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〜北京留学まで〜

今日は担当しているPodcast番組『スキアジ』をオンラインで2本収録したhttps://open.spotify.com/show/3z8LwSLIquhgSsy7Jky1aF?si=fm6OEadpT-y4RpCUNWIzXQ

いつからか私の日常生活は「台湾の音楽」とともに過ごしているのではないかと思えるほど距離が近い。どこから?と一寸考えてみたけれど、思いつくままに書いてみようと思う。

私の大学時代はというとライブ会場に足を運ぶ日々で、ライブのない日は次に行きたいライブを探したりラジオを聴いたりして音楽一色の生活を送っていて、当時、ラジオ局やイベンター、レコード会社など音楽周りで仕事をされている人とどんどん繋がって10代の私にはとても魅力的でキラキラまぶしかった。そんな日常があって自分は音楽関係の仕事をすると思っていた。いざ就職活動となり、各社受けたレコード会社で「あなたは音楽は趣味のままの方がいい」と。

なぜ?

結果を先に。どのレコード会社からも内定はもらえなかった。

そして

それと平行して受けていたアナウンサー試験にも真剣に取り組んだ。もともと放送局とレコード会社の2択の就職活動で。北は仙台から南は鹿児島まで何社受けたかな。

内定。

仕事をはじめてしばらくした頃、大学のゼミの先生から「卒業とアナウンサーになるのとどっちが大切なのかと当時はすごく腹が立ちました」と書かれた葉書が局宛に届いた。見守ってくれた先生がいなかったら卒業できていなかったのかもしれないと今も思い出しては感謝している。

そんな訳で局アナを約6年10ヶ月。(略)

退社後に、先に退社した後輩一家がいたのでふらっと言葉も全く分からないまま北京旅行へ行くも、あっちでこっちでトラブルだらけ。最終日にホテルから空港までのタクシー代金が思っていた倍になっていて、もうここには2度と訪れることはないと思った。

フリーアナウンサーになってからは、経済番組や政府広報番組など硬めの仕事をしていたテレビ時代、当時所属していた事務所に、いつかラジオの仕事をしてみたいと希望を伝えて間もなく、NHK-FM「あさのバロック」や飛行機の中で聴ける機内オーディオの仕事などラジオの仕事が一気に増えた。
ある時、J-WAVEから連絡があったと事務所から連絡があった。タイミングもあったみたいだけど声のサンプルカセットテープ(!)を聞いて連絡をくれたそう。少し前に退社したマネージャーの置き土産だった。ほんと、本当に感謝しかない。ニュースアナを担当しながら「MORNING VOYAGE」と言う朝5時から6時の生放送の番組を担当。ディレクターから自分の興味があることを話しましょうかと。中国語を習いはじめたばかりだったので「中華圏の音楽を紹介する」にしてみた。と言うのも当時はそれほど中華圏の音楽に思い入れがあったわけでもなかったのだ。いざ番組がスタートし色々と調べはじめると性格もあるのか一気に引き込まれ、局内で募集していた番組企画募集にも中華圏の音楽を紹介する内容で応募し時間の特別番組になった。そんなこんなをしている内に中華圏音楽熱はますます盛り上がり、とうとう仕事を全て辞めて「北京留学」をすることを決心したのです。

そう。

局アナ辞めて行った北京へ再び。
今度は自分の意思で行くことになるとは私自身も思ってもみなかった、笑。



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