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専門誌で「記事は小学5年で読めるように書け」と教育された元ライターが文章のわかりやすさについて語ってみた。【瀬川の執筆メモ②】

 最近ツイッターを見ていると、わかりやすい文章を書こう、という話題に対して「小学生でも読める文章にしろとか、馬鹿にしてるのか」と噛みついている人を見る。どうも、小学生でも読める文章=稚拙で子供向けの文章、と捉えてしまっているらしい。

……いや、そうじゃないんですよ。

 専門誌ライター時代、記事は「小学5年以上で読めるように書け」と言われた。小学生までに触れている標準的な語彙、文章構造の複雑さを念頭に置いて、難解な専門誌の記事を書いた。

 そのためには書き手が物事を正確に、構造的に理解していなくてはならない。知ったかぶりや特殊な語彙の使用は、書き手の逃げであり、自己満足である、と厳しく教育された。


 文章を仕事にしているプロでも、こうした考え方から遠い人はいる。経験から言えば、大学教授や評論家に不親切な文を書く人が多かった。大学教授の場合は、正確性の担保を考えてそうしているのであろうケースも多いが、相手にわかってもらおう、という気持ちの弱い文章は、読めばすぐにわかる。専門用語をただ並べて一見さんお断りの文章にしてしまったり(多くは本人の理解、抽象化不足)主語と述語の関係を整理しきれず文脈がこんがらがってたり。


 で、ここから小説の話なのだが「小説家になろう」などのウェブ小説サイトを読み歩いていると、初心者に近い人ほど、日常で使わない語彙を得意げに使っていたり、主語と述語の関係が捻れていたりする。そして何より恐ろしいことに、多くの書き手はその弱点に気付いていない

 文章力を本気でアップさせたいなら、評価されているプロの文に大量に触れて技術を盗むのが近道だ。名文とされる作品を書き写し、言い回しやリズム感を学ぶのもいい。

 でも「自分の文」に拘りが強い人ほど、文の弱点に自覚的になりにくい。何十万字も書いてるのに、そうした「悪いクセ」が抜けない、読みにくいまま(というかぶっちゃけ日本語がちゃんと書けてない)人が結構いる。

 

 時に、なんで読まれないんだろう、と嘆いている方の作品も読むが、正直「文章の初歩ができていない」と感じさせてくる作品に出会う率は高い。頼まれて指摘したこともあるが「ラノベじゃなくて純文学なので」「わかりやすいだけが正しいとは限りませんよね」と素直に聞いてもらえないことが多くて…さすがに「あなたの文章、日本語としておかしいです」と直言するのは辛い、つーか喧嘩になりかねない…黙ってブラバするクセがついてしまった。


 どの作品にも熱意が一杯こもってて、見せたい場面、キャラを考えて書かかれた大事な作品なのはわかっている。でも、文章がわかりにくい、ひっかかるというのはやはりストレス大で、せっかくの見せ場前で読み手を離してしまう…読みやすさのために3回はじっくり見直す派として、推敲大切にしようよ!と主張したい。

 推敲のときに一度声に出して(つぶやきでも、心の中ででも)読み上げてみるだけで、この文直るんじゃないか? と思うケースは多かったりする。

 自分で書いた文の表現、句読点まで正確に音にしてみると、ひっかかりは相当拾えるはず。最近は読み上げアプリや、読み上げ機能のあるワープロソフト(一太郎)も良い、とツイッターで教えてもらった。ほんの一手間で、ぐっと読みやすい文章になるはずなのだ。そこに書き手の、読み手への「心配り」が感じられると、気持ちよく読めるのである。

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