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オーケストラを組織論で斬る!①~オーケストラはジョブ型組織か?~

はじめに

 オーケストラを組織論やマネジメント論と絡めて語るケースはこれまでもいくつか存在している。かのドラッカー教授も、非営利組織の例としてオーケストラを取り上げているし、オルフェウス室内管弦楽団という小編成の指揮者を持たないオーケストラは、その意思決定機構が注目され、ビジネススクールのケースにもなっている。(更に驚くことにこの団体は企業などの組織向けにリーダシップ教育のプログラムまで展開している!)
 という訳でオーケストラと組織論を絡めて語ること自体は取り立てて新しいものではないが、ここでは少し最近の組織論を取り巻く動向から断片的にオーケストラという組織にスポットを当ててみようと思う。今回はその第一弾として「ジョブ型」というキーワードからオーケストラを語ってみよう。

コロナ禍で注目される「ジョブ型雇用」

 最近の組織・人事界隈でのホットなキーワードは専らこの「ジョブ型」である。「ジョブ型」のジョブとは、「職務」を意味し、「ジョブ型雇用」とは各職務を明確に定義したうえで、その職務に基づく成果で評価する制度を指す。従ってこの制度をきちんと言い表すなら「ジョブ型雇用と成果主義人事制度」ということになる。このジョブ型、制度自体は特に目新しいものではなく、少なくとも欧米をはじめとする海外の企業においては広く普及しているスタンダードなものである。日本においては、長く職能資格制度をベースにした実質的には年功序列型の人事制度が導入されてきており、まだまだその性格が色濃く残っているのが現状である。しかしここにきて新型コロナウィルスの影響により多くの企業でリモートワークを余儀なくされ、その結果労働時間による管理が不可能となり、職務に基づく成果での評価の必要性がやっと認識されはじめた、というのが実態である。ちなみにこのジョブ型を英語で”Job-based evaluation system”などと言っても通用しない。なぜなら上述の通り既にグローバルではスタンダートの制度であり、人事評価制度と言えばジョブ型であることは当たり前なので、敢えて上記のような表現をすることはないからである。これは「メンバーシップ型」というこれまでの日本の制度との対比で生まれてきた日本独自の言葉である。

ジョブ型雇用と成果主義人事制度の中核は成果責任

 さて、この「ジョブ型」の中核をなすものが「職務の定義書」というものである。これはよく”Job description”と言われるあれである。職務の定義書については非常に誤解が多いのが現状だ。それについては別の機会に触れるとして、今回はその中で記載される「成果責任」について述べたいと思う。「成果責任」とはあまり聞きなれない言葉だが、まずは実例を見ていただきたい(下図)。これはある会社の事業部長の成果責任である。

図

 これは一言でいえば、組織に対してその職務が負うべき責任を言語化したものだ。そして成果責任の各項目にはパーセンテージの数値が書かれており、これをすべてたすと100%になるように作られている。つまり、その職務における仕事全体を100とした場合に、それぞれの成果責任の項目に対して、どのようなウェイトで責任を負うのかを表している。実際の人事評価では、これらの成果責任をもとに、年度の目標を設定し、その目標に対する達成度合いで評価されることになるわけだが、そのおおもとになる、まさに組織と個人(職務)の関係性を明確に定義したものだ。このように組織と個人(職務)を結び付け、あらゆる職務に展開することで、組織の責任体制と盤石なガバナンスを構築しているのがこのジョブ型の本質である。日本企業の多くが採用しているメンバーシップ型では、この関係性が極めてあいまいになっており、それが日本企業の生産性とガバナンスの低さ、ひいては競争力の低さの根本原因であると筆者は見ている。

ジョブ型雇用と成果主義人事制度が意味するもの

 ではジョブ型によって組織の責任体制を構築することは何を意味するのであろうか。当然のことながら、この職務を与えられた人は、この責任を全うすることが求められる。そしてその責任を全うした暁には、相応の評価が待っており、それを報酬という形で得ることができる。そしてもちろん、責任を全うできなかった場合は、それなりの評価となり、得られる報酬もそれに応じて減ることとなる。これは各職務に当たる人間がプロフェッショナルとしてその職務を全うすることが求められることを意味している。組織をプロフェッショナル化していくことこそが、ジョブ型雇用制度導入の大きな目的なのである。

オーケストラは典型的なジョブ型組織

 前置きが非常に長くなってしまったが(笑)、ここからやっとオーケストラの話だ。
 オーケストラを1つの組織と見たときに、上記の定義に従えば、プロフェッショナル組織の典型とみることができる。これはプロのオーケストラ(「プロの」といっているのだからプロフェッショナル組織であることは当たり前だが)であれば、日本を含めてすべてがそうであると言える。ただし、責任の全う度合いによってどの程度各楽団員のもらう報酬が変動するかというところは、各オーケストラで異なるであろうことはお断りをしておく。しかし少なくとも各職務に与えられた成果責任が極めて明確であることは疑う余地がない。
 例えばあるオーケストラがマーラーの交響曲第3番を演奏するとする。2時間にも及ぶ非常に長大な曲だが、マーラーが書いたスコアには、独唱、合唱を含む各パート(=職務)において果たすべき責任(=成果責任)が全て事細かに書かれており、それがパート譜となって各奏者に配られる。少なくとも、このマーラーの交響曲第3番という曲を演奏するコンサートについては、各奏者の成果責任は極めて明確である。そして、各奏者がその成果責任を全うしたかどうかはコンサート終了後に明確に示されることになる。例えば、首席トロンボーン奏者が、第1楽章で出てくる3か所のソロのどこかでまったく音が出なかったとすると(そんなことは実際にはありえないが)、他の楽員は何が起こったのだろうと振り返るだろう。これは、組織の中で首席トロンボーン奏者という「職務」において、オーケストラ全体に対して負うべき成果責任が明確になっており、更にそれが組織全体に共有化され、そしてそのポジションに着いている人間にはその責任を全うすることが求められているからである。
 本来、成果責任というものは企業組織においては中長期的な視点から組織に対して負うべき責任を記載するため、ある1つの曲を演奏するという局面にスポットを当てることについては議論の余地はあると思うが、少なくともプロフェッショナル組織として、明確化された責任体制のなかで日々の業務を遂行している組織であることは間違いなさそうである。
 ちなみに、これがアマチュアオーケストラであったとしてもことの本質は変わらない。作曲家によって書かれたスコアに従って演奏する限り、各楽器に求められる成果責任が明確であることに変わりはない。その責任に対する期待値と全う度合いの評価基準がプロとは異なるだけである。

これから求められるは組織のプロフェッショナル化

 日本の企業組織が「ジョブ型」を導入しようとするとき、それは単なる人事評価制度の変更という小手先の話ではなく、自分の組織をオーケストラのように「プロフェッショナル組織」に変革していくのだという点を強く認識しなければならない。もしプロフェッショナル組織にしていく覚悟がないのなら、わざわざジョブ型を導入する必要はない。職能資格制度に基づく年功序列システムもこれはこれで一つの合理的に説明責任を果たせる人事システムであり、筆者はこれを否定するつもりはない。しかしながら、これまでの日本企業が採用してきた組織への無限定の忠誠と雇用の保証という心理的契約で成り立ってきた仕組みは既に限界を迎えている。少なくとも再びグローバルレベルで競争力のある組織にしていくためには、組織のプロフェッショナル化は必須である。

アマチュアオーケストラこそがこれからの日本の組織変革の救世主!?

 話をオーケストラに戻そう。
日本は世界でも有数のアマチュアオーケストラ大国である。その数もさることながら、その水準はおそらく世界でもトップを争うレベルである。筆者もアマオケ奏者の一人だが、アマオケ奏者の多くは、会社勤めをしながら週末にオーケストラ活動を行っている人達である。その中でいわゆる日本の伝統的な大企業に勤めている人間も少なくない。そして、そうした企業はほぼ間違いなくメンバーシップ型の制度を採用している組織である。
 一方、組織の類型で言えば、上述の通りアマチュアであったとしてもオーケストラは典型的なジョブ型組織である。つまりアマオケ奏者の多くは、本人が意識しているかどうかは別として、メンバーシップ型組織(自分の会社)とジョブ型組織(アマチュアオーケストラ)に所属し、その両者を体感している人達なのである。筆者はこの事実に注目し、アマチュアオーケストラという場において、様々な組織論的学びの場ができるのではないかと考えている。具体的にはアマオケ奏者の方々と一緒に、音楽を楽しみ・追求しながら、同時に組織論的な学びの場にもなるワークショップを開催する予定である。彼らがこのワークショップに参加することで、音楽を楽しむことはもちろん、更にその学びを自分の所属組織に持ち帰ってもらえれば、もしかしたら日本の企業組織も少しずつ変わっていくのではないかとの期待を持っている。本ワークショップについては今後この場で詳しく触れていくこととしたい。


 


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