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立ち止まり「自分」に向き合った1年間

2018年は主に、
・大学に行って好きなことを勉強したり
・生まれて初めて海外に行ったり(気づいたら1年で3ヶ国)
・スタディクーポンでボランティアしたり
・NPOカタリバで学生職員として働いたり
していました。

大学3年生になると就活がはじまっていきます。とはいえ、見ての通り就活らしいことは何一つしませんでした!

インターンのお知らせのメールが〇〇ナビからどしどし届きました。家にも合説やらインターンの紹介やらが大学生協から送られてきました。ぜーんぶ無視しました。

今までは就活なんて無縁な生活をしていた友人たちが「ESどうする?」「どこのインターンに参加する?」などと話すようになり、外資系で就活している人と飲みに行けば聞いたこともないような横文字が行き交うようになりました。黙って頷いて聞いてました。

正直、かなり不安でした。

自分はいま、なにしてるんだろうって。
NPOで学生職員をしている場合なのだろうか、
インターンに行かなくていいのだろうか、
就活相談会(?)に行かなくていいのだろうか、
院に進むことを考えてもっと勉強したほうがいいんじゃないだろうか。

そんなことを考えても、実際に就活のイベントに足を運ぶことはありませんでした。院に進むために猛勉強したわけでもありません。

しなかったというよりは、できませんでした。
「就職」「院進」という目標に向かって努力することができませんでした。どちらもしたくないわけではありません、むしろどっちに進んでも楽しめる気がします。

ただ、目の前に見えているレールに沿って、そのまま進むことに対して違和感がありました。周りの期待する速さに、僕が追いついていけなくなりました。僕の中で整理できていないのに、周りから「あれやれ」「これやれ」と言われているような感覚です。こっちはまだ就活するとか、将来何するかなんてわからないよ!と半ば逆ギレ状態でした。

しかも「わからない!だけど、とりあえず就活する」ということはしたくないというワガママっぷりを発揮しました。

そこで一度、レールから降りてその場で立ち止まることにしました。
自分自身がどの方向に進んでいきたいのか、どんな風に進んでいきたいのか、何度も自分自身に問うことにしました。

もしかしたら結局もともとのレールが向かう先と同じ方向を目指すのかもしれませんが、自分自身で納得してから進もうと決めました。進み方も周りに合わせるのではなく、自分の好きなように進んでいこうと決めました。

ぼくの携わっているカタリバの活動では、高校生に対して似たような時間を届けることがあります。「地元の中学から、高校に進学して、この先は地元の〇〇大学に進む。」そんなレールに乗っている生徒がいます。レールに沿って進むことを否定はしません。ただレールに乗って進んでいくと、知らず知らずのうちに、その子の大切にしたいことが抜け落ちてしまうことがあります。だから「一度立ち止まって、あなたが大切にしたいことを見つめ直してみよう」と生徒に伝えます。

高校生には120分のプログラムで提供していますが、僕の場合その「立ち止まる時間」が少し長くなりました。1年近く立ち止まっています。

2018年は立ち止まり、ゆっくりと自分に向き合いました。カタリバの人にも向き合ってもらいました。カタリバでは、大学生同士よく深いテーマの話で盛り上がったり、誰かの人生について真剣に聞いたりする機会が溢れています。それに立ち止まることを許す環境でもあります。

そんな場所に身をおいて、高校生に向き合い、大学生に向き合い、そして自分に向き合いました。同時に向き合われました。

できるようになったことが明確な1年ではありませんでした。

でもこの1年があったおかげで、自分と向き合うこと、自分を大切にすること、自分に素直になることが身についてきました。僕に向き合ってくれる存在の大切さ、他人に向き合うということも少しずつ当たり前の感覚になってきました。

もう十分に立ち止まったと思うので、そろそろ次の1歩を踏みだす頃合いだと思っています。2018年、ありがとうございました。

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