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他クラブのチャントが気になり過ぎてしまうことについて。

あまり閲覧時間が多いわけでも無いけど、SNSなどを見ていると、応援しているクラブ以外のチャントについての書き込みを目にする。もちろん肯定否定両論ある。異論はない。だけど、その時間を利用して自分の愛するクラブの一部始終を入手したほうがいいのかなとも思ったりする。

ヒト属で現存する唯一の種「ホモ・サピエンス」である以上、良くも悪くも「他人の芝が青く見える」のは生物学上仕方のないことだ。加えて、うちのクラブのチャントは、この三〇年間、常に魅力的でもあったのだから。そう考えておけば合点のいくことも多いのかなと感じてもいる。

とにもかくにも、世の中を俯瞰して見ている人で溢れ過ぎている。世界はいま評論がほしいのではなく、その中に入って「変えていける」人物なのだと思ったりする。例えばチャントが良くないのなら、違うチャントを提案すればいい。ただそれだけのことだけど、果たしてどうだろう。

自分自身も類に漏れず、神のような問答をおこなえると思っていたり、この世に無くてはならない存在だと自負して、虚構を生み出す手伝いをしていることも否定できない。良い悪いだけで判断してしまって「どうしたら良くできるのか」を放棄し、他人にその責を課してしまっている。

だからこそ毎週、その審判を受けるかのごとくツイッタースペースで話し続けていると言っても過言ではない。これは自分自身への戒めだ。ホモ・サピエンスは人への愛、自クラブへの愛を、その虚構をもって増長させることさえもできる生き物だ。愛するクラブと一緒に歩めばいい。

時代が変遷してクラブへの愛の示し方が少しずつ違う色になっていくのも当然のことである。でも、こんな時だからこそ今を大事に生きてほしい。たとえ他クラブのチャントが気になってしまうとしても、だ。もっと自クラブを自クラブのチャントを愛してあげたほうがいいと感じる。

それでもうちのチャントが気になり過ぎてしまうのなら、それはもううちのクラブへの愛だと気づくべきだとも思う。眠れない夜を過ごすくらいであれば今すぐ桜のユニフォームに袖を通すべきだ。自分に正直に生きていい。もう振り回されるな。うちのゴール裏には、愛が溢れている。

NEVER STOP,NEVER GIVE UP

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