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旅行ではないなにか

旅行に行くとなると、限られた日数、時間の中でできるだけ旅行先の魅力を堪能しよう、見たことないモノを見ようと、必死になるものだ。

それが旅行の醍醐味。全力で観光する。時間を一秒でも無駄にしたくない。当然である。

しかし、時に旅行中にそんな現状に辟易する。

なぜだろう。

普段すごく仲の良い人たちがイライラを募らせ口論している。必死が故につかれるし、予定通りにうまくことが進むはずもない。うまくいかない自分にいら立っていたり、一緒にいる人の熱量の違いに戸惑っていたり。いろいろあって概ね楽しいんだけど、なんだかうまく手放しで楽しめない。

そんなアンビバレントな心情に、旅行の経験としての奥深さがあると思う。

一方で旅先を最大限楽しむためには、「旅行」をしないことが大切だと思う。僕たちは普段自分たちの暮らしている街を旅行しないし、でも街での暮らしを楽しんでいる。旅先でも一緒だと思う。その街での暮らしをありのままで楽しめばよい。行動範囲は狭まるかもしれない。有名観光スポットにはいかないかもしれない。でもそれでいいと思う。

例えば、僕もいきたいのだがウユニ塩湖に行きたいと思っている人がいる。そのひとが旅行に行くと、ウユニ塩湖以外の有名観光地にも足を運んでみたくなる。当然だ。せっかく行くならいろんなところを見てみたいし、そうでなければ南米なんて遠いところに長い時間かけていったのにもったいない。そう思うだろう。

しかし、行きたかったのはウユニ塩湖だけではなかったか?

まあ、当初の目的なんてどうでもよいといえばそうなんだけれども。旅行でない違う形でその目的を達成する選択肢はないのだろうか?ウユニ塩湖で最高にインスタ映えする写真を撮るためだけに10日ずっといる。とか、ただ同じ場所で景色を眺めるだけの10日間。とかあっても良いと思う。もうそれはなんだか「旅行」ではない気がする。でも帰ったら本当にウユニ塩湖を楽しんだと至上の満足を味わえるだろう。これが、旅先を楽しむということなのではないかなあと僕は思う。

でも、「ここ行ったことがある」という経験はかけがえのない満足感を与えてくれる。多くの場所に行ったことがある。この有名な景色を見たことがあるという経験をシェアするのは楽しいし、それについて語り合うのも楽しい。いろんなところを一生懸命旅する「旅行」は経験づくりとして最高の時間の使い方だと思う。

自分の知らない場所に旅するのはそれじたい素晴らしい。今までの「旅行」だけにとどまらず、いろんな旅先での過ごし方を考えてみると、旅というエンターテインメントの可能性が無限大に広がっていく。

ゴールドコーストへの旅が楽しみだ。




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