見出し画像

資本主義の軛から逃れられるのか

またまた前稿からの続きですが、一応これで一旦最後にしようと思っています。

■では、何をすればいいか

・資本主義を止めるわけにはいかないでしょう。とてつもない力が必要です。しかし、ヒントはこれまでの議論にもあったと思います。資本論にはこんな一節があります。

「資本主義時代の成果―すなわち、協業と土地の共同占有ならびに労働そのものによって生産された生産手段の共同占有を基礎とする個人的所有を再建する。」

相変わらず小難しいですが、「資本家が独占占有した生産手段を共同占有の形で取り戻そう」という意味だと思います。マルクス主義者的にはここから話が共産主義に行っちゃうのですが、もう少し違う形の提案をしているのがヘンリー・ミンツバーグ氏(カナダ、マギル大学教授)です。ミンツバーグ氏の『私たちはどこまで資本主義に従うのか』では、「政府」「民間」の2セクターの影に隠れて目立たない第3のセクターである「多元セクター(いろいろな種類の団体で構成されているのでこういう名称で呼んでいる)」を活用しようという提案をされています。

・ここで言う多元セクタ―の例としては、財団、宗教団体、労働組合、協同組合、多くの一流大学、一流病院、グリーンピース、赤十字など。今ではちょっと「?」のつく組織も多いですが、ミンツバーグ氏はこの3つのセクターの基本的な違いは誰が所有しているかにあって、政府は自明として、民間の場合は誰かが所有しているが、多元は「多くの場合だれも所有していない」と書いています。ちょっとしっくりこないので、多元は「資本の永遠の蓄積」を第一目標にはしていない団体という方がわかりやすいと思う。赤十字などは最近白い眼で見られていますが、無限蓄積までは考えていないのでは(^^;)
・1989年に東欧の共産主義体制が崩壊した時、「資本主義の勝利」「歴史が終わった」とはしゃいでいたが、「それは間違いだった。」(ミンツバーグ) 共産主義体制の問題は政府セクターへの過度な権力集中で鼎のバランスを欠いていたことが問題だったということ。そこが誤解されたので今度は民間の力が過度に強まって今日至ってるとも。資本主義の軛に囚われ、武器であるカネにものを言わせ、政府も牛耳ってしまう。それならば、今度は多元セクタ―を強化して鼎のバランスを取るべきだということになります。

■ミンツバーグ氏の言葉:

ミンツバーグ氏が「私たちはどこまで資本主義に従うのか」で書いている言葉をみてみましょう。

・アメリカ独立革命は、民主主義を生んだというより、きわめて個人的な民主主義が生まれるきっかけを作ったにすぎない。
・憲法が保障しているのは、あくまでも自然人である。「人」は当初は裕福な白人男性しか意味しなかったが、次第に資産、性別、人種という制限は撤廃され、ついには「法人」に自然人と同じ権利を付与してしまった。これが決定的転機。(アメリカ建国の父たちの一部は懸念を示していた)
・アダム・スミスの言葉から「例え人々が個別利益を追求しても見えざる手の導きで全体利益が実現する」を切り取って、錦の御旗のごとく古典派経済学者は使うが、当時アダム・スミスの時代は企業といっても街のパン屋・酒屋・肉屋のイメージであって、巨大企業ではない。前提が違う。
・奴隷支配の最終段階は、奴隷であることを本人が気づかなくなること。
・社会主義(ソーシャリズム)という言葉が忌み嫌われ、悪であるかの印象が生まれていて、逆に資本主義は好ましいものの象徴になった。
・競争的市場がアダム・スミスの言う通り社会全体に奉仕するなら素晴らしいが、現実は多くの人を犠牲にして一握りの特権階級が甘い汁を吸っている。
・共産主義の害が明らかになったからという理由で、資本主義が好ましいことになるわけではない。極端に教条主義的なればどちらも救いようのない欠陥を露呈する。
・政治セクターは国民に信頼される政府に土台を置き、民間セクターは責任ある企業に土台を置き、多元セクターは強力なコミュニティを舞台に形成される。多元セクタ―は政府・投資家によって所有されてはいない団体(メンバーによって所有されている場合はある)などである。
・共産主義の経験から明らかなように、私有資産が認められない社会は機能しないし、資本主義のシステムが明らかにしつつあるように、ほぼすべてのものが私有財産の対象になる社会もどっちもどっち。一部の大手製薬会社が取得した伝統社会の人々が昔から使ってきた薬草の特許のような知的財産権もここでいう私有財産に含まれる。
・私有財産でもなく、政府の財産でもない者は誰のものだ?それは「共有財産」だ。要は「コモンズ」だ。最近の例ではオープンソースソフトウエアなどがある。
・昔の貴族が自ら生みだしたものではない富を勝手に盗んだように(囲い込み)、株主は自らほとんど貢献しないで生み出された会社の富の所有権を主張している。

・政府から民間に移すべきものを探すのではなくて、民間から多元に移した方が良い活動を探してはどうだろう。
・「企業は株主の為にだけに存在する」という考え方を捨てる必要がある。そうすれば、
①法人の構成員に自らの行動に責任を持たせることができる。例えば、人命にかかわる欠陥があると知りながら車を売り続けたメーカーの幹部には殺人罪は適用されないのか?
②「大きすぎて潰せない」という理由で税金で救済されたり、免責されたりするのは正しいのか。
③「知的財産権」とか、私有財産権も一部見直した方が良い。
④水面下のロビー活動を白日の下にさらけ出させる。
⑤多くの人を食い物にして一部の人のみが儲かるような不当な金融サービスを見直す。
みたいなことにつながるかもしれない。
・政治システムを正す必要はあるが結局私たちの未来は、私たちが自分よりも国、国よりも世界全体のことを大切に考えられるかにかかっている。
・必要でないものを大量消費することは、満足感も上げないし、良い暮らしを台無しにし、美しい惑星を破壊する。
・我々は、先祖の人が想像もできないくらい莫大な富を手に入れたが、同時に途方な問題を生み出してしまった。
・企業は人間の地位を得る一方で、人間は企業にとっての資源になってしまった。
・ロビイストは多くのウソを語る。
  ①「ロビー活動も言論の自由である」
  →ではなぜ、舞台裏でコソコソやるのだろう。
  ②「ロビー活動は法律で認められている」
  →それを言うなら賄賂だって、政治献金や退任後の寄付の名目で認めら
   れていると言える
  ③「ロビー活動は全ての人に認められている」
  →現実的にはすべての人になる為には政治家に影響を及ぼすことのでき
   る財力はパワーが必要。
要はアメリカでは合法的に汚職が行われている。かなり堂々と。受け皿は元大統領や元国務長官の財団。彼らが受けとる寄付は表の目的通りに使われていない(ハイチとか)
・民主主義国と呼ばれている国には真に独立のメディアはいない。
・政府活動のほとんどは、ビジネスのようにマネジメントできないから政府がやっている。
・グローバリゼーションは弱い者いじめである。実態は大リーグの金満球団がアフリカ小国の高校野球チームと同条件で戦わせるようなものだ。

■世界をもう一度作り変えるは出来るだろうか。

気が滅入りそうなので、この辺りで止めますが、気になる方は著書をお読みください。
では、地球や我々はもう一度再生できるでしょうか。キーワードは「コモンズ」の再生。小さなコミュティを起こし(多元セクタ―)、民間から富を移すということ。でもそんなことできるのでしょうか?

どっぷりと資本主義の軛に囚われている都市部では難しいでしょう。貴方を含む多くの人のマインドを変えることは難しく恐らく何世代もかかります。「そんなことして自分の現金収入が減ったら困る」という方は、今の都市部とともにこのまま崩壊してもらうしかないかも知れません。しかし、目を地方に向けると、ひょっとしたら地方創生という形で再生できるかもしれません。幸いにも素晴らし市長が市を変える努力をされている例もあります。

■地方創生について

・地方創生が何故良いかというと、
①郷土愛や「困っている」課題が市町村民に共有されていることが多い。
②対象となる人口が比較的少なく、影響を与えやすい、まとまりやすい。
というところです。
とにかく人の心を変え、「個人の損得」より「市町村という共同体の発展」を優先させられる人が、特にリーダー層の中にどれくらい作れるかが勝負です。これはかなり難しいですが不可能ではないと思います。

・以前、少し地方創生にかかわったことがあります。ゴールは端的に言えば「町の富が増え、人口が増える」ことで、もっと言えばカネです。町を1つの国のように見立てて、①出て行くカネ(外部から輸入する財・サービス)、②入ってくるカネ(外部へ輸出する財・サービス)、③循環するカネ(地産地消)の3つにカネを分けて、「②≧①」と「③の最大化」を実現することが計画になります。そしてこんな図を作りました。


地方創生

およそでも良いので金額をはめると、優先順位やるべきことが見えます。極端に言えば、うまく行くかどうかはありますが、自家発電で電力会社からの購入を減らせたり、その燃料をバイオで町内調達したりというアイデアはないでもないです。グローバル資本(この場合は日本の資本主義傘下の大企業ですが)からの調達を減らし、町内調達を増やし、地域通貨で循環させることができるかがポイントです。
・地域通貨については面白いトピックスなので別途整理しておこうと考えています。

・課題は国の法律と横槍ということが聞こえてました。法律は表の話ですが、横槍は「闇」の話です。「この会社を使え」とか「ここに話を通せ」とかいうもので、「そうじゃなきゃ反対する。」目標達成に合理的ならば問題ないですが、闇の住民の私利私欲だったりします。闇は光を照らせば消えますが、その前に爆発することもあります(^^;)こういう障害を乗り切れるだけのリーダーシップとそれを支える町民の理解。これがクリティカルです。

木っ端役人の予算消化プロジェクトでは無理です。