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自ら選ぶことで人は成長する

「自らの意志で選ぶ」ということは、人を成長させてくれる人間にとって最も大切にしなくてはならない “ふるまい” である、と私は考えています。

ここ数カ月、コロナの第一波が残した傷跡のせいもあってスケジュールが極めてタイトになり、このnoteも10月に書いたきり少し間が空いてしまいました。

前回書いた「新陳代謝と延命治療」は若い頃からの私の持説だったのですが、今回、久しぶりに書こうと思った内容も、同じように私の若い頃からの持説のひとつです。

「資本主義が発達してきたことによって、人類は急速に進化してきた」というのがそれです。これは比較的若い頃、30歳くらいだったでしょうか。そのころからの私の基本的な考え方、持論のひとつになっています。

もっと若かった高校生の頃や学生時代は、社会主義こそが理想である、と考える私がいました。貧富の差をなくすことができるならそれは素晴らしいことだ、と思っていたからです。それにその頃はまだ、社会主義と言われている社会の実態をほとんど知らなかったことも、このような無邪気な考え方を持たせたのだと思います。

しかし、世の中のことが少しわかってきて、大学で教育学を学び、自分で事業を営む中で、「実は資本主義が発達してきたことによって、人間は自分の意志で自分の人生を選ぶことができるようになってきたのだ」と考えるようになったのです。

よく考えてみれば、近代以前は、それなりに発達してきた社会にあっても、自分の意志で自分の人生を選択できていた人というのは、極めて少数の特権階級に属する人たちだけだったと思われます。他のほとんどの人は、命じられたままに動くか、はめられた枠の中で動く以外の選択肢はそれほどなかったでしょう。

たとえば江戸時代、ほとんどの人は住む場所も職業も自分の意志で選択する余地は極めて少なかった、と考えてもよいのではないかと思います。それに、結婚相手もそうです。その時代、自分の意志で選択するというのはたぶん例外だったのではないでしょうか。

しかし、それに反して、資本主義が発達してくると、それ以前の時代に比べてはるかに多くの人が自らの意志で選択できる、もしくは選ばざるを得ない場面に多く直面するようになりました。もちろん選ぶことにはリスクが伴うわけで、必然的に選択と同時にそのリスクに向き合う機会も増えてきたのです。

自分で何かを選ぶというのは、当然のことながら上手くいかない時のリスクを伴うわけです。リスクを伴う判断、つまり自らの判断で失敗したときに人は本気で反省せざるを得なくなり、人として成長していく機会に巡り合うことになるのです。

当然のことながら、仕組みの上で、選択が可能であることと、その可能性を行使するかどうかは別問題です。自らの選択が可能になっている今の世の中でも、選択ができるにもかかわらず、選択を選ばずに放棄している人は少なくないのですから。

しかし、失敗することも含め、多くの人が必然的に選ばざるを得なくなる機会をより多く持つことによって人間は進化してきた、ということは確かなことであると思われます。

高校時代、資本主義の負の側面ばかりに目がいっていた私でしたが、今は、資本主義の発達により、さまざまな局面で「選ぶこと」をせざるを得なくなった人類は現代に向けて確実に進化を遂げてきたのだ、という人類史上の重要な側面を見逃すことができない、とあらためて考えているのです。


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