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自由意思について


自分の選択なんて実はなかった。という事を思い始めてしばらく経ちます。

表現することへのためらいがあり、献さんぐらいにしか話していませんでした。

最近、自由意志のなさが確信になってきたので、少し書いてみます。

私は私が様々なものを選択して生きていると思い込んで生きてきました。
しかし、例えば脈拍の速さ、湧き上がる思いや感情は私の意思ではコントロールできません。
どんな親や家系から生まれるか、どんな肉体、背が高い低い、骨の太さ、性別、声、何一つ私は選んでません。
どんな事に興味を持つのか、どんな相手が好きになるのか、食べ物、絵画の好き嫌いもすべて私の意志で決めたものではありません。

今日の天気、風の具合、電車の混み具合、全部私以外のところで決まり、私に影響し、私の汗を拭くという行動が起きる。

その後になって私は、汗を拭くという無自覚な行動は、私の選択により起こったのだと誤認するのです。

つまり、映画はすでに上映されていて、映画のシナリオを決め、見ている人がいる。

それこそが、本来の私なのです。神とかワンネスとかブラフマン、真我などなど好きに呼べばいいと思います。(どうせ言葉で定義できるワケはないのだから)

そして、映画の登場人物である有吉正樹に感情移入して、喜怒哀楽を楽しんでるのがエゴです。

なので、エゴは幻。

幻であるがゆえに、強い刺激やドラマを求めるのです。
未来とか努力とか成功、悲劇や病気も大好物。

この世を生きるとは、エゴを楽しむこと。
あえて感情移入して映画を楽しむ。

喜びも悲しみも、ただ楽しもう。

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