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【はじめまして】卵巣がん治療の記録、やっと書く気になった理由。

30代で子宮内膜症による卵巣嚢腫が発覚。2度の出産を経て、半年ごとの経過観察中、40代ラストで卵巣の様子が悪性疑いに変わり、卵管・子宮もいっしょにお別れしました。術後の病理検査で「明細胞がんステージⅠA」と診断され、化学療法6クール(←イマココ!)

想定の斜め上を行き続けた怒涛の数カ月のことを中心に、これまでの治療について記録していきたいと思います。


現在の状況:やっとたどり着いた、術後化学療法6クール(ラスト!)2日目

「卵巣癌疑い」の診断で手術を受けたのが今年の3月上旬。案の定、悪性……。卵巣・卵管から子宮までひっくるめて全摘。幸いなことにステージ数は低かったものの、術後に抗がん剤が必要な種類の癌だということがわかった。

あれよあれよと治療がスタート。しかし薬が合わずアレルギー反応が出てしまい、2度の抗がん剤変更があり、その都度入院を繰り返した。

「化学療法は終盤が近づくほどだんだんキツくなる。6回目は這うように来る人もいますよ~」
振り返れば治療開始前、ドクターのそんな言葉を聞いて、先の見えなさにクラクラしていたけれど。ついに、ついに、昨日、6回目の点滴を終えることができた。

その言葉どおり、噂どおり、抗がん剤の体への負担は半端なかった!(もちろん個人差なんだろうけど)

5回分の蓄積もあってか、この1カ月、私はちょっと歩くとすぐ疲れてしまう。体力が落ちているので、筋肉を付けようと朝涼しい時間帯に少しでも散歩したいのだけど。用事や夏休みのレジャーでおそるおそる遠出すると、2~3日は寝込むという感じ。
体への負荷は、血液検査の数値となっても表れているようだ。

最終クール、点滴を終えたといっても、これからが諸々のスタート。。。最後の副作用を味わいたいと思う。
今回…いや、どうか人生最後であってほしい…と切実に願いつつ☆

▲だるだるの毎日に欠かせないやつ。

ずっと考えていた、治療を記録するということ。

3月、手術が決まってから、ずっとドキドキしていた。
私にとって、出産以外で初めての入院。もちろん「おなかを切る」なんて初めて。「臓器を取る」って? その部分はどうなるの? 大げさだけど、私が私でいられるのだろうか……と不安でたまらなかった。

そんな私を勇気づけたのが友人からもらった言葉。
「どんなことが起こるのか、しっかり感じて人生の栄養に! 全部メモって配信しちゃおう!不安に思う女性たちに力を!」

そうか。この貴重な体験は、きちんと記録しておくべきかもしれない。
110円のノートを一冊新調し、体験取材でもしている感覚で、とりとめなく記録していくことが入院中のモチベーションになった。

▲術後、まだまだ治療が続くことがわかったとき「continue」の文字を少しだけ恨んだ(笑)

なかなか書き出せなかった訳。

でもこれを、どういうかたちで何に記録していったらいいものか。
あれこれ理由をつけては「やらない理由」を考えてしまい、ちっとも進まなかった。

根底には、今後の未来、病気と治療に対する大きな不安があったんだと思う。リアルタイムでさらけ出す気分にはなんとなく、なれなかった。
匿名ではないSNSで不用意に発信することは、家族のプライバシーを考えるとはばかられたという理由もある。そのあたりの納得のいく正解は、自分のなかでまだ出ていない。
だから、ひとまず、誰も知人がいない土俵(サブアカウント)でスタートをきってみようと思う。

点滴治療は一区切りとはいえ、これからも不調とせめぎ合いながら、経過観察がしばらくは続く。さまざまな検査をするたびに、また治療が必要な状況になりやしないかと、ドキドキは続く。
リンパ浮腫発症のリスクも抱えている。不安はまったく消えていない。けれど、もうこんな私が私なんだからと腹をくくって、一生付き合っていくしかない。

このnoteでは、これまでの治療経緯の振り返りと、ときどきリアルタイムのドキドキを徒然と綴っていきたいと思う。

「不安に思う(後進の)女性たちに力を!」はおこがましいとしても、もしかしたらたまたま目にしてくれた誰れかの不安を1ミリでも軽くできるかもしれない。
その誰かが家族や友人かもしれない(まだ誰にも教えていないけど)。自分のムスメが将来、似たような経験をすることになるかもしれない。

そして誰よりも、いつか誰かに「あのときどうだった?」と聞かれたとき、記憶が薄れてしまっていて困り果てている自分のために。
この半世紀に渡る今までの人生で、たぶんいちばん心の揺れ幅が大きかった日々を記録していきたいと思う。
これが今の、これからの自分に向き合う、私なりの腹のくくり方なのだ。

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