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【感想】テレ東若手映像GP特番『島崎和歌子の悩みにカンパイ』

テレ東若手映像グランプリの優勝特典として深夜に放送された特番。
『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』でお笑い好きにその名を知られることになった大森時生ディレクターがコンペに提出したのはネラワリ国という架空の国のクイズ番組。
なぜか日本に関する出題がやたら多いw
ネラワリ語という架空の言葉まで言語学者の先生と一緒に数ヶ月かけて作るというアクロバティックな作品だった。

ネラワリ語は考察班が生まれるほど一部で熱狂を呼び、見事優勝して今回地上波で特番枠が設けられることに。

番組名は『島崎和歌子の悩みにカンパイ』
もちろん(?)これはダミーで、YouTubeで開催されたコンペでは違法アップロードという体(てい)にしていたネラワリ国の番組を、今回は電波が混線してしまったという設定で地上波テレビで流している。

日本語とテロップ演出

さて、この番組を語るには色んな切り口があるかと思うが、自分は学生時代にほんの少しだけ自然言語処理や言語学をかじっていたこともあり、ついついその視点から見ていた。

まず、架空の言語というアイデア自体には世界的な大先輩がいる。
ツイートにも書いた『スタートレック』シリーズに登場するクリンゴン語。
トレッキーと呼ばれる熱狂的なファンの中にはクリンゴン語を喋れる人もいるというから驚きだ。

例えば下記ポッドキャストで丸屋九兵衛がクリンゴン語を話していますねw

🖖

今回はそれをバラエティ番組に適用したのが新しいわけだが、冷静に考えるとNetflixやAmazonプライムで海外のリアリティショーを見慣れている現代の視聴者からすると「聴いても分からない言語のバラエティ番組」というのも実は珍しくはない。
視聴者がリスニング能力を備えていない言語である限り、それが英語だろうがスペイン語だろうがネラワリ語だろうが「知らない言葉の番組」という点で本質的には同じである。
では、この企画の本質は何なのか?と考えた時に僕はテロップ演出という説に辿り着いた。

現在日本の多くのテレビ番組に導入されている(日本独自の文化・風習と言っていいであろう)出演者が喋った言葉をそのまま書き起こすなぞりテロップと呼ばれる手法は『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』a.k.a.生ダラが元祖と言われている。
生ダラはもしかしたら「どこもやってないし面白いんじゃね?」ぐらいのノリだったのかもしれないが、これが非常に効果的だったことは歴史が証明している。

当たり前だが番組を作る上でテロップを作成するのはコスト(手間もお金も)がかかる。
まぁ現在はもはや半ば慣習として「そりゃテロップは入れるもんだろ」となっている可能性も否定できないが、少なくともここまで定着したのは日本語の特性があると思う。

日本語は聴覚情報的には“弱い”言語である。
音韻・音素が少ない。
例えば、英語を勉強して最初にぶつかる壁であるLとRの発音。
日本語ではどちらも「ラリルレロ」で区別が無い。
sとthもそうだ。
singleはシングルでthinking timeはシンキングタイムという表記になるように日本語ではどちらも「シ」の音になる。

しかし一方で日本語は視覚的には“強い”。
それは文字の種類が豊富だから。
漢字ひらがなカタカナ
さらにalphabetも使える。
そういう意味でバシッと視覚的に情報を伝えるテロップ演出は日本語と相性が実に良い。
テロップ演出がここまで定着したのは視聴者も無意識に日本語の視覚的強みを楽しんでいたのだろうなと自分は考える。

かの森田芳光監督は「洋画が人気なのは字幕を読むという行為それ自体が一つの映画体験として楽しまれているからではないか?」という超大胆な仮説を基に、画面全体を文字だけで埋める演出を『(ハル)』で披露している。

※この辺りの話は書籍『ライムスター宇多丸の映画カウンセリング』を大いに参考にしています。

話を戻すと、自分が理解できないネラワリ語のテロップ(そして見たところ文字の種類も豊富ではなく視覚的情報にも乏しい)は一見バラエティ番組っぽい画面になるものの、こうも効果を実感できないのかと。
どんなにテロップが出ても何も分からないw
テロップで番組の面白さがドライブしていく感覚が全く無いw
これはAmazonプライムやNetflixで海外の番組を見ても得られない摩訶不思議な体験だと思ったのでありました。

『ここにタイトルを入力』の原田Dと

さて、もう一つの話題。
放送時期が重なったこともあり、お笑い好きならつい語りたくなるフジの原田和実ディレクターとの比較論。

原田Dも『ここにタイトルを入力』で斬新な企画を連発している。
まだ3〜4年目の若手という点も同じ。

上の記事の中で僕は原田Dの持ち味を「番組作りのプランをどこかで折り、それをリカバリする過程を企画にするスリラー作劇」と書いたが、大森Dはそういうタイプではない。
奥様ッソにしてもネラワリ語にしても別にそれをやる必然性は番組上は特に無い。

大森Dの企画は叙述トリックに近い。
視聴者への挑戦状。
『奥様ッソ』はフェイクドキュメンタリーだし、今回に至っては電波の混線で番組が乗っ取られた件は最後まで説明も種明かしも無い。
ネラワリ語もウェブ上に資料は用意されているが番組上は一切翻訳されない。

ちなみに「島崎和歌子の悩みにカンパイ」でツイッターを検索してみんなの感想を見ていたら電波事故を疑ってテレ東に電話をしたという人がいた。
会社から怒られた可能性もゼロではないが、視聴者を騙したという点では叙述トリック大成功w
この辺りは番組冒頭に「出演者とディレクターの打ち合わせ」という体で種明かしを持ってくる原田Dとは対照的。
(原田Dの企画でも『クイズ・ファイブセンス』は種明かしが番組中盤だったけど)

だからこそダミーの企画も重要なのだ。
感想を眺めていたら「島崎和歌子がラッシャー板前の悩みを聞く企画が十分面白そう」という点をややネガティブなニュアンスで書かれているものがあったけど、叙述トリックなんだからそこはきちんと成立してないといけない。
(まぁこの番組を楽しみにしてる層にはもう手の内はバレてるんだけど)

非常に私事というか手前味噌で恐縮なのだけど、今年になってすぐ『東野幸治のホンモノラジオ』にリスナー生電話企画で参加して東野さんに『奥様ッソ』を紹介する機会があった。

そこで私が「声優の金田朋子さんのロケVTRをスタジオでAマッソが見る番組」と言ったとき即座に「それは悪意あるブッキング」と東野さんがおっしゃっているようにその企画はその企画で成立していないといけないのである。
そうでないと「ドッキリのニセ番組がしょぼすぎる」みたいなケースと同じでミスリードにならない。
(まぁこの番組を楽しみにしてる層には以下略)

興味を惹きすぎてもいけないし、何も知らない視聴者が「暇だしちょっと見てみようかな…」程度には引きのある絶妙なライン。
まぁ今回は尿酸値の話をはじめラッシャー板前のトークが普通に面白そうというのは僕も思いますw
と同時に、この番組を楽しみにしていた層の大半も視聴前は「島崎和歌子とラッシャー板前のトークは興味ないけど今回はどんな仕掛けが見られるんだろう?ワクワク!」となっていたであろう事へのカウンターとしても効いている。
ネラワリ語わからないはずなのに出てくる芸能人のイラストとスタジオのやり取りから何となく話されている内容が推測できてしまう作りも含めて、悪意は我々の中にこそあるのですw

放送予定だった納品版どこかで見れないかな?

最後に一つ。

先日の『空気階段の料理天国』然り竹村武司という人もまた食えない方である。

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