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インクルーシブ教育とは?

私の知り合いに小学校で「介助員」という仕事をしている人がいます。
その介助の対象は、普通学級に通う知的障がい児です。
障がいの程度は2度の重度です。
何故、その児童が特別支援学校に行かないかというと、その保護者が「インクルーシブ教育」という「夢」を実現させたがっているからです。
しかし、私の知人、学校、市役所のいずれも、今の段階、そしてその児童の障がいの程度では無理、と思い、何度も保護者に伝えています。
しかし、保護者は聴く耳を持たず。
それどころか、「教育を受ける権利の侵害」で訴えると主張するばかり。

「インクルーシブ教育(包括的教育)」とは、非常に雑ぱくに言えば、どんな子供も同じ環境で教育を受ける、というものです。
障がいの有無に関わらず、一つの教室で勉強する。
教育の一つの理想の姿かもしれませんし、実際にそれを実践している国もあるそうです。
そこでは、少人数の学級に様々な学童がおり、資格を持った複数の教師がそれぞれの学童に合わせた教育をおこなっています。

では、私の知人が働いている環境はどうか。
知人は何の資格も持っていません。
教師の資格も介護の資格も持っていません。
私の知人だけでなく、他の介助員全員がそうです。

学校では普通学級に席が置いてあるものの、教室の隅の出口に一番近い場所で、他の児童とは全く違うことをしています。
「違うこと」というのは、勉強ではなく、その児童が好きな同じ絵本を毎日見ているだけです。
多少、パズル的な「課題」をすることもありますが、10分と持続しません。
その「課題」も資格のない介助員たちが見よう見真似で作ったものです。
機嫌が悪いと床に転がって奇声を発し、起こそうとすると噛みついたり引っかいたりします。
そのまま眠ってしまうこともあります。

給食は、家から持参した鋏を使って、介助員が細かく刻んで与えます。
しかし、それでも食べ物を喉に詰まらせて、むせたり、嘔吐したりすることがままあります。
コロナで学校が臨時休業になった際には、居場所確保のために登校していましたが、持参した弁当箱に入っていたのはミートボールや具の形が残ったままのカレーライスだったそうです。
数日前には給食中にかなり深刻な事故も起きたそうです。
折しも、小学生が葡萄をのどに詰まらせて死亡したという報道がなされました。

自分が嫌なことは「嫌だ」というそぶりはします。
嫌いな介助員には「さようなら」らしき動作をします。
水分補給を嫌がります。
保護者が水筒に入れて持たせた飲み物は特に嫌がります。
仕方なく、介助員が水飲み場に連れて行って、水遊びがてら騙し騙し水を飲ませています。
トイレへ行きたいなどの意思表示はできません。
ですから、おむつをしています。
現在、小学4年生です。
自力での衣服の着替え、靴の脱ぎ履きはできません。
脚にも障害があり、年齢がたつにつれ歩き方が不自然になり、つまずいて転ぶことが増えています。
月に1度、理学療法を受けて、矯正しているようですが、日常的な訓練はしていません。
絵本を見ているだけですから。

私の推測ですが、特別支援学校に行けば、おそらく日常生活に必要な動作や意思表示の仕方などの指導がなされるのだと思っています。
そういうことに使われるべき時間を、その児童は毎日絵本を眺めて過ごしています。
体が大きくなるという以外には何の成長もありません。

確かに他の子どもたちと同じ教室にいます。
これを「インクルーシブ教育」と言って良いのでしょうか。
そして、今後、体だけが大きくなり、咀嚼など生命維持に必要な身体能力が成長しないままでは、今のような生活が送れなくなるのではないかと思います。
重大事故が発生することも懸念されます。
そのときに、常に傍らにいる介助員の責任が問われることになるのではないか。
何の資格もない介助員たちに。

市役所や学校に事の重要性を訴えても今のところ動かない。
おそらく、何か事故が起こってから「安全管理に問題はなかったか」といったことが問われ、「今後このようなことが起こらないよう、再発防止に努めます」といった弁明がなされるのでしょう。

保護者のわがままのために、介助員たちが責任を問われることのないよう、知人に助言をしています。