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日銀決済機構局「中銀デジタル通貨が現金同等の機能を持つための技術的課題」感想

日銀によるCBDCの検討の加速

日銀が中央銀行デジタル通貨の研究を加速させています。過日日経新聞でも報道があったように、決済機構局内にデジタル通貨グループが新設され、奥野審議役がグループ長に就かれたようです。

金融庁長官でFSBのボードメンバーでもある氷見野さんも、日本は明日にでもCBDCを発行実験できるというくらいまでにしっかりと準備をしておく必要があるという趣旨の発言をされているとの報道もあります。

この分野では、FSBやIMFなど国際機関による大所高所からのレポートがここ2年ほど相次いで公表されていましたが、英国やカナダの中央銀行がレポートを公表し、米国では民間のイニシアチブとして米ドルCBDCのデザインについてのレポートが公表されるなど、今年に入ってにわかに現実味のあるプランとして検討が加速してきています。

こうした流れに沿って、僕もCBDCの論点整理をこのNote上で試みてみたことがあります。

中央銀行デジタル通貨のデザイン(1)イントロダクション

中央銀行デジタル通貨のデザイン(2)CBDCとはなにか

中央銀行デジタル通貨のデザイン(3)CBDCはなぜ必要か

中央銀行デジタル通貨のデザイン(4)CBDCの実装方法

にわかに実現可能性が高まってきた日本円CBDCですが、先月日銀決済機構局から公表されたレポート「中銀デジタル通貨が現金同等の機能を持つための技術的課題」は、こうした期待に応えた秀逸なレポートでした。

高水準の考察が詰まった日銀レポート

非常に平易な言葉で書かれており、通貨について議論するのであれば広く国民が読めるように書かなければいけないという書き手の思いが伝わってきました。各国の同種のレポートと比較しても、かなり突き詰められている内容で、各国レポートが案外雑駁(ざっぱく)な議論の運びをしている部分について、技術的な観点をよく深めて理解して、たとえばCBDCが持たなければならない特定の機能を備えるために、それが特定の技術の採用を必然的なものとするのかどうかという点をしっかりと書いています。

特に、例えば英国のレポートでは将来の課題として軽く触れるにとどまっていたCBDCのオフライン利用のための技術要件について、しっかりとページを割いて検討している点は出色だと思いました。それ以外にもなるほどと思わせる記載も多く、他国のレポートを読んできた立場からも、単なる海外レポートの引用と焼き直しでない高い水準のレポートであると評価できます。CBDCに興味がある方はもちろん、そうではない方も、現状の到達点を知るという意味でぜひ読んでみていただければと思います。

日銀レポートで書かれていないこと

とても良い内容が書かれているペーパーですが、この類のペーパーは、「何が書かれているか」ということと同じかそれ以上に、「何が書かれていないのか」ということが重要だと思います。

この記事では、日銀ペーパーに最大限のリスペクトをしつつ、「何が書かれていないのか」について2つほど書いてみたいと思います。

CBDCと紙幣の比較についての方法論

デジタル化の検討にはよく見られることですが、デジタル化を検討する際によく犯す過ちが、デジタル化に伴って生じるリスクや脆弱性に焦点を当てて、これを克服するためにどうすればよいのかということに集中してしまう論法です。デジタル署名法のときにもこうした議論に終始しましたし、今行われている様々なデジタル政府のアジェンダでも似たようなことになっています。

しかしこれはフェアな論法ではありません。フェアな論法は、そもそも現行の実装がもたらすリスクや脆弱性をしっかりと認識したうえで、それと比べてマシかどうかという論法であるはずです。

CBDCについていえば、紙という媒体に替えてデジタルという媒体に通貨価値を載せるわけですから、「デジタルは紙に比べて総合的に見てマシかどうか」を論じるべきです。そのうえで、「紙よりはマシなのではないか」ということであれば、それでよしとすべきではないかと思います。

もちろん紙とデジタルではそれぞれに強いところと弱いところがあって、リンゴとミカンを比べるようなものですから、厳密な比較はできません。けれどもデジタルにもいろいろと弱いところがある中で、それでも総合的に見て紙よりは優れているか、という観点で論じられる必要があるのではないかと思います。

デジタル移行の議論はこのようなものであるべきものと思いますが、技術を取り上げるにしても、コスト面でもリスクの大きさという面でも、そのような観点からの言及が欲しかったかなと思いました。

典型的には、日銀ペーパーは「ユニバーサルアクセス」と「強靭性」をキーワードにCBDCを評価していくわけですが、「強靭性」の議論として災害時や電源の問題に触れています。確かにこれらはCBDCの導入に当たって重要な論点であると言われているのですが、災害時には紙幣は埋もれ、燃えてしまい、破れてしまうわけでありまして、そこに「強靭性」があるようには思えません。紙幣は破損したり落としてしまえばもう帰ってきませんが、CBDCは技術実装次第で回復することができる仕組みを構築することができます。電源の問題は、畢竟(ひっきょう)充電できれば良いわけでして、そのためのソーラー式の充電器もあれば避難所には必ず充電器が備え付けられているというのが現状です。世間で言われているからといって論点主義に陥らず、こうした観点から強靭性について検討すると、より良い検証ペーパーになったのではないかと思います。

「技術的課題」にスコープを限定してしまったことの憾み

CBDCを社会に実装するための研究は、机の上で行われるだけの「ためにする研究」であってはなりません。学術ではなく、あくまでも実務の観点から、どうやってCBDCを実装していけばよいのかということを考えなければならないと思います。その意味で、研究はあくまでホリスティックなものでなければならないはずです。

学者が経済的な側面からいろいろと論じる、という体であれば、スコープを切って一つのパースペクティブから議論することも許されるのだろうと思いますが、実務において真に使える研究であるためには、CBDCを社会実装するにあたって関わってくる様々なガバナンス要素を横断して議論する必要があるのではないかと思います。

ガバナンスの要素としてしばしば言及されるのは、法律、規範、市場、技術の4つです。CBDCは通貨という極めて社会的な事象を取り扱いますから、この4つの要素をどのように駆使して社会に実装していくべきかということを研究するというのが本筋だろうと思います。

今回のペーパーは、この4つのうち技術に絞って検討したという体裁をとっています。その結果、技術的な検討としてはまさに他国中銀のレポートよりもかなり秀でたものになっているように感じられますが、残りの3つはスコープの範囲外という建付けをとってしまったことで、「技術面は分かったが、それを踏まえて社会的にどう実装するのが適切と考えているのか」と問われたときに、回答を持たないレポートになってしまった憾みがあるように思います。

これは特に不正防止に関する記載について言えます。不正防止はもちろん技術的な観点からも検討すべきものではありますが、併せて法制度や規範その他もろもろとの合わせ技によって図っていくべきものです。通貨偽造と同行使は現行法では最高刑で無期刑です。企業のデータが改ざんされるのとは桁違いの重さでありまして、それを人々は教育によって知っているからこそ、あえて通貨を偽造するようなことを試さないという面が強いと思います。もちろん悪い輩も多いですから技術は重要ですが、国家権力による強い威嚇効果が背後にあるインストルメントの実装を検討しているという点には自覚的であるべきように思いました。

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