ずっと読みたかった本の途中で

こんばんは。
いつもは日曜日ですが、ときには火曜日に。
読みかけの本を閉じ、これを書きます。

ニューヨークのことが好きで、
ニューヨークのことがきらい
という女性が登場する本です。
好きで、きらい。
どちらもじぶんの気持ち。
複雑で、ややこしい。
女性は困惑しています、そんなじぶんのことを、不幸せだって。

女性は9歳の女の子の母親です。
彼女は娘に、こわい、といいます。
こわがっているのがわからない?と。
何がこわいのか?
娘に問われると、彼女は正直に答えます。
自分のことがこわいのだと。
自分の生き方が。
だらだらと生きてきた、そのやり方がこわいのだと。

ふむ。
彼女は舞台女優として活躍したいのです。
もっといえば、大女優と呼ばれる存在になりたいのです。
そのことを思い、送った時間のことを、だらだらと生きてきた、と呼んでいます。

というのも、悟ったからなのだそうです。
願いを実現するための能力が、彼女にはないということを。

彼女はじぶんの娘に隠さず話します。
隠す、ということがどういうことなのかも知らないみたいに。
ありのままを語ります。

簡単にできることじゃないなって、思います。
ぼくだったら、言葉を選んでしまうでしょう。
なにかを伝えながら、伝わらないようにするために選びます。
それには、相手を心配させたくないという理由があるのですが、なぜ、心配させてはいけないのだろう、とも思います。
彼女のやり方はぼくとは違います。
感じていることを、ありのまま、言葉にするのですから。
不安も、後悔も。

それに、彼女はこれまで考えたこともないことを考えはじめています。
そんなことをするひとを軽蔑していたようなのですが、じぶんの子どもが舞台に立つことを支えることについて、困惑しながら、娘に話します。
彼女に声はかからないのに、なんの経験もない娘に声がかかったのです。

この本はまだはじまったばかり。
ぼくの気持ちとしては、全面的に彼女を応援しています。
彼女と同じ境遇ではないけれど、彼女の気持ちがじぶんのものであるように感じるのです。
これから、彼女がどうなっていくのか知りたい、というのは、ぼくがどうなるのか知りたい、ということと、ほとんど変わらないような気がします。

ぼくは彼女のようではありません。
彼女のように、正直ではないし、弱さと考えられるような面を露わにすることが苦手です。
彼女は理想の女優にはなれないのかもしれないけれど、どんなに素敵なひとか、読んでいるぼくは知っています。

この本は、長いこと本棚にありました。
ときどき手に取り、最初の数行を読むのですが、どうも読み心地が良くなくて、再び本棚に戻す、ということを繰り返していました。

数日前、ふとこの本を手に取りたくなり読み始めると、これまで得たことのない感覚で読むことができました。
ひとつひとつの言葉がするすると体に入ってきて、登場人物の感情がくっきりと見えるように感じるのです。

きらきらときらめく一行があちこちに散りばめられています。
この本を書いたのはウイリアム・サローヤン。
題名は、「ママ・アイラブユー」

大女優になろうとしていた彼女は、これから9歳の女の子の母親として、思い悩み、決断し、ひとつひとつと向かい合い、彼女の言葉で娘に伝えていくのかなあ、大切なことを。

それでは、続きを読むことにします。

おやすみなさい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?