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紫式部たち、遊びの教養 その2

 今回は、前半は前回の続きで、後半は前回の展開から万葉集に遊びます。当然、前回の続きですから、卑猥で与太でバレ話です。紳士淑女や18歳未満の未成年にはお勧めしませんし、眉唾ものです。
 さて、前回の「紫式部たち、遊びの教養 その1」では、房中術と偃息図から実に与太で、バレ話を展開しました。最初はそこで紹介しました紫式部の『源氏物語』の「浮舟」の巻を、少し、バレ話の方向から遊んでみます。その偃息図は時代が下るにしたがい本来の中国医学の分類である房中術の解説図書の性格であったものが、大陸も日本もポルノ絵画としての独立性を得て、春画や春宮図などの名称を獲得します。なお、源氏物語に引用される万葉集の歌の分析から紫式部は柿本人麻呂の詠う恋歌は大好物だったことが確認されています。ここでの与太話は、紫式部は房中術と偃息図との十分な知識があり、同時に柿本人麻呂の詠う恋歌は大好物だったことを前提としています。
 こちら方面の歴史で、江戸期にあって春画の第一人者の月岡雪鼎は肉筆絵巻「春宵秘戯図」を作成したときに中国文献だけでなく日本の古典も参考にしたとし、その古典として『大中よしのふ集』、『源氏うき舟乃巻』、『古今著聞集』、『玄旨衆妙集』の四点を挙げています。『大中よしのふ集』は大中臣能宣の和歌集である能宣集、『玄旨衆妙集』は細川幽斎の和歌集で、月岡雪鼎は和歌の恋歌の世界に男女の性愛の状況を眺め、また、『古今著聞集』に春画での陰部デフォルメの技法の歴史を探り、『源氏うき舟乃巻』である『源氏物語・浮舟』の巻に高貴な身分の匂君と浮舟との禁断の逢瀬と偃息図の歴史を見ています。『源氏物語』と云う高名な物語を題材にし、その春画に『源氏うき舟乃巻』と端書を入れれば、宮中の高貴な男女を春画に描いたとしても不敬にはなりません。同じように春画絵巻である『小柴垣草紙』を模倣・模写であれば高貴な斎宮済子女王(または皇女姿の女性)を主人公にどれほど破廉恥な色々な体位や愛撫姿の春画絵巻を描いても歴史的な伝承絵巻の模倣画ですから不敬にはなりません。だだし、月岡雪鼎は先行する作品の模写などはしないと自負豊かな工夫の第一人者です。
 江戸期にはこのような春画への態度があります。そこで、月岡雪鼎が取り上げた『源氏うき舟乃巻』を調べてみますと、現代で平安時代に房中術と偃息図を調べる人は、次の文章の「添ひ臥したる画」のところを取り上げて話題としますし、資料とします。物語の描き方からしますと、『源氏物語』の書き手の紫式部も読み手の平安貴族たちも社会知識として房中術と偃息図を理解しており、物語では匂宮に仮託していますが絵心のある人は自ら偃息図を描いたようです。その絵をどうするかは、その人それぞれです。物語の匂宮は自身と浮舟との二夜での夜の営みの姿を絵に残し、浮舟に「私たちはいつもこのようにしていたいのだけど」として京に戻る朝に渡します。
 
源氏物語 浮舟の巻 第二章第八段
さるは、かの対の御方には似劣りなり。大殿の君の盛りに匂ひたまへるあたりにては、こよなかるべきほどの人を、たぐひなう思さるるほどなれば、「また知らずをかし」とのみ見たまふ。女はまた、大将殿を、いときよげに、またかかる人あらむやと見しかど、「こまやかに匂ひきよらなることは、こよなくおはしけり」と見る。
硯ひき寄せて、手習などしたまふ。いとをかしげに書きすさび、絵などを見所多く描きたまへれば、若き心地には、思ひも移りぬべし。
「心より外に、え見ざらむほどは、これを見たまへよ」とて、いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画を描きたまひて、「常にかくてあらばや」などのたまふも、涙落ちぬ。
 
 さて、紫式部は、なぜ、当時の慣習としては異例となる二夜連続で浮舟の寝所に居続けた匂宮に二人のその行為を偃息図として描かせ、ある種の形見として浮舟の許に残したかです。元々、浮舟は薫君により他の貴公子から隠すようにして宇治に移され囲われた美女の立場ですし、主人となる薫君と強引に犯した匂宮とは友人関係です。つまり、匂宮と浮舟との関係は完全な不倫不義です。当時の独立した女性の自由恋愛とは趣が違います。物語では夜の暗闇を利用して薫君に偽装した匂宮がだます形で浮舟を犯しますが、浮舟は抱かれたあと、なぜか匂宮に心が惹かれます。それで関係が強引で間違いと言い訳が出来る一度だけで終わることなく、二人して二夜一昼を閨に籠り愛欲に溺れる時間を過ごします。その場面の中で匂宮が浮舟の目の前で性交図である偃息図を描く場面へと展開します。
 推定で、紫式部は匂宮に浮舟との偃息図を描かせることで、浮舟が房中術での性のエリートと云うことを言外に示したのでしょうか。およそ、紫式部は「いとをかしげなる男女、もろともに添ひ臥したる画」と記し、匂宮が描く見所多い絵は偃息図であることを示し、その偃息図から浮舟に房中術の秘儀の使い手であることを想像させたと考えます。
 加えて、紫式部は匂宮が京に帰って行った後に浮舟がその偃息図をどのように使うのを読者に想像させたのでしょうか。本来の主人となる薫君の、その男の体ではなく、匂宮と浮舟との行為で描いた偃息図だけで、浮舟が一人、夜を過ごすことを期待したと暗示させたのでしょうか。女性の自慰用具の張形が奈良時代の遺跡から発見されています。他方、紫式部は『源氏物語』では、女性の形態を、絶対的な身分の高い女性、教養豊かで光源氏と同等な価値観を有する女性、性的な女性の三つの分類に分けて描き、浮舟は男たちが取り合うような性的美人の代表ですから、そのような女性であることを示唆したのでしょうか。
 私の憶測では、そのような性的女性の行為を示唆している理解し、同時にそれは紫式部を含めて見知る身近な女性たちが張形などを使い自慰行為をしていたのだろうと推測します。その時の用具の一つとして「見所多く描きたまふ」や「いとをかしげなる男女」の絵と考えますし、その絵に「若き心地には、思ひも移りぬべし」と記述します。
 参考情報として、偃息図の一つで平安時代末期に由来を持つとされる『小柴垣草紙』は長編絵巻物語の形式を持つジャンルの代表的なもので、後白河天皇の女御だった平滋が平清盛の娘の平徳子の嫁入り道具として贈ったとの伝承も残ります。
 補足で、平安時代中期、娘の帝の許への入台の時、母親が娘に付き添って同じ局に入り、帝の御床に娘が呼ばれたときに、内女房が帝の御床の次の間で待機して御用を勤める宿直(とのゐ)の役を母親が替りを務め、時に相手と娘との行為の手助けをします。鎌倉時代ですが半実話とされる「とわず語り」では、主人公の二条が御所様と前伊勢斎宮との夜の行為の場面で本来の女房と替わって宿直の御用を務め、清い身であるはずの前伊勢斎宮が男女関係に慣れていないのなら営みのお手伝いか、身代わりになる予定だったと表現しています。この「とわず語り」の場面が偃息図の使い方や母親が宿直を務めた背景を示しています。このような状況からすると偃息図は帝の世継ぎの御子を産むプレッシャーがかかる女性たちの生活の場には必需品だったようです。
 ここで平安時代では建前からは女が性のために男を積極的に養わない時代とすると、肉体関係があり相手の性癖などを知る男からその女に「偃息図」を贈る目的を考えたとき、女性の自慰行為の用具と考えるのが自然です。まず、「別の男との行為の中で使ってくれ」との意味合いで、女に贈る可能性は薄いと思います。
 この『源氏物語』が示唆する女性の姿から、万葉集の柿本人麻呂歌集の歌を眺めてみます。次の歌は既に男女関係を持った若い男女の相聞歌群の中のものです。万葉時代の約束事で愛の証は濃厚な性愛にありますから、歌に「見る」、「逢う」など言葉があれば、そこに性交渉を示唆します。
 最初に集歌2408の歌を紹介します。この歌は相聞問答歌として改めて集歌2808の歌として載り、問答では集歌2809の歌と対を成します。人麻呂歌集の歌では有名な歌となります。なお、古語で「鼻鳴(はなき)」を「鼻にかかった声を出す。甘えた声を出す。」と解釈し、標準の「鼻鳴」を「嚔る(はなひる)」と特殊に訓じて「くしゃみ」と解釈しません。また、「眉根削」の「削」は「刮」と同じ意味合いで、眉毛を刮り除いて細い三日月眉に整える意味合いで解釈します。言葉の解釈が違う分、歌の鑑賞も変わり、女は歌で前回の時と同じように早く抱いてほしいと歌を贈ります。そのような非常にエロスを中での女心を詠う歌として有名です。
 
集歌2408 
原文 眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念吾君
訓読 眉根(まよね)削(か)き鼻鳴き紐解け待つらむか何時しも見むと念ふ吾が君
私訳 (あの時と同じように)眉を刮り整へて、甘えた声で下着の紐を解かれる時をいつまで待つのでしょうか。いつ何時でも抱かれたいと思う、私の貴方。
 
 問題は集歌2413の歌です。集歌2408の歌では女性は前と同じような痴話話の中で愛撫と共に徐々に裸にされ、抱かれることを期待しています。言外に前回の貴方はとても上手で気持ちが良かったと示しています。そのような男女関係の中での相聞歌群の歌としますと、集歌2413の歌は非常に意味深長な内容を示します。
 
集歌2413 
原文 故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢
訓読 故し無し吾が裏紐の解けしめむ人にな知らせ直に逢ふまで
私訳 貴方は私と逢ってもいないのに私の下着の紐を解いてしまっている。そんなことを人には気づかせないで。本当に逢って紐を解くまでに。
 
 集歌2413の歌の場面は一人寝の女性です。でも、恋している貴方に抱かれたいと思う女性は、貴方に抱かれてもいないのに、今、寝巻の前を寛げた状態で、抱かれたあとの感覚になっているとします。このようなことを、たびたびしていたら、人は気づいてしまうでしょう。だから、早く逢いに来て欲しいとします。なお、三句目は「解為」の表現でも良いと思うのですが、特別に強く「令解」と表現します。前を寛げたのは自然でもなければ、自分からでもありません。貴方のために、という意味合いです。場合により以前に女性は恋する男性から頼まれて、自分から男性の目の前で寝着を脱ぎ、裸になった経験があるのかもしれません。平安時代の『小柴垣草紙』では女から男に陰部を見せて男による愛撫を求める姿を描きますので、そのような性愛行動を示唆している表現かもしれません。
 万葉集では非常に官能的に性愛を詠う集歌2408の歌に次いで、集歌2409の歌で白妙の寝着に着替えてその紐を結ぶのはただ寝るためではない、貴方に愛撫されながらやさしく私の白妙の寝着を脱がしてもらうために紐を結ぶと詠います。
 
集歌2409 
原文 君戀 浦経居 悔 我裏紐 結手徒
訓読 君し恋ひうらぶれ居れば悔しくも我が下紐し結ふ手いたづら
私訳 貴方を慕って逢えないことを寂しく思っていると、悔しいことに夜着に着替える私の下着を留める下紐を結ぶ手が空しい。
 
 これらの歌が同じ柿本人麻呂に関わる男女の相聞歌群としますと、貴方に抱いてもらうためと思って身に着けた寝着が、なぜか、一人寝なのに自ら紐を解き寝着の前を寛げて抱かれた感覚になっていると、愛する男性に詠います。
 紫式部は『源氏物語』で、浮舟が自分を抱いた男との場面を描いた「偃息図」を一人で使うことを示唆し、柿本人麻呂歌集では女性が恋する男性を思って一人寝の床につくと、なぜか自ら寝着の前を寛げて抱かれた感覚になったことを示します。このように共に女性の性を非常に強く示唆します。示したように非常に卑しい解釈をする奴がブログを運営しますから、そのブログはアハハです。浮舟の巻から先に浮舟の自慰行為を想像するなら、同じように集歌2413の歌にも自慰行為を想像します。
 参考として、万葉集には集歌2558の歌のように集歌2413の歌と同じように下着の紐が解けたと詠う歌があります。
 
集歌2558 
原文 愛等 思篇来師 莫忘登 結之紐乃 解樂念者
訓読 愛(うつく)しと思へりけらし莫(な)忘れと結びし紐の解けらく念へば
私訳 私のことを「愛しい」とあの人は想って下さるようです。「きっと、忘れるなよ」と云って結んだその私の下着の紐が解けているのを思うと。
 
 ただ、集歌2558の歌は自然に下着の紐が緩んで解けた状況から、その自然の結果を貴方の意思と取る発想です。自分の意思で相手の男性を思い浮かべて紐を解いたのではありません。一方、集歌2413の歌は「令解」ですから自分の意思で寝着の紐を解いたのですが、それは貴方のせいだとします。貴方を思っているから無意識に自分から貴方の命令で寝着の紐を解き、はだけているのです。一人寝の女性が貴方を思うと寝着の前をはだけてしまうと詠う歌は、万葉集中で集歌2413の歌しか無いような特殊な状況を詠う歌です。
 春画の研究者が江戸期にあって春画の第一人者である月岡雪鼎が春画を描く時、春画「春宵秘戯図」の「引証書目」に『源氏物語』の「浮舟」の巻の匂君と浮舟とを参考にしたと記すように、春画の世界でも「浮舟」の巻の匂君と浮舟とは有名です。平安中期以降の貴族や文化人は『源氏物語』が書かれたその時代からすでに文中に引用する古典などを見出す引歌研究を行っています。雪鼎の参考もこの引歌研究の派生です。
 当然、江戸期の雪鼎が「浮舟」の巻を十分に理解しているなら、平安中期以降の文化人は同程度か、それ以上に理解しているでしょう。そのような平安中期の貴族・文化人が万葉集の人麿歌集を眺めたら、私の解釈のように集歌2413の歌の世界が他の愛を詠う世界とは違うことに気が付いたと思いますし、「浮舟」の巻と似た匂いを嗅いだと想像します。
 源氏物語の引歌研究からすると、紫式部の時代、柿本人麻呂歌集は宮中女房たちの大好物だったと思われます。現代の研究から柿本人麻呂歌集に載る相聞歌の多くは、人麻呂と隠れ妻との間で交わされた実際の歌ではないかと考えられていますから、平安中期の貴族たちもそのように理解した可能性があります。『源氏物語』は紫式部が創作した濃厚な恋愛物語ですが、その読者たちは柿本人麻呂歌集を実話の濃厚な恋愛物語として楽しんだ可能性があります。
 令和6年はNHKの大河ドラマで紫式部や藤原道真の時代を扱いますが、その時代、男女はこのような知識と技術を持って恋愛をしていたことを理解して頂ければと思います。また、時間がありましたら、『源氏物語』と柿本人麻呂歌集とを対比し、その性愛の世界も堪能していただけたらと希望します。
 

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