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自分を語る3

4児の父をやらせていただいています。日々子供たちの成長を見ながら、過去の自分と照らし合わせて、遠い過去の記憶を呼び寄せることをたまにしています。すぐ忘れてしまうので、このように書き綴っているわけでございます。

さて、前回は昨年の秋が最後の投稿で、さぼっていたnoteを掘り起こして、過去の記憶を手繰っていこうと思います。以前の投稿は下記をご参照ください。

己肯定感の低い高校生

自己肯定感という言葉をご存じでしょうか。日本人は自己肯定感が他国に比べて低い傾向があり、下記のリンクでは4つのタイプに分けて論じています。

当然、私もこれにもれなく入っており、タイプで分けるというよりは時と場合によって4つのタイプ全て当てはまるという、逆パーフェクトな高校生だでした。これを読んでくれた方も、もしかしたらいずれかのタイプに当てはまることがあるかも。。

自分にもいえることですが、自己肯定感が低いと、自分の人生を歩むというよりは、誰か(親、先生)の影響に依存して、全く楽しくないんです。ただ生きているだけ。

高校進学した当時は、ただ授業で聞いた内容を復習して試験に臨む。結果を見て落胆する。成績を母親に攻められる。父親に馬鹿にされる。というのをあきらめに近い心境で受け流し、ため息をつきそしてまた学校に行く。という特に語ることもない生活を送っていました。

何のために生きて、そして何になりたいのか全くビジョンがありませんでした。「とりあえず国立の有名大学に行ければ親は満足でしょう」という位の残念な考えだったのです。

自己肯定感が低いがためにできたこと

自己肯定感が低いと自分のことは後回しで、他人のために一生懸命になる傾向があります。なぜなら現実逃避を他者へのヘルプに変換して自己満足になる、いわゆる自己陶酔を得ることができるからです。自分にはプラスになったかどうかわかりませんが、結果をみれば良かったこともあります。その1例を紹介します。

同じ部活で同じクラスにいたM君が、2年生になったとたん欠席がちになりました。このままでは留年してしまう、という位欠席していたので、私は毎朝M君の家まで迎えに行くことにしました(片道30分余計にかかりますが)。1か月ほど無理やりに近い形で一緒に登校しましたが、M君に「もう来なくていいよ。学校行くのがつらい。」と言われました。独りよがりな自分の思いで、M君を振り回してしまったと後悔しました。M君は「自律神経失調症」でした。

結果的に、M君は留年となり、1つ下の学年で再出発しようとしましたが、思うようにいかず、最終的に退学になりました。私は自己嫌悪と無力感でさらに人生が暗くなっていました。しかしながら1年後、私の卒業式にM君が会いに来てくれたのです。M君は私に「このまま終わるつもりはない。お前にもらった友情に報いるために、通信教育受けて大検に挑む。見ていてくれ。」と言われました。

その言葉に感動するとともに、未来を見つめるM君の眼差しに、自分にはないものを見た気がしました。私は未来を見ていないのだと気づかされたのです。親の言うまま、大学進学を決めた私は、自分で進路を切り開いていない。これでいいのかと初めて自己との対話と、自分の人生への問いを模索し始めるのでした。

ちなみにM君とは今でも交流があり、彼は私以上に人生を楽しみ、思うがまま生きています。私は常に彼を誇らしく思うととに、そうできていない自分にガッカリしています。挑戦できる自分でありたい!!

ここまで読んでくださった方々、長文にお付き合いいただきありがとうございます。不定期で、今後も自分や家族に起こった出来事を綴っていきたいと思っています。



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