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まだガラケー!

まだガラケー!

街でいわゆる「ガラケー」を使っている人を見ると、そう思いますよね。
だいたいお年寄りが多いです。

そんなお年寄りの一人である私がスマートフォンを持ったのは今から3年ほど前のこと。
アップルがiPhoneを発表してから13年も経ってからのことです。
「まだガラケー!」と思われていたことでしょう。

でも、考えてもみてください。
私の家に電話がやってきたのは多分、私が10歳になる前のことだと思います。
ダイヤルがついた黒い塊。
当初はそのベルが鳴ることはほとんどなく、お向かいの幼なじみの家にかけて面白がっている程度でした。
しかし、その後、電話はみるみる普及し、高校生のころには、親がいないのを見計らって好きな女の子の家にドキドキしながら電話をかけるようになっていました。

そして、その34年後、初めて携帯電話というものを手にしました。
世間に携帯電話が登場したのはその3年ほど前のことでした。
私は何かと奥手なので、そのときには40歳を超えていました。

そして、iPhoneが発表されたのは私が携帯電話を持った3年後のことです。
しかし、長いことスマートフォンに変える気にはなれず、20年以上ガラケーを使い続けていたわけです。

いいですか、私の中では、固定電話から携帯電話までに30年、その3年後にスマートフォンが世の中に登場ということになります。
それまで家か公衆電話でしか使えなかった電話を持ち運べるようになったという変化はとても大きなものでした。
持ち運びができる通信手段といえば、軍隊が使っているトランシーバーくらいでしたから。
営業で外にいることが多い者が携帯していたのはポケットベルでした。
これが鳴ると、急いで公衆電話に駆け込んだわけです。
そんな私にとって、ガラケーからスマートフォンへの変化は、少なくとも当時の私には、大した変化には思えなかったのです。
せいぜい「電話器に音楽を入れておける」くらいの変化でしかありませんでした。
30年続いた「固定」から「携帯」への変化が劇的であったのに比べれば、その3年後の「音楽を聴ける」だけの変化はほんの些細なものでしかなかったのです。

旅行に行くなら「地球の歩き方」があるし、コンサートの切符は「ぴあ」で探して「チケットぴあ」に行けば買える。
行きたい場所に関する本を何冊も買って、どこへ行こうか、何をしようかを考えるのは旅行の大きな楽しみでもありました。
カメラにフィルムを入れて、写真を撮り、街の写真屋さんに預ければ、2、3日で紙の写真ができる。
デートの場所を探すにもおしゃれにもいくらでも雑誌がありました。
何の不自由もありませんでした。

しかし、何か新しいものができると、「そんなものは要らない。今ので十分。」と思うものの、それを使ってみると、それまでには考えられなかったことができるようになります。
手元に地図があって、しかも行き方まで教えてくれるなんて想像もできませんでした。
「音楽を何千曲も入れちゃって、いったいどうやって聴きたい曲を探すの?」と思いました。

そんな私にとっても今やスマートフォンは欠かすことのできない生活道具になっています。
紙媒体を利用することはほとんどなくなりましたし、何かというとパシパシ写真を撮ります。
欲しいものがあれば、ほとんど吟味することなく、最初に目についたものを、ボタン一つで買ってしまう。
もう後戻りはできません。

社会もどんどん変わってゆきます。
手の込んだ絵が描かれたレコードジャケットをながめたり、解説文を読みながらゆっくり音楽を聴きたくても、もはやそれが難しくなってしまいました。
パラパラと頁をめくりながら中身を見て、どの本を買うかを決めようにも、書店を探すのに一苦労です。
フィルムは1,500円もするし、現像だけで950円かかるところもあります。
ガラケーを持っていると、盛んにスマートフォンの宣伝が送られてくるし、聞きたいことがあって携帯ショップに行けば冷たくあしらわれます。

「今のままで十分」「これが楽しいんだ」と思っても、社会がそれを許してくれません。
便利になるのはありがたいことではありますが、「好きなこと」や「何をどう楽しむか」までも社会に決められてしまう。

なんだか寂しいなぁ…