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全体最適

2019年9月から2020年4月までの8ヶ月間、私は小学校で「介助員」という仕事をしました。
普通学級に通う重度知的障がい児の「介助」をするという仕事です。
約40年間勤務した「企業」とはまったく異なる畑違いの仕事でしたが、周囲の方々の支えのおかげで気持ち良く働くことができました。
事情があってその仕事を辞めましたが、この8ヶ月間は私の人生の中で忘れることのできない、また、多くの社会勉強ができた期間でした。

その仕事をする中で、最も強く感じたことは「相反する利害関係の調整の難しさ」です。
私は1つの小学校に短期間勤務しただけなので、「教育界」や「小学校」全体について語ることはできませんので、あくまでも限られた社会と時間の中で感じたことを書きます。

企業にも利害関係の相違による部門間の対立はいくらでもあります。
しかし、最終的には会社全体にとって最良の結論は何か、そのために痛みを被る部門があったとしても「全体最適」という考えのもとに最終的に決定が下され、進むべき方向性が決まります。

では、私が経験した一人の児童とその周囲の社会で「全体最適」という考えが成り立つのだろうか、と常に考えていました。
私の介助の対象であった障がい児を取り巻く利害関係者は、パッと思いつくだけでも、その児童の保護者、周囲の児童とその保護者、学校および一人ひとりの教師、教育委員会、外部の障がい者支援団体、等など、いくらでもいます。
これら全関係者にとって共通の「全体最適」という解があり得るのだろうか。

他の児童のために自分の子の利益を犠牲にできる親はいないでしょう。
具体例を挙げれば、
私が介助をした児童の保護者は「できるだけ周囲のお子さんたちと同じ環境で、同じことをさせて欲しい」とおっしゃいます。
その児童はおむつをしています。

話がそれますが、その児童に対するおむつを外す訓練は、普通学級なので一切していませんでした。
それはあれから2年経った今も変わっていないようです。
当然のことと思います。

話しを戻して。
そして、夏。
去年も、そして、おそらく今年も、コロナの影響でプール活動は中止になっているとは思いますが、コロナ前の夏にその児童の保護者は、その児童をプールに入れるよう強く要望したと聞いています。
おむつをした児童がプールに入る。
考えられません。
では、おむつを外したらいい?
どうなることでしょう?

この障がい児を巡る環境はとても極端な例だと思いますが、そうでなくてもいろいろなしがらみの中で教育をしてゆく教師というお仕事はとても大変なことだ、とつくづく感じたのでした。

この経験がこれからの私の人生や仕事にどのような影響を与えてくれるのか、今は分かりませんが、これまで知ることのなかった世界を垣間見ることができ、とても大きく、大切な経験をしたことは事実です。