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【楽曲分析】1987→/スピッツ

何気なく作業中にスピッツのライブBlu-ray流してて、この曲が流れてきたが、ただただ泣いた...。気付いたらもう一回!もう一回!って5回以上はリピートしてた。

本当に今までのオレの人生観とリンクしていてすごく共感し、聴き入っていた。

ゆったり系だけじゃないスピッツ

スピッツというと、今や空も飛べるはずやチェリー、ロビンソンのようなフォークソングバンドのイメージがあると思われるが、もともとあの4人のやりたかったことはパンクロックのような激しい音楽である。

そして活動していく中で、草野マサムネさんがある時にブルーハーツのパフォーマンスを見に行った時に、一旦活動を辞めてしまう。(通称:ブルーハーツ・ショック)

まさに自分たちのやりたかったことを彼らに先越された!!っていうショックのもとで。

だけど程なくして立ち上がり、方向転換し今のようにゆったりロックというか、フォークテイストなロックをやるようになった。

ちなみに後のスピッツの曲の原型となったきっかけの一つが、"名前をつけてやる" の10曲目に収録されている"恋のうた" である。

この1987→こそスピッツ達がかつて憧れ目指してきたパンクロックを回想し、あの路線で曲を出したら...という想定で今の彼らが書いた曲である。

等身大の自分を表した歌詞

そして、歌詞にも注目してほしい。

"なんかこう派手で超カッコいいヒーローバンドのような、等身大より大きな存在に憧れ手を伸ばしていった。"

"しかしそれを限界と知って自分のスタイルを手探りで模索して今のスタイルに行き着いた。"

"そしてそれは、結成から30年経った今もこれからも続いている。"

...っていう内容を、この30周年アニバーサリーを機に自分たちの本当の原点である激しい演奏にのせて伝えている。

そう、色々変わっちゃったところはあれど、自分たちの芯は見失っていないんだなってところを思わせる。特に2番の

"無慈悲な鏡叩き割って そこに見つけた道"

っていう表現がすごく大好き。まさに、カッコつけようとしてたオレから卒業っていう共感性に溢れてくる。

派手なモノに憧れて追いかけ続けた日々

さてここからはどういうところに共感したかっていうところを、自分の音楽人生を元に語っていきたい。

自分はもともとGLAYやラルク、LUNA SEAなどの90年代V系に憧れて音楽というかギターを始めた。

そしてそれが派生してSIAM SHADEやJanne Da Arcなど超絶テクニカル系のバンドを聴き、そこから遡る形でドリームシアターやラッシュなどプログレメタルに傾倒していった。

大学時代では軽音の影響でエルレやテンフィなど最近のロックやメロコアを好む一方で、80年代のスラッシュメタルやイングヴェイ、Van Halenなど...、とにかくギターでタッピング、スイープなど派手なことをしてるバンドも割と聴き漁ってた。

自分がそういう超絶派手なピロピロ奏法に向いてないし、全然できてないくせに、そういうギタリストに憧れては追いかけていった毎日だった。

んでそういう気持ちって、ちょうど去年まで続いてた。実際はできていないっていう事実を隠し、意識だけ上向いてたような感じ。

大人びた存在への憧れは、"背伸び“ でしかない


去年あたりまで、オレは先ほど挙げたバンドたちに憧れ、ある時はスティーヴィーレイヴォーンやクラプトンのようなブルースに憧れ、またある時はツェッペリンやRainbow、ジェフベックにジミヘンなどああいうレジェンドロックに憧れ...。

なんていうかそういう渋くて大人びたかっこよさを、音楽始めた頃から背伸びして目指そうとしていた。

でも、去年音楽やDTM、ミックスなど色々な要素で大きな挫折をして初めて思った。大人びた存在への憧れは、あくまで"背伸び" でしかなかったよって。

自分の心の声を正直に聞いてみると、本当はそこまで先ほど挙げた人にハマりたいって思ってなかったんだと思う。

存在が遠すぎて深く掘り下げる気になれなかった

確かにレイヴォーンもクラプトンもVan Halen もかっこいい。オレもあんなふうになりたいとは思う。でも、じゃあヒビロックらしいか?って言われたらまた話は別だと思う。

実際、彼らの有名曲は知っていても、オタクになろうとはしなかった。たとえばVan Halen2とかWoman and Children Firstなどの収録曲がパッと出てこなかったりなど、本当はそこまで好きではなかったんだ。

認めたくない現実だろうが、実際そうなんだと思う。でも、オレはそれを悪いことだとは思わない。

なぜなら本当に自分が目指したい方向性が、この一年でようやくはっきりしてきたから。

自分が本当に目指していきたいこと

オレが本当に欲してる音楽って、心に響く曲である。

GLAYのpure soulのような、自分にとって人生とか生き方とか、何かそういうのを訴えかけるような曲。聞いてて心のおくそこから気持ちいいって思える曲。そういうのを求めてオレは音楽を探求している。


そして、そういう何かを訴えかけてかつ聞いてて気持ちいいって思える曲が多いのが、他の誰でもない、スピッツなのだ。

だから、ここ最近でオレのポストやおすすめ音源でスピッツばかり挙げるし、今のオレの音楽性の中にスピッツはかなりの割合で含まれる。

興味深いことに、実はテクい音楽を追求していた頃である大学2回生の時点でスピッツはコピーしてたので、あの時点でもうすでにほんとうの自分が垣間見えていた

Re:frogメンバーが残してくれたモノ


というか、そもそもスピッツを勧めて聞かせたのが、この前リリースしたあいまいな歌声に収録されてる月と校舎と菜の花畑や蒼のままでを作ったRe:frogのメンバーなのである。

もちろん、そのスピッツのコピバンでも一緒にやった。

後に4回生になってそいつにRe:frogをやろうって誘われたわけなんだが、そのバンドを通じて4年後にDTMへと形を変えて、それからさらに3〜4年経ちアルバムもリリースして、現在の自分の音楽スタイル形成しているなんて、本当に運命ってわからないものである。

そいつが教えてくれたスピッツの要素を取り入れ、Re:frogでオリジナル曲制作に対する壁を壊し、ゼロカラカンパニーと出会いミックス向上の知恵を授かり駆け抜け、無事アルバムリリース。

こうやってまとめるとオレの20代は甘美なシナリオに思えるな。ちょうどその後輩と出会ったのも、20歳の時(2014年)だし。

人生初のオリジナルバンド。
サブスク配信やDTMer交流の大きなきっかけを作ってくれた存在。

断言しよう。Re:frogとゼロカラカンパニーに出会ってなければ、オレのアルバムは完成しなかったし、それどころかDTMも初めてないかもしれない。改めて感謝します!

終わりに

今回紹介したスピッツの1987→のように、憧れの対象になれず方向転換して自分らしさを見つけていくというスタイルにも共鳴して惚れ込んだのかもしれない。

本当に、心の一曲にであったと思う。これからも大切に聴いていきたい。

ヒビロック