見出し画像

中央銀行デジタル通貨のデザイン(3)なぜCBDCは必要か?

この連載では、中央銀行デジタル通貨のデザインについて説明しています。

第1回:イントロダクション

第2回:CBDCとはなにか?

CBDCは必要なのか?

現在、おカネのデジタル化は社会のあらゆるところで進んでいます。

まず第一に、皆さんになじみの深い銀行預金というのは、実際のところデジタル通貨といえます。我々が給料の支払いを受けるのも、家賃や携帯電話の料金を支払うのも、現在はほとんど銀行振込で行われています。企業間の決済も、そのほとんどが銀行口座を通じて行われています。これらは、物理的な「おカネ」を用いたものではない以上、デジタル通貨による決済と言ってしまって差し支えないでしょう。

第二に、クレジットカードをはじめとして、キャッシュレス決済の名のもとに次々と現れる「〇〇Pay」による支払いは、すべてデジタルで行われています。100円、200円といった細かいものから、数万円、数十万円といった単位のリテールの決済が、デジタル通貨によって行うことができているという実態があります。

民間の事業者により、小口・大口を含めて決済のデジタル化は実施されており、キャッシュレス化の掛け声のもと、この流れは不可逆の形で進んでいくものと考えられます。それなのになぜ、わざわざ中央銀行が直々にデジタル法定通貨を発行しなければならないのでしょうか

CBDCは本当に必要なのでしょうか?

このように問われると、なにやらCBDCなどなくても良いような気もしてしまいます。特にCBDCは中央銀行の債務ですから、民間のデジタル通貨のように事業会社の倒産リスクを気にしなくてよいことになります。CBDCが導入されれば、民間のデジタル通貨は蹴散らされてしまい、CBDCがデジタル通貨を独占することになってしまいそうです。

しかしこれは、CBDCの議論の本質を正しく理解していないモノの考え方だと思います。

この記事の冒頭で、CBDCというは通貨の話である以上、自己循環構造のもとにあるのだということを強調しました。そうである以上CBDCというのは、いろいろなデザインが可能です。もしCBDCが民間のデジタル通貨を圧迫し、競争を阻害することがあるとすれば、それはCBDCをそのようにデザインするからそうなるのです。逆に言えば、CBDCは、民間のデジタル通貨が利便性の向上を巡ってさらに良質な競争をすることを支えるようにデザインすれば、そのように機能するということになります。

また、現在の日本における民間のデジタル通貨は、すべてアカウント型のデジタル通貨として構成されています。これは、現行の金融業法が、アカウント型を想定したライセンス審査とリスク管理体系でできているからです。もちろん当局は、公式にはそのような言い方はしません。公式見解としては、規制は技術中立的であると言うでしょう。しかしそれではなぜトークン型のデジタル通貨、もっといえばステーブルコインが日本で一つも生まれないのでしょうか。誰もそのようなことを試しもしないからでしょうか。そんなわけはないことは、実際にライセンス審査の壁の厚さにあえなく跳ね返された起業家の皆さんでなくても、想像がつくのではないかと思います。

そのような審査体系が適切であるかどうかはこの際措くとして、もしトークン型のデジタル通貨を民間で発行することができないのであれば、CBDCは物理的なトークンであるところの紙幣や貨幣のまさにデジタル版として、日本に存在する価値があるということになるはずです。

プライバシーが保護されたデジタル通貨?

プライバシーの確保という観点からはどうでしょうか。

現在の民間のデジタル通貨は、どんな小さな支払いでも利用者は、自らのプライバシーとの引換えでしか決済サービスを利用することができません。もしCBDCが、紙幣や貨幣のように、事業者にプライバシーを売り渡すことなく決済をしたいというニーズを満たすように設計されたとすれば、それは他のデジタル通貨にはない大きなベネフィットを社会に提供することになるはずです。

なお、紙幣や貨幣による決済が利用者に提供するプライバシー保護という価値は、紙幣や貨幣がトークン型のマネーであり、有効な決済のためには支払手段の真正性を確認すれば足りるという特性に伴って偶然に付与されたものであると言われています。デジタル通貨は、紙幣や貨幣の匿名性から副次的に生じるマイナスの効果、典型的には犯罪収益の移転等のマネー・ローンダリングなどがそれにあたりますが、こうしたものを紙幣や貨幣よりも起こりにくくするようにデザインすることが可能です。つまり、CBDCは、正しくデザインすれば、民間デジタル通貨のようにアカウント管理者にプライバシーの引渡しを強制されることを回避しながらも、紙幣や貨幣のように、匿名性を悪用して社会にマイナスの効果を与えることを防止するということが可能であるということになります(前回触れたプライバシーとアクセス性のトレードオフに関する議論をご参照ください)。

民間デジタル通貨の普及ゆえに必要となるCBDC?

さらに、民間デジタル通貨によるキャッシュレス決済が不可逆の流れになっているからこそ、CBDCが必要となってくるという論理関係も理解しておく必要があります。

たとえばCBDCをいち早く実験に移したスウェーデンでは、民間デジタル通貨であるswishの普及により現金を全く使わずに生活することが日常化しており、物理的な現金利用はコストが合わないという状態になりつつあると言われています。スウェーデンの中央銀行は、民間デジタル通貨が社会に広く普及しているからこそ、万が一民間デジタル通貨が何らかの理由により信認を喪失した場合に、市中で利用可能な、物理的な現金に代替するCBDCが必要になるのだと考えており、これは中央銀行の責任論に根差した相応に説得力のあるCBDCの必要性に関する議論であると感じます。

法定通貨の公益性や通貨政策の観点からのCBDCの評価

CBDCは、社会に対して必要となるようにデザインすることにより、社会が必要とするデジタル通貨になるのであるということがお分かりいただけたかと思います。

CBDCが競争力がありすぎるデジタル通貨であることにより、民間のデジタル通貨を駆逐してしまうおそれというありがちなネガティブ論も、全く議論が逆であるということもお分かりいただけたでしょう。民間のデジタル通貨の競争を促進するようなCBDCのデザインはどのようなものであるかを考え、そのようにCBDCをデザインしてCBDCを世に出すことによって、民間のデジタル通貨が、より高い次元での利便性や多様性をめぐって競争することができるということになります。

(1)リテール決済の効率性の向上や選択肢の多様化

CBDCを適切にデザインすれば、現在のアカウント型のデジタル通貨よりも、利用者のプライバシー保護を図った形でのペイメントサービスの提供も可能になります。もちろん、利用者の同意のもとでデータ提供をしてもらうことによって、ポイントが還元されたり、日用品の在庫がなくなりそうなときにアラートを出してくれたり自動発注したりする便利機能を提供することも、何ら禁じられることもありません。

CBDCにより、口座管理者のアカウントを介することなくP2Pの支払いをより容易に行うことができるようになれば、そのような支払いを可能とするデジタルウォレットという新しいビジネスが生まれることもあるでしょう。CBDCがプログラマブルな特徴を持つようにデザインされれば、新しい担保付取引や継続課金取引など、暗号資産によって可能になるのではないかと皆さんが考えていたような新しい取引形態やビジネスモデルを、法定通貨ベースで創っていくことができるということになるはずです。

先に触れたDigital Dollar Projectは、CBDCによりファイナンシャルインクルージョンをより推進することができると説いています。セントルイス連銀とカナダ中銀の関係者の論文はこの点に疑問を呈しているようですが、繰り返し説明した通り、ファイナンシャルインクルージョンを推進できるようにCBDCと周辺制度をデザインすれば、CBDCがファイナンシャルインクルージョンを推進することに寄与するのは当然です。

紙幣や貨幣を持つことができるのと同じような手軽さで、CBDCを持つことができるように制度を設計すれば、何らかの理由により民間のデジタル通貨のアカウントを開くことができない人たちも、デジタル通貨にアクセスすることができるようになり、これは現金の使用率が年々低下していき、現金に対応する店舗が減っていくというキャッシュレス社会のシナリオが現実化すれば、非常に重要なアジェンダとなっていくはずであります。

(2)ホールセール決済の効率性の向上やアクセス拡大

プログラマブルマネーの誕生による新たなビジネス機会の創出、決済にまつわる様々なペインポイントの解消が期待できるのは、リテールに限らずホールセール部門でも同じです。むしろ規模が大きくなる分、ホールセール部門こそがCBDCの利便性の恩恵に浴することができるのではないかとすらいえます。

現在、中央銀行のデジタルマネーへの直接のアクセスは、銀行をはじめとする市中の金融機関に限定されています。後ほどご説明するtwo tierモデルと呼ばれているモデルにより、市中銀行は特別の地位を与えられており、その代わりに厳格な規制に服することによって、決済の安全性や金融の安定性を確保することができているという面があります。

中央銀行口座へのアクセスコントロールにより、中央銀行が口座開設金融機関を通じて実施する様々な通貨政策や、決済・金融の安定性を確保するという現在のメカニズムが、CBDCの導入によってどのようなインパクトを受けるのか、必ずしも良くわかっていないという点が、CBDCを導入することの最大の課題と言ってよいと思います。

ホールセール決済の分野(実はこの「ホールセール決済」をどのように定義するかという点こそが、深遠な問いとなるわけですが、この記事ではこの点には深入りしないこととしたいと思います)への影響のうち答えが出ていない問題で、中央銀行の立場から最も重要なのは、民間の決済サービス提供者とりわけ銀行のビジネスに与えるインパクトであるということは、CBDCのデザインを考えるうえで、最重要の考慮点であると考えられます。

中央銀行は、CBDCのデザインをはじめCBDCの制度全体の決定に対して、最も発言権があり、その承認なしにはCBDCプロジェクトを進めることができない最重要のプレイヤーです。したがって、CBDCのプロジェクトを検討するためには、まずこの点に対する中央銀行の懸念に十分にアドレスした形でのCBDCのデザインなり政策提案をしなければいけません。いくらイノベーションの創発が起こることや、利便性の向上が見込まれることなどを力強く主張したとしても、決済の安定性を通じた金融システムの安定を確保するということの重要性をしっかりと理解して、この点にアドレスする提案でなければ、中央銀行として検討の余地がない提案となってしまうということです。

この物事の優先順位や政策的な重みづけは、民間の事業者によるCBDCの議論に際して、十分に考慮されない傾向があるので、CBDCの可能性について検討する意欲のある民間の皆さんには、特にこの点を強調しておきたいと思います。

(3)通貨政策への影響

デジタルにコントロールすることができる中央銀行に対する債務であるCBDCは、物理的な紙幣と比べて、中央銀行による通貨政策へのパワフルなツールになると言われています。

たしかに、紙幣に比べて、中央銀行はCBDCに対してネガティブなものを含めて利息を付するということが技術的に可能となります。繰り返しになりますが、そのようにCBDCをデザインすることによって、そのようなことが可能になるという意味です。

現在の銀行は、銀行預金に対して利息を付することを通じて、市中から資金を集め、これを元手にしてレバレッジをかけて貸し出しをすることによって、貸出金利と預金金利のマージン分を稼ぐというビジネスモデルとなっていることはよく知られています。中央銀行が通貨政策としてCBDCを通じて直接にネガティブ・ポジティブな利息を付するということをした場合に、この市中銀行のビジネスモデルにどのような影響があるのか、という点は重要な検討事項であると言われています。

一部の中央銀行は、現金の発行残高の減少により生じつつあるシニョリッジの減少に対する対応として、CBDCの発行に対して前向きな態度を示すということがありうるとも指摘されています。CBDCが財務当局により引き受けられるようなことがあれば、これは中央銀行の独立性との関係も論点となりうるでしょう。

日本円の国際化や経済安全保障の観点

お役所(と敢えて言いましょう)としての日本銀行という組織の論理からすれば、サラリーマンである中の人たちにとってのマンデートは、日銀法にある通り、「銀行券の発行と共に、通貨と金融の調節をすること」、さらに「金融機関の間で行われる資金決済の円滑の確保を図ることによって、信用秩序の維持に資する」という点にあります。そして、「通貨と金融の調節」は「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」を理念とすることになっています。

この法令に忠実であろうとすれば、日本銀行という組織が果たすべきことは、上記に掲げられている範囲の役割を果たすために、そのリソースを投入するということに尽きるということになります。

しかし、日本銀行が、そして日本銀行が支えているところの日本円が、日銀法に定めるミッションを達成するためには、そもそもこの日銀法という法律を制定している日本という国家が、世界において相応の地位を占め、他国の政策に依存をせずに持続的な国家運営をすることができることが、大前提であるはずであります。

その意味で、日本銀行を支える中の人たちは、日銀法に定めるミッションを達成するために、日銀法には明示的に定められてはいない、日本国の通貨の将来について無関心ではいられないはずであります。

「お役所」であるところの霞が関の官僚にもいろいろな人がいますが、多くの人は、各省庁の職員である前に国家公務員として、日本国の将来がどうあるべきかということを考え、それを個別の政策に反映させるということをしています。日本の通貨をつかさどる日本銀行の中の人も、資金決済の円滑の確保を通じた信用秩序の維持の先に、国民経済の発展に資することにコミットをしているはずです。これは物価の安定ということに本来はとどまらず、日本の決済手段、価値尺度、価値保蔵手段としての日本円を、いかに国民経済の発展に資する形にポジションどりしていくべきかということを考える、国益擁護の士としての役割を担っているはずということだと思います。

覇権をうかがう意欲を隠さなくなった中国の勢力拡大のもと、米国によるドル覇権が必ずしも継続することが保証されているわけではないという事態があろうがなかろうが、日本としては世界の主要通貨の一角を占める日本円というポジションを維持するという国家的なミッションがあるはずであります。デジタル日本円の導入というテーマは、かつて日本円の国際化というテーマに燃えた日本の当局者の先輩方が現代に活躍していれば、間違いなく単なる机上の議論を超えた切実な議論として取り組んでいたテーマなのではないかと想像します。

(4)CBDCの実装方法 につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?