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【冤罪】 日々雑感 20240311

大川原化工機という企業があります。

従業員90名ほどの会社です。
2020年3月11日、製品の不正輸出の疑いでこの企業の経営者ら3人が逮捕され、間もなく起訴されました。
その後の経緯は省略しますが、昨年末に東京地裁はこの逮捕や調査が違法だったとして、国と東京都に損害賠償金の支払いを命じました。

冤罪

大川原化工機社はどれだけの損害を被ったことでしょう。
業績という目にみえる損害だけでなく、捜査に協力した時間、会社と社員の名誉など、計り知れないものを失ったと思います。

冤罪で思い起こされる数々の事件。
その一つ、袴田事件の袴田巌さんは60年にもわたる時間を奪われました。
袴田さんを有罪にした証拠は捏造であることが明白なのに、検察はいまだに争う姿勢を崩さず、裁判が継続しています。

何故、冤罪はなくならないのでしょう。

私はある企業の調査部門に関わっていたことがあります。
年間100前後の会社内の部門を調査して、不正や不備を発見、指摘するのがその役目でした。
その指摘を経営層に報告し、上層部が率先して不正や不備を改める。
適切に機能すれば、企業の自浄作用が働き、不祥事の芽を摘むことができます。

しかし、コトはそう簡単ではありません。
調査を担当する者たちには「問題はなかった」という調査結果は許されないのです。
その部門としては、重要な不正や不備を発見、報告することで、経営層から部門長及び組織が評価され、その存在意義を認められます。
ですから、何がなんでも「不正」「不備」を見つけなくてはならないのです。
一方で、「問題はなかった」を安易に許してしまうと、調査がおざなりになってしまう可能性があります。
ですから、業務管理という観点では「問題はなかった」を許さない姿勢が必要なのかもしれません。

企業でもこうなのですから、検察や警察といった国家機関ではなおさらタガを緩めるわけにはゆかないでしょう。
しかし、問題が発覚するたびに「再発防止に努める」「捜査体制を改める」と言いますが、実際に何をどう「努め」「改める」のでしょう。
捜査員にいかに誠実かつ適切な捜査、調査をさせるか。
また、組織に与えられている役割、義務をどう果たすか。
その中で「問題はなかった」をどう判断、評価するか。

これは国の捜査機関だけの問題ではないと思います。
社員をいかに真面目に働かせ、結果をどう評価するか。
組織や個人の達成義務、ノルマをどう果たすか、また、果たせなかったという結果をどう評価するか。
私たちの身近にあるこのような課題につながることではないでしょうか。
また、手柄を上げて上に褒められたい、認められたい、という気持ちもなくなることはないでしょう。

だからといって冤罪は仕方がない、と言うつもりは毛頭ありません。
金銭だけでなく、時間、名誉、そして、命という取り返しのつかないものを奪ってしまう冤罪は決して許してはなりません。