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日本シリーズ第1戦を終えて

34年ぶりの日本一がかかった大一番。僕などは前のめりに勝利を渇望してしまう。


だけど本当に大切なことって何だろう? 昨日の戦いを反芻する中でふとそんなことを思った。


第一戦。投手があれだけ頑張った分、5回の失点は悔やまれるものとなった。せめて松山が送球を前に落としていれば。あるいは昔のセオリー通りというか、短期の頂上決戦という状況を踏まえれば、無理な送球はせずに1失点に留めておく。そんな振る舞いも有りだったのではないか……。



だが……



すぐにこの記事を思い出した。リーグ優勝翌日に新聞に載った菊池の手記だ。


以下抜粋

「今季はここまで3失策。攻めなければ、シーズンゼロ失策の可能性があるかもしれない。でも、攻めない守備に何の価値があるのか。それは僕の信念だ」



繰り返しになるが、短期決戦は長丁場のペナントレースとは違う。細かい部分での1つ1つのプレーの差が積もり積もって、もしかしたら34年ぶりの歓喜を逃すことに繋がってしまうかもしれない。1つのプレーが持つ濃度が段違い。それが日本シリーズという舞台だと思う。



しかし、だ。



僕らが目の当たりにしているこの強いカープ。3連覇という、想像だにしなかったこの偉業を達成したカープとは、一体どんな存在だっただろうか。



菊池を筆頭に丸、誠也、野間、上本、西川、広輔など特にカープの若い選手は、本当に輝いて見える。味方が点を取った時、いいプレーが出た時、サヨナラの瞬間……。そして何といっても、新井さんの元で彼らがのびのびと日々を過ごしている。そしてその躍動が、笑顔がカープファンの心を鷲掴みにしている。新井さんがいう「カープという家族」というのはファンも含め、カープを愛する全ての人たちが形成した、共同体のようなものなのかもしれない。


そしてその共同体の中心にいる若鯉こそが、この強さの源泉であり、今のカープそのものと言っても過言ではないと思う。個々は強烈な個性を持ちながら、フォアザチームも決して忘れない。1人1人が輝きつつも、みんなで勝利を掴む喜びを知っている。外側からではあるがそんなカープを見ていて、長年ファンを続けている僕もこの3年間ずっと胸を踊らされ続けている。


勝ちたい、それは間違いない。だが、菊池に代表される最強カープの旗手たちが、仮に信念とは異なる戦い方を強いられたとしたら、それは負けること以上の損失なのではないだろうか。なぜならば僕らが愛し、属している「カープという家族」そのものの否定とも言えるのだから。彼らの強烈な個性と信念なくして、リーグ3連覇と今シリーズへの出場はなかったはずだ。そして何といっても、この強さは決して昔の常識では語ることが出来ない。実はそこが最大の価値だとさえ、僕は思う。平成も終わろうというこの時代に、新しい魅力と価値を発信し続ける選手たちに対し、最高の敬意と感謝の気持ちを持って、彼らが戦うこのシリーズを見守りたい。そんな風に思う。無論、その先に34年ぶりの歓喜が待っていたならば、この上ない喜びであることは言うまでもないが。


https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/27/kiji/20180926s00001173526000c.html

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