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幕末戊辰の出来事を勝手に7つの習慣やレゴ®シリアスプレイ®と結びつけて強引に書いていく<1>

こんにちは。自分自身それほどこだわりがないと思っているほうですが、周りから見るとそうでは無いようです。自己分析など当てになりませんね。


あまりにも無謀であまりにも強引だけど。

以前より書いてきましたけれど幕末、特に戊辰戦争に関してとても興味があります。先日も図書館で何冊も借りてきてはひたすら読み、そして出来事が発生した場所をGoogleマップの機能「マイマップ」でプロットしていくのです。そこでこの幕末戊辰の出来事について書いていければと思っています。

中野区図書館には本当に多くの幕末戊辰物があります。

とは言えこのnoteは7つの習慣とレゴ®シリアスプレイ®について書いているわけです。なのであまりにも無謀であまりにも強引ではありますが、これらふたつに関連付けていければなとも考えています。まあまったく想定もできていないので、いつ終わるかわかりませんがどうぞよろしくお願いします。

黒船来航というファーストインパクト。

真っ先に書いていかなければならないのが黒船来航です。今から171年前の1853年。マシュー・ペリー率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊が浦賀沖に現れ、この久里浜に上陸しました。とにかくこの出来事が幕末という時代がスタートさせ怒涛の16年へと続く。まさしく「幕」を開けたわけですね。

マシュー・ペリー上陸地(2014年撮影)
黒船に乗り込もうとした方もいましたよね。

人間どうしてもファーストコンタクトでは戸惑いますよね(まあオール日本人だとすれば黒船以前に何度も外国人とは接触はしている)。最終的にはこの出来事によって日米和親条約の締結(のちに大きな問題になるのですけど)に至るわけなのです。我らの先輩方はどんな行動を取ったのだろうか。

幕臣の働きに惹かれる。

ファーストコンタクトで取りがちな態度をスティーブン・R・コヴィー博士は7つの習慣のなかでこう書き記しています。

初めて会う人や同僚に対してであれば、格好をつけ、それらしく振る舞うことができる。できるふりをすることも可能だ。しばらくの間だけなら、少なくとも人前ではそれを何とかやっていけるだろう。自分を欺くことさえできるかもしれない。しかしほとんどの人は本当の自分を知っているものだし、一緒に暮らしている人や職場の同僚なら、真実の姿に気づく。

スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣 人格主義の回復」
インサイド・アウト 成長と変化の原則 より引用

自分を卑下してしてしまうとどうしてもうまくその場を取り繕うことを考えてしまいがちですし、逆に自信過剰だと奴らを打ち払えということになってしまう。そういう点で見ると黒船来航時に浦賀奉行所与力である中島三郎助を中心とした一部の幕臣の働きに惹かれてしまうんですよね。まさに中道。

※いきなりここから入ると訳わからないでしょうが、貼っときます。

なんとなく史観で育てられてきた身としては「幕府に人無し」という言葉に踊らされてきた気もします。少年期から日本の歴史に興味を持ち、大人になって幕末戊辰の書籍を読み漁って色々と学んだけれど時間の経過とともに忘れ去られていきますね(今や昭和人と織田信長は歴史上同列なんですって)。

開国と攘夷。シナジーは生めるのか。

この時期から開国か攘夷かの議論(だけじゃないのですけど)がはじまっていきます。もちろんひとりひとりの考え方、その考えが組織となって大きくなっていくことに良い面と悪い面があるのだと思います。答えがひとつじゃないときにどうやって導き出すのか。いつの時代も対話は重要ですよね。

もしこの時代にレゴ®シリアスプレイ®メソッドが存在していたらこの両側面にどんな変化を生み出せただろうか。もしかしたらその場で切・・・とか、もしかしたら鳥羽・伏見の戦いは・・・とか、幕末好きとしてはそんなことを妄想してしまいます。こんな関係同士でもシナジーは埋めるのか。興味津々です。

最後に。

明治となり、一部の幕臣は新政府の一員として日本という国を強くしていくことになる。人無しと揶揄されながらも手に入れたノウハウは日本各地で活かされて今がある。

ちなみに中島三郎助は、新政府からの降伏勧告も撤退勧告も拒否し、1869年に函館五稜郭付近の千代ヶ岡陣屋付近で長男次男と戦死。最後は幕臣としての死を撰択したわけです。既に終わりを思い描いていたのでしょうね。

函館、中島三郎助父子最後之地(2015年撮影)

この企画、続くんかな・・・(笑)

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