すれ違う廊下の彼女

小学3年生から5年生までの間、毎週水曜日の夜、ぼくは空手の教室へ通っていたことがある。
近所のともだちについていったのがはじまりだった。白い道着、黒や茶色や緑色の帯を締めたひとたちが声を上げ、拳を突き出している。
新鮮な世界に惹かれ、ぼくも道着を着たくなった。
通い始めるとすぐに新鮮味はなくなり、広い市民体育館を駆け回ったり、物置に忍び込んだりするほうが楽しくなった。できることならやめたいのだけれど、許されなかった。
やりたいと言ったのはあなたなのだから、そう簡単にやめてはいけない、続けなさい、という訳です。

空手には型と呼ばれるものがあって、まずはそれを覚える。型にある動きのひとつひとつは、身を守るための動きであったり、相手に向かって放つ動きであったりして、組手と呼ばれる試合に生かされる。
すべての基礎であるとっても大事なものなのだけれど、この型を覚えることがちっともできなかった。
きっちり正確にみんなで同じ動きをすること、決められたところで一斉に声を上げること、それがどうにも恥ずかしくて、稽古場の壁に取り付けられた木製バーに上ったまま、上からみんながやるのを見ていた。
真剣な目をして、ばすっばすっと道着のこすれる音を立て、切れ味の良い動きをするひとがいた。
同じ小学校に通うぼくのひとつ年上、稽古場で唯一の少女、Nちゃんだった。
学校で見かけるときはいつもおとなしい様子で、決して目立つ訳ではないのだけれど、空手の稽古場では誰よりも輝いていた。
とにかく動きが美しいので見ていたくなる。
お手本として、みんなの前でやってみせるよう、先生から頼まれることもよくある。
先生の動きより、Nちゃんのほうがかっこいいとぼくは思っていた。

ショートカットのNちゃんはいつもズボンを履いていた。デニムのサロペットが多い。それに、キャップをかぶるのが彼女のスタイル。
見た目は少年のようだけれど男の子と仲良く遊ぶというのでもないし、女の子と遊ぶというのでもなく、思い出すのはいつもひとりで学校の廊下を歩く姿だった。いったいどうすればいいのか、となにかを考えてるみたいな顔をして。

新しい型を覚えようとしているときのNちゃんはいつもにも増して真剣なので、どうやっても本気になれないぼくは感心を通り越して、呆れてしまう程だった。
先生がやるのを後ろで見ながら、ぼくたちは同じようにやるのだけれど、ぼくの手は逆さまだし、前に出るところを下がってしまうし、それわざとやってるなと思われるのだけれど、ふざけているのではなくて、ただできないのだった。

誰が言い出したのか、空手に通う同じ小学校のみんなで1度だけ、クリスマス会というのをやったことがある。
各々プレゼントをひとつ用意して、ぼくの住んでいた家に集まった。
Kくん、Tくん、Iくん、空手やってないけど面白そうだからとやって来たIくんのお姉ちゃん、空手やってないけど面白そうだからといって来たSくん、それからNちゃん。
歌ったり、遊びながら、サンドイッチとチキンを食べた。Sくんのお母さんが作って届けてくれたケーキも食べた。
その日のNちゃんはスカートを着ていた。
キャップもかぶっていなかった。
にこにこと楽しそうだった。

空手をやめてから、Nちゃんとは廊下ですれ違うことしかなくなって、そのうちにNちゃんは卒業した。
やがて、中学生になるとひとつ先輩のNちゃんとはまた廊下ですれ違うことがあった。
髪が長くなって、後ろで結んでいた。
考えごとをしているようではなく、ぼくを見ると微笑んでくれた。

空手をやっているNちゃんがいちばん輝いていて、素敵だと思っていたぼくは、そうではないのだということを知った。

クリスマス会が終わって、自転車に乗って帰っていくNちゃん。
何度も振り返って、手を振っていたね。

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