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「やりたいことがない」という幻想

「やりたいことがない。」
今でもたまに耳にします。 

頭でっかちになってしまう学校教育で育ってきた我々世代は、やりたいこと探しにぶつかった経験がある人は少なくないかもしれません。 

そういうときは世間体を気にして選んでいたりとか、
これをやれば成功できそう稼げそうとか、
親が仕事を継いでくれるよう期待しているからとか、
それっぽい理由をつけてその道を選んでしまうかなと推察します。


まあ、私自身もその迷子をしていた事があるのでわかります。

やりたいことはやってきたつもりだったけど、どこかすっきりせずモヤモヤしていましたよ。 
うまく行かせようとするほど、苦しくなっていきました。 

「本当にやりたいことってなんだろう、それともこのままなんとなく人生終わっていくのか。」って自問自答していました。
当然、恋愛やお金もうまくはいってませんでした。





やりたいことは、本当はすでにみんな持っています。

ただ、
自分がそこへ価値を置いていない 
時間とエネルギーをそこへ向けていない
自分がそれをすることを許していない 
だけです。

そんな時って自分自身のこともあまり好きではないのかな。
結局、どこか取り繕っていますからね。 

人の価値観を採用して生きていたり、脳の刺激の快楽だけで生きているとそれはなかなか気付かないのだろうと思います。 

でも自分探しの紆余曲折のプロセス自体も、後々に紐付けすることができれば全ての経験は活かすことができます。 

それがオリジナリティを編み出すわけですから。





ありがたいことに、最近自分の身の回りにいる人はやりたいことにどんどん夢中になっている人が出てきました。

かれこれ7年ほどバイオリンを初めから一緒に励んできた仲間は高校の先生でしたが、定年まで数年あるところで早期退職されました。 

元々、ピアノをずっとやられてきて音楽には触れてきていたそうですが、昨年退職したの機にさらに管楽器を始められました。 

始めた理由は、「授業で一日何時間も喋っていたので、それがなくなってしまうから肺機能を鍛えたくて、それなら管楽器をしようと始めました。」と教えてくれました。

『自分の価値観の高いこと』と『健康』を見事に紐付けされていますから、素晴らしいですよね。


先日、その楽器での演奏を聴かせていただく機会がありましたが、彼女の演奏する周波数は会場の空気を変えました。

それは上手下手の話ではありません。

彼女の喜びが会場中に広がっていきました。
聴いている側の人間の体の細胞にまで喜びを届ける音でした。

「退職をしたらやろうと思っていたことが色々あったけど、練習したいから時間がいくらあっても足りないんです!」だそうです。

彼女はとてもイキイキしています。





私はリーディングで人のそれがなんなのかを読み取ることもできますが、そんなことせずともご自分で気づく事ができます。

今目の前のものと触れ合う


そうやって今を丁寧に生きていると、だんだん皮が剥がれていくように見えてきます。 



それが本来の自分を生きるということです。


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