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新宿山手七福神

時期外れですが、コロナの終息を願って。

七福神巡りには「七難即滅、七福即生(七つの難を消滅し、七つの福が生じる)」というご利益があるとされています。
七福神それぞれの意味は次の通りです。
恵比須:大漁追福、商売繁昌、五穀豊穣
辨財天:知恵財宝、愛嬌縁結び
福禄寿:福徳、人徳、長寿
寿老人:長寿延命、富貴長寿
布袋尊:笑門来福、夫婦円満、子宝
大黒天:財宝、福徳開運
毘沙門天:財運、大願成就

【稲荷鬼王神社(恵比須神)】(歌舞伎町2-17-5)
「鬼王(きおう)」とは珍しい神社の名前ですね。
「東洋経済オンライン」によれば、日本で法人登記をしている神社の名前で最も多いのは「八幡神社」で、全国に4,809あるそうです。
以下、「稲荷神社」「熊野神社」「神明社」「諏訪神社」と続きます。
一方、「鬼王」の名を持つ神社はこの「稲荷鬼王神社」だけだそうです。
ただし、「鬼王」とは鬼ではなく、日本神話に登場する鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)を指しています。
そして、もともと恵比寿神が祀られていた神社が江戸時代に火災で焼失したため、稲荷鬼王神社の境内にある三島神社に祀られています。
因みに、「鬼」が神として祀られている神社は全国に4つあります。
青森県弘前市の「鬼神社」、埼玉県嵐山町の「鬼鎮神社」、大分市の天満社境内の「鬼神社」、福岡県添田町にある玉屋神社境内の「鬼神社」です。

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【厳嶋神社(抜弁天)】(余丁町8-5)
平安時代に創建された神社で、「抜弁天(ぬきべんてん)」とも呼ばれています。
奥州平定に向かう源義家がこの地で安芸の厳島神社に向かって戦勝を祈願し、凱旋のお礼として創建したのが始まりとされています。
困難を切り抜けたというこのような言い伝え、また、境内を南北に通り抜けられることから「抜弁天」と呼ばれるようになったと言われています。
扁額(鳥居にかかる額)にも「抜弁天」の文字が見えます。
御祭神は日本神話に登場する市杵島姫命(イチキシマヒメ)ですが、神仏習合思想では仏教の弁才天と同一視されています。

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【大久保山永福寺(福禄寿)】(新宿7-11-2)
嘉永年間(1848-1854)に、植木屋であった鈴木源蔵が信州善光寺に参詣した帰り道、犀川(さいがわ)の岸辺で福禄寿に似た石を拾いました。
源蔵はそれを家宝とし、毎日拝んで供養したところ、日ごとに家が栄え、子の代には家が狭く感じられるほどになりました。
昭和のはじめにこの秘宝を公開することにし、永福寺に移転し安置した、というのが謂れのようです。

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【浄土宗太宗寺(布袋尊)】(新宿2-9-2)
境内には江戸六地蔵のひとつである『銅造地蔵菩薩坐像』や『閻魔像』、『奪衣婆像』、『内藤家墓所』、『切支丹灯籠』、『内藤家墓地出土品』などがあり「新宿ミニ博物館」とされています。
また、同じく境内には『塩かけ地蔵』があります。そのお塩をいただいて、願いが叶ったら倍の量の塩をお返しするという風習があるそうです。

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【法善寺(寿老人)】(新宿6-20-16)
日蓮宗の寺院で、正式名を「春時山光晴法善寺」といいます。
山の手七福神のひとつ『寿老人』をまつるほか、本堂には保存状態も良好な極彩色の『七面明神像』(新宿区指定有形文化財)が安置されています。
(「一般社団法人新宿観光振興協会」のウェブサイトから)
鹿を連れている寿老人の「出身地」は中国です。
中国語では「鹿」の発音が「禄」に通じることから鹿を連れている寿老人は「禄」を表しています。
ついでですが、七福神の出身地は恵比須だけが日本(神道)で、他はインド(ヒンドゥー教と仏教)と中国(道教)です。
もう一つついでに、奈良公園や厳島神社などに鹿がいますが、日本では鹿は神聖な動物と考えられてきたようですね。

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【大乗山経王寺(大黒天)】(原町1丁目14)
決して広くはない境内にはいくつかの大黒天像と共に、手を合わせた微笑ましい像がたくさん並んでいます。
しかし、本堂に祀られているご本尊のお大黒さまはにこやかではなく、難しい表情をされているそうです。
誰でも気軽に訪れることが出来るよう「仏像でナイト」「寺ヨガ」などの各種行事を開催しているお寺ですが、今はコロナの影響で休止中とのことです。

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【善國寺(毘沙門天)】(神楽坂5-36)
本堂の左右に鎮座しているのは虎。
これは毘沙門天が寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世にお出ましになったことに由来しているそうです。
また、ここの毘沙門天は芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれています。

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