まさ@有吉正樹

福岡で暮らし始めて20年を越えました。 優しいお父さんになるのが夢です。

まさ@有吉正樹

福岡で暮らし始めて20年を越えました。 優しいお父さんになるのが夢です。

マガジン

  • NVC失敗(※)の日々

    NVCを実践する中で、沢山の失敗をしてきました。そして今も。そんな珍道中を記録していきます。 ただいま、NVC失敗クラブ部員募集中!! 部員の資格は失敗談を書くだけです。 これであなたも立派な、NVC失敗クラブの部員です! 失敗(※)とは NVC的には、失敗は判断と考えられますので、「自分の願った通りにNVCが出来なかった」とい書くことがお勧めされると思いますが、一般の方からすると、なんのこっちゃ?となる、NVCオタクのこじれた記事が展開されます。

  • NVCを語ってみた

    NVCに関することを語ってみました。

最近の記事

2024.1鈴木重子・案納献のNVC講座を終えて(その4)

1月8日(月・祝)午前 リメンバリングで、重子さんの歌声に聞き入ってしまいました。 質疑応答の後、今回の本題である「嘆きのサークル」に移りました。 午前中に行うか、午後に行うか、ぎりぎりまで話し合っていた重子さんと献さんがいました。 「嘆きのサークル」の時間は、いつも神聖で尊いと感じます。 この時間の詳細については、控えさせていただきます。 1月8日(月・祝)午後 質疑応答と、持ち帰るものについて話し合い、チェックアウトする時間になりました。 チェックアウトでは、皆

    • 2024.1鈴木重子・案納献のNVC講座を終えて(その3)

      1月7日(日曜)午前 中核となる「NVCの目的」についての説明がありました。 何度聞いても、この部分は圧巻です。NVCの目的や意図についてマーシャルが語る動画の視聴もあり、新しい工夫がされていました。 また、新しく「暴力」の定義として 「暴力とは、相手のニーズが満たされない形でコミュニケーションをとること」 が述べられました。 定義が気に入らないとの声も上がったのですが、私にとっては納得感がありました。 NVCをはじめて日の浅かったころ、オンライン講座で、献さんにしつ

      • 2024.1鈴木重子・案納献のNVC講座を終えて(その2)

        1月6日(土曜)午前 「5つの約束」とチェックイン 重子さんと献さんの講座の定番ともいえる丁寧なチェックインの時間です。 昔は、もっと講義に時間を当ててほしくて、チェックインの時間が長いことに不満を感じることもありました。 今は、長いチェックインが大切だと思うようになりました。むしろ今の時間では短いとすら感じます。 重子さんが、場に複数回参加している人の再会の喜びや、初めて参加する人への思いを表明したことが印象に残りました。 オーガナイザーの私は、この場においてはラ

        • 2024.1鈴木重子・案納献のNVC講座を終えて(その1)

          1 はじめに 講座のすべてが終わり、寂しさと充足感の両方を感じています。 サブテーマは「深い怒りや悲しみを持つ人と対峙するときの在り方」でした。 大きな怒りを持つ人に圧倒されたことがある人。 大切な人が、深い悲しみの中にいて、どう声をかけていいのか悩んだことがある人。 こんなときに、私たちは何ができるのでしょうか? 3日間かけて、慎重に丁寧に、講座は進んでいきました。 私の心に残ったことを、記録として残しておきます。 2 感謝 今回も、各地から、多くの人が参加してく

        2024.1鈴木重子・案納献のNVC講座を終えて(その4)

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          130本
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        記事

          穏やかな自殺について

          2024.1.7 鈴木重子さんと安納献さんの講座での出来事です。 最近やって後悔している行動を一文で書き出すことから始まりました。 私は 「今日のお昼に、穴子丼の大盛りを頼んで、今、胃もたれしていることを後悔している」にしました。 ペアを組んてくれたパートナーに「問い」の投げかけをもらい、体に感覚を向けるます。 すると、お腹はムカムカ、怒りを感じます。 さらに、体の感じを言語化していくと、「絶望」が出てきたのです。 なんで、「穴子丼の大盛りで絶望してるの?」 正直

          穏やかな自殺について

          声がどこから出ているか

          「言葉と声は別物である」と聞いたら、どう思うでしょうか? 「声に乗せるものは、あなた次第である」と聞いたなら、どう思うでしょうか? この数か月、思っていることがあります。 声(文字)を、どこから発しているか?ということです。 あるいは、命をどこから生きているか?ということです。 私は、長いこと、NVC(非暴力コミュニケーション)のつながりの中で生きてきました。 同時に思うのは、業界でメジャーであっても、私の心に響かない人がいる。 そして、業界でマイナーであっても、心に響

          声がどこから出ているか

          129 続・共感が糞だった日

          はじめに前回の「129 共感が糞だった日」が、思ったよりインパクトがあったのかな?と感じていて、フォローの記事を書いてみます。まずは、私自身の反省から始めたいと思います。 懺悔あるいは嘆き  私自身は、NVCの歩みにおいて、これまで「同情」と「共感」は違う。同情してはダメです!という”教義”を身に着け、実践し、他の人にも伝えてきました。  それは、根本的に誤りでした。もっと言うと、自分の実践の愚かさがどれほどの痛みを生んできたのだろうかという、大きな嘆きを抱えています。

          129 続・共感が糞だった日

          128 共感が糞だった日

          前書き息子の納骨が終わり、少し冷静に振り返りながら、いわゆるNVCの共感の糞さ加減について書いていきます。 いわゆる・・・というところがポイントで、NVC学徒は最後まで読んでみることをお勧めします。 いわゆるNVCの共感の経験についてNVC(非暴力コミュニケーション・共感/共感的コミュニケーション)を長く学んできた私にとって、これまで、NVCの共感(empathy)とは、絶対の公式でした。 共感をすることで、多くのトラブルが解消したり、深い対話が導かれたりするのを目の当た

          128 共感が糞だった日

          8月6日の出来事

          暑い午後、アレクサに音楽をかけるようにお願いして、「あるヨギの自叙伝」を再読していました。 家族は外出しており、ガラスの向こうからむわっとした熱を伝えてきます。 読んでいる途中、なんだか涙が止まらなくなり、アレクサに音楽を変えるようにお願いしたら。。。 息子を亡くしてからヘビロテしている、back numberの 「思い出せなくなるその日まで」がかかり、更に涙が止まらなくなるのでした。 ながれる涙をそのままに、しばらく聞いた後で、アレクサに小田和正さんの曲をかけてとお

          8月6日の出来事

          うつわを作る

          その悲劇が あまりにも大きいとき、私は、十分に悲しめない。 嵐が大きければ大きいほど 器は、それに見合う大きさでなければならない。 ハリケーンを受け止める地球のように ブラックホールを許す宇宙のように 大きな 大きな 悲劇を十分に受け取るため 私は今日も、私の器を作っていく

          場をホールドすること、手放すこと

          福岡にNVCの学びの場を作る、と決意したのは2014のことでした。 その後、福岡の学びの場の発展は、私の予想していた形では進まなかったのです。 私の想定していたのは、スクール形式。 グルがいて、生徒側が囲み、グルのいないときには、生徒が相互に復習を兼ねて学ぶ形。 実際に生まれたのは、有機体で複雑なもの。 独立した個が、穏やかにつながりました。 ●個人の変容 ●個々人の身近なところでの学びの広がり ●学会・学術に繫がる形 ●オンラインの学びの場など 想定外に豊かな恵みが

          場をホールドすること、手放すこと

          2023.7 鈴木重子・安納献のNVC講座 1DAY+3DAYSを終えて(その2)

          ワークショップを終えて、心に残っていることがあります。 「NVCをやってます」とは 私が「NVCとは「OFNR」を使うことです」という認識をしてから、随分経ちます。 少なくとも、「ニーズ意識」を持ちましょう、というのは、私がNVCを分かち合う場では大切にしてきました。 しかし、マーシャルおじさんは、「自然な分かち合いが可能なつながりの質を作る」というのを目的として、体系を作りました。 その、実践の一つとして、OFNRやニーズ意識というものがあるのです。 OFNRという

          2023.7 鈴木重子・安納献のNVC講座 1DAY+3DAYSを終えて(その2)

          2023.7 鈴木重子・安納献のNVC講座 1DAY+3DAYSを終えて(その1)

          無事に、2023年の夏の講座を終えることができ、ほっとすると同時に、寂しさがあります。 記憶が鮮明なうちに、いくつか書き残しておきます。 場についてこんかい「も」素敵な場が顕(あらわ)れました。 特に3DAYSの二日目頃から立ち現れた、参加者の皆さん相互の思いやりといたわりの空間は美しく厳かでした。 福岡の場を私が作り続ける動機は、将に此処にあって、「人と人が、思いやりといたわりの中で、深い層・深い声で対話する世界を見たい」からなのだと、改めて思いました。 感謝場所への

          2023.7 鈴木重子・安納献のNVC講座 1DAY+3DAYSを終えて(その1)

          自由意思について

          自分の選択なんて実はなかった。という事を思い始めてしばらく経ちます。 表現することへのためらいがあり、献さんぐらいにしか話していませんでした。 最近、自由意志のなさが確信になってきたので、少し書いてみます。 私は私が様々なものを選択して生きていると思い込んで生きてきました。 しかし、例えば脈拍の速さ、湧き上がる思いや感情は私の意思ではコントロールできません。 どんな親や家系から生まれるか、どんな肉体、背が高い低い、骨の太さ、性別、声、何一つ私は選んでません。 どんな事に

          自由意思について

          申し訳ない

          申し訳ない、という気持ちになります。 イベントをオーガナイズして、感謝の言葉を受け取る時に。 私は、申し訳なく思うのです。 私でない、誰かがオーガナイズしていれば、もっと快適で、過ごしやすい場であっただろうと。 私でない誰かであれば、もっともっと、あなたにとって役に立つものを提供できていたはずなんです。 オーガナイザーの不出来で起きる様々なことに、申し訳ない!と思うのです。 私でないなら!(嘆息!!) 今日の懇親会で気づいたのは2つあります。 誰かが私に感謝を伝

          言葉のみなもと

          自分の意識の層は、刻一刻と遷(うつ)ろう。 朝の瞑想のあとは深い所に 通勤のバスに乗ると少しずつ浮かび始めます 仕事の終わりには、完全に「think・考え」という浅瀬へ 浅いところの悲劇は、 叡智や、源と切り離されてしまうこと、 人と、慈愛の質で会えなくなること だからこそ、私が、どの層からどんな言葉を語っているのかに、気づいていたい

          言葉のみなもと