然、前回の続きですから、卑猥で与太でバレ話です。紳士淑女や18歳未満の未成年にはお勧めしませんし、眉唾ものです。  さて、前回の「紫式部たち、遊びの教養 その1」では、房中術と偃息図から実に与太で、バレ話を展開しました。最初はそこで紹介しました紫式部の『源氏物語』の「浮舟」の巻を、少し、バレ話の方向から遊んでみます。その偃息図は時代が下るにしたがい本来の中国医学の分類である房中術の解説図書の性格であったもの

          紫式部たち、遊びの教養 その2

          紫式部たち、遊びの教養 その1

           色々あって、このテーマはその1とその2の二部構成で2回に分けて紹介し、その後に関連物を2回、都合、4回ほど載せます。テーマに示すように某NHKの大河ドラマに便乗したような、嫌らしい精神からのものです。  今回は私個人特有の憶測を下に万葉集に載る柿本人麻呂と隠れ妻との間で交わされた相聞歌を中心に遊びます。ただ、遊びでは上古の中医学の四部類(医経、経方、房中、神仙)の内の房中術とその図解である偃息図(おそくず)への、平安貴族たちの知識をベースとしています。そのために内容は実に与

          紫式部たち、遊びの教養 その1

          新選万葉集 和歌表記の謎を考える

           今回、和歌の表記のスタイルの話です。その関係で、和歌の歴史に興味が無いと全くにどうでも良い話です。ただ、古典とされる和歌が、本来、どのような姿だったのか、歌が作られた時にどのように解釈されていたか、ここに興味を持つと避けては通れない話ではあります。  ここのところ新選万葉集に遊んでいます、その新選万葉集について、一般論として、新選万葉集の和歌表記形式が平安時代初頭の和歌を表記する標準的な形態だったと決めつけ、和歌表記の形態としては万葉集時代と古今和歌集時代とを繋ぐものと解説

          新選万葉集 和歌表記の謎を考える