見出し画像

国際政治の公用語を日本語にしたら、争い事は減るだろう(やまとことばの力)

私が住むブラジルには、日本から視察や調査でさまざまな訪問客が来ますが、接待する日系人の日本語能力も時代とともに弱くなっていますから、難しい言いまわしは避けるべきでしょう。

これまでに聞いた最もひどい例を挙げれば……養蜂の専門家がブラジルに来て、日系二世もいる席で、ミツバチは“ホーカセーコンチュウ”だと言ったのです。

「訪花性昆虫」
こんな和製漢語は普通の日本人でもピンときませんが、特に二世に話すときは「花に来る虫」とやさしく言うべきでしょう。

また例えば、農業技師が「砂質土壌」だ、「酸性土壌」だと言えば、そんな泥鰌はどこにいるのか……と内心思うことでしょう。

もちろん、日本語の不得意な外国人に話すときでも、現金ではなく「お金」、飲料水ではなくて「水」、駐車場ではなく「車を止めるところ」、といわゆる【大和言葉】を使った方が通じやすいと思います。

「日本語」は長い年月をかけて、共同体の中で争いを避けながら使われてきた言葉ですので、角が立たないように、はっきりとしたもの言いはいたしません。

また、基本的に「日本語」は、“もののあはれ”や“花鳥風月”など、風情(ふぜい)を表現する情緒用の言葉であり、『枕草子』や『源氏物語』などの古典文学も、女性向けの言葉を使っています。

だから、“No”がない、遠回しの言葉ともいえましょう。

ですから、旧日本軍は大和言葉をほとんど使いません
靴は「軍靴」(グンカ)、編み上げ靴は「ヘンジョウカ(編上靴)」というそうですが、昔の軍歌や寮歌や校歌なども、元気が湧くタイプの漢語の歌詞ばかりで、一方の歌謡曲や演歌などには大和言葉が使われてきました。

ミッドウェー海戦で日本の空母四隻を沈めた米海軍将校が、「日本軍はあいまいな日本語などを使っているから負けたんだ」と言ったそうです。

確かに日本語は喧嘩には不向きな言語ですが、平和には向いています

日本語を学んだ外国人が「性格が優しくなった」という声はよくささやかれることですが、国際政治の(例えば国連の)公用語を日本語にしたら、おそらく争い事はだいぶ減ることでしょう。

私は長年、ポルトガル語という西欧語と日本語の二つの言葉を使って来ましたから、日本語の特徴を日ごろから肌で感じているのです。

【今日の名言】
「耳に入るのは耳の痛い言葉ばかり、することなすこと思うようにいかない、という状態の中でこそ、人間は磨かれる。」

「耳に入るのはお世辞ばかり、することなすこと思いのままという環境ならば、知らぬ間に毒に侵され、一生を台無しにするだろう。」


※編集協力
和の国チャンネル


お読みになって頂きありがとうございます。宜しくお願い申し上げます。