90年代を追いかけて

※この記事は多分想像してない内容になっていると思います!

最近書きたいこといがたくさん出てきたのだけど、仕事終わりのぐったり感のせいでなかなか書くことができなかった。
土曜日に一日中睡眠をとり少しだけ回復したので、書いてみよう。

最近浮かび上がった疑問がある。
自分はなぜ、90年代カルチャーに惹かれてしまうのか。
そして、それを改めて見つめ直してみたいと思った。
そのきっかけになったのが、東京オリンピック・パラリンピック開会式の楽曲担当を務める小山田圭吾の学生時代のいじめに関するインタビュー記事がネット上で話題になったことだった。
時事に敏感な人であればここで詳細を書かなくとも、記事に付随して議論されている90年代サブカルや悪趣味ブームまで追えていると思うので説明は省略します。

実際に90年代の空気をリアルに体感した人たちの発言は、私がそのあたりの時代に抱いていたイメージというか、幻想のようなものを改めて考え直すきっかけとなった。
90年代というもののどこに惹かれてたんだろうなー。
音楽、雑誌、インテリア、ファッション。
何も考えることなく、現代の視点から過去を見てみると新鮮に感じただけなんだろうけど。

それで、なぜ惹かれるのかをちゃんと考えてみた。すると、ひとつの結論が出た。

あの頃の「家族」を探している…のか?

ほほーん…そういうことか。なんだかすっごく納得できた。
90年代のものに触れること=私は赤ん坊で、家族がはじまったばかりの頃。
現在の我が家の在り方が形成される前の状態に出会いたかったのだろうか。
衝撃の最終回を迎えることも知らず、純粋に楽しんで見ていた第一話に戻りたい、といった感じなのだろうか。
あの頃の音楽やファッションに触れて、あの頃を追い求めているのだろうか。んーー。

こんな感じで書くと家族崩壊してる感が出てしまうがそうではない。
崩壊というよりも…変容だ!無常とはこのことかと受け入れざるをえない、家族はしっかりと時代とともに変容した。

90年代へ胸を馳せて「家族探しの旅」に出てしまっていた今までの自分。
「なんてバカげてるんだ!あんたがいるのはここ、今だろ!」と気づいてから、自分の部屋の本棚に並べられている古本屋で購入した「STUDIO  VOICE」が横目に入り、まとめて捨てたくなった。

で、もうひとつ、気づいたこと。
私はやらなきゃダメなのは、過去を懐古することで現状から距離を置くのではなく、変容する世界であっても、決して「変わらないもの」を守っていくことなんじゃないか、と。
そこさえできれば、いくら時代が変わっても、ちゃんと家族でいられるんじゃないかな

と、思うのでありますっ!!!(ケロロ軍曹!!!)

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