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演奏する人、聴く人を徹底的に信じたジョン・ケージ——その思想への共感とアミオケ

今月、京都府宮津市で企画された「ブッククラブみやづ」第61回イベントにゲストスピーカーとして参加して、ジョン・ケージ『作曲家の告白』(2019年)の解説をさせていただきました。

今回はその時の解説の内容の中から、ケージの思想のエッセンスと、僕が最も共感している部分をご紹介したいと思います。

ケージ「4分33秒」とその前後

今回の図書は、ジョン・ケージ『作曲家の告白』。ジョン・ケージが1948年と1989年に講演で語った内容の記録です。ところで、ジョン・ケージのおそらく一番有名な作品「4分33秒」は1952年に発表されており、この二つの講演は、その前と(ずっと)後のものということになります。そこから今回のブッククラブでは、この「4分33秒」を足掛かりに、その前後でケージが創作を通して何を考えてきたのか、そして音楽史として前後でどのような変化があったのかについてお話することで、この図書の解説に代えることとしました。

さて、改めて「4分33秒」とはどのような作品か、ご存じでしょうか。その説明はとても簡単にすることができます。コンサートにおいて、4分33秒間、演奏者は何もしない——以上です。その初演は1952年、デイヴィッド・チュードアというピアニストが「演奏」しました。この作品のことはかつて『トリビアの泉』でも紹介されたことで、一時期とても有名になりました。

言うまでもないことですが、1952年とは、今から約70年も前です。ゆえにケージだけをもって現代音楽や前衛を語ることはとっくにできなくなっています。しかしながら約70年経った今でも、ケージの面白さは全く色あせていないどころか、その精神からは十分に学べるところがあると思います。以下では、ケージの作品史として、「4分33秒」とその前後で何があり、それは音楽史としていかなる意味を持っていたのかを、僕の関心と能力のおよぶ範囲で紹介していきたいと思います。なお、ケージについては日本語で読める書籍がいくつも出ておりますので、より専門的に関心のある方はそちらをお手に取りください。

「4分33秒」以前

まずは「4分33秒」に至るまでの間に作られた5つの作品を紹介したいと思います。

「バッカナール」(1938年)は舞台音楽でしたが、本来打楽器が必要な作品でありながら予定されていた会場には十分なスペースがなく、代わりにピアノを用いて、その内部の減の部分にゴムや金属、木片をはめ込んで打楽器のような音が鳴るようにして演奏されました。これがプリペアード・ピアノと呼ばれる、ケージが「発明」した楽器です。

次に「心象風景 第1番」(1939年)では、通常の楽器に加えて、ターンテーブルを用いてレコードに録音された音声を演奏として用いました。録音再生機器(メディア)を用いた演奏はメディアアートとも呼ばれますが、さきほどのプリペアード・ピアノと並んで、従来のアコースティック楽器から離れていく傾向を、このころからケージは持っていました。

「居間の音楽」(1940年)では、実際に居間にある道具や物(雑誌・テーブル・床等、任意の物を用いる場面もある)を打ち鳴らしたり、本を読み上げたりします。これは、ケージが影響を受けたエリック・サティの「家具の音楽」(1920年)を連想しますが、その内容はひっくり返っていると言えます。サティの場合、それまでのクラシック音楽が持っていた、作曲家による思想の押し付け的な側面を嫌うかのように、「耳を傾けられない音楽」としてこの「家具の音楽」を作りました。つまり「家具」のように、身近にあって当然すぎてわざわざ意識しない音楽、聴き流される音楽、今でいうBGMを目指していたのです。ただ残念なことに、聴かないでくれと願いながらも結局は熱心に聴かれてしまうことになります。それはおそらく、コンサートという制度的な装置において、作品として提出されたからということがあり、この点は「4分33秒」を考えるうえでもとても重要です。いずれにしても、サティが「家具【のような】音楽」を目指したのに対して、ケージは「家具【で】音楽」にすることで曲を完成させました。プリペアード・ピアノや心象風景に引き続き、楽器でないもの(あるいは、これまで通りの楽器ではなくされたもの)を楽器として扱うことで、音楽を表現しています。

また、同年に発表された「ダブル・ミュージック」(1940年)は、ルー・ハリソンという作曲家との共作です。予め演奏時間と楽器だけを決めておいて、あとはめいめいに作ったものを、のちに合体させて完成させるというものです。それまで音楽作品とは、ある作曲家の表現でした。そこには表現するべき思想があり、作曲家とはその思想家でした。この「ダブル・ミュージック」は、そうした作品における作曲家の主体性、もっと簡単に言えば、音楽作品とは、ある誰かの作品、という1対1の関係を崩したものだと言えます。

そして「4分33秒」が作られた前年、ケージにとってある意味で『4分33秒』よりも重要な作品である「易の音楽」(1951年)が発表されます。「易」とは中国の『易経』に記された占いの一種で、ケージはその手法を参考に、音程や音の長さ、強弱、リズムをすべて占いで決めてしまうことで完成した作品です。これは「偶然性の音楽」と呼ばれており、その作曲方法は「チャンス・オペレーション」と呼ばれています。ケージは作曲における「意図」を排除することで「偶然に」出来上がる音楽を、その出来上がるルールを設定しただただそれに従うというやり方で、作品として仕上げたのです。

「4分33秒」は何をしているのか

こうした前史の中で生まれた「4分33秒」とは、一体どのような作品なのでしょうか。改めて前史を振り返ると、楽器を「改造」して演奏したり、楽器ではないものを楽器として演奏したり、作品に対応する作者の存在、そして作者の意図を消し去ったり、そのようなことをケージは試みてきました。

その極地が、演奏をしない、ということでした。ただしケージの場合、演奏をしない、ということがそのまま「音楽がない」ということではありませんでした。演奏をしなくても、観客が咳や鼻をすする音、どよめき、ドアから吹き込む外気の音、鼓動、いろんな音が聞こえてきたはずです。ケージは、ハーヴァードで「無響室」に入ったとき、科学的に作られた「無音空間」であるはずなのに、二種類の音が聞こえたという経験をしています。それは、神経の音と、血液の音でした。ここからケージは、「この世に無音などない」と確信します。そして、言ってみればそれは「聞こえているけれども聴いていなかった音」であり、それを音楽として捉え返して提示するための仕掛けとして、「4分33秒」が実演されたのです。(ちなみに批評家の佐々木敦は、それは人間が聴覚を持っているからこそ起こりうることだと指摘していて、それを踏まえて正確に言いかえるならば「この世で無音を聞く/聴くことなどできない」となります。)

このように、音が演奏されていないときにもなっているはずの音のことを「環境音」と言いますが、その音/音楽の作者は当然ケージではありません。つまり「4分33秒」という作品は、そのコンセプトとしての音楽を聴取するための装置あるいはフレームであると言えます。ここにあって「4分33秒」に著作権が存在していることは、それ自体がアーティスティックであると言えるかと思います。著作物とは、日本法の言い回しでは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(2条1項1号)であり、ここでの音楽は法律用語では「無体物」と言ってあくまで「物」として捉えられています。そしてその根拠は、もちろん楽譜です。

つまり音楽とは、楽譜を根拠として演奏されることで聴取されるものであり、そこに著作権が属しているというのが、著作権をめぐる音楽理解です。そしてここでは、「思想の表現」としての無・演奏音と、しかしながら無音ではあり得なく聴取される「音楽」とのねじれの中で、著作権法が示すことができる音楽作品の限界が、見事に表現されていると言えます。

いずれにしても「4分33秒」は、演奏しないという演奏によって、聴くべき対象を「作品としての音楽」から環境音=音楽へと転回させたと言えます。このことと並んで、佐々木敦は、演奏時間が「4分33秒」であることにもう一つの転回を見いだしています(『「4分33秒」論』)。例えば僕は、昔のだめカンタービレが流行ったころ、ミーハーなのでベートーヴェン第7番にドはまりしていた時期がありました。なので色んな指揮者が振る第7番のCDを、いくつか持っています。マゼールやカラヤンは速い一方で、ジュリーニなんてめちゃくちゃ遅くて、最初は面食らったほどです。こうした経験は、クラシック音楽を聴く人なら当然あることだと思います。

ところが、当たり前な話ですが、ケージ「4分33秒」は、誰が演奏しても、その演奏時間は「4分33秒」です(演奏者によってはストップウォッチで計るくらいです)。このように「演奏時間が決まっている」ということは、些細なことですがそれまでの常識からしたら全くあり得ないことでした。これは「タイム・ブラケット(時間枠)」というケージの手法の一つで、その後さらに発展していくものでもあるのですが、ケージはこの「時間枠」によって音楽における「時間」を、そして聴衆の耳を環境音に向けることで音楽における「空間」を、ともにそっくりそのままひっくり返してしまったと、佐々木は論じています。それはあたかもメビウスの輪のような作品と言えるでしょう。

さて、このようにコンセプトとして十分に尖っていた「4分33秒」ですが、「ネタが分かっていれば聴く必要はない」と言う人もいます。そのようにコンセプトの段階ですでに作品として成立(完結)しているアートのことを「コンセプチュアル・アート」と呼ぶことがありますが、ケージが影響を受けたマルセル・デュシャンの「レディメイド」という作品と、この「4分33秒」はよく引き合いに出されます。

デュシャンのレディメイドは、最も有名な「泉」に代表されるように、既製品を作品として提示したアートです。「泉」においてデュシャンは、既成の小便器にサインを描きこんで、アート作品として出品して物議をかもしました。それは、美術史がそれまで信じて疑わなかった「オリジナル」という思想への懐疑の表現です。ケージが踏まえた音楽史におけるクラシック音楽の中で、ある時期以降音楽が、作曲者がゼロから作品を創造する、その表現物だとされてきたことと、問題意識は共通しています。そうした制度化されたフレームを疑う行為として、「泉」は機能していたと言えます。

そうであれば、極論すれば、そのような作品が存在していればよく、その時点ですでに目的は達成されているとも言えます。「4分33秒」に対して「もうやりたいことは分かったし、わざわざ聴かなくてもよいのではないか」と言う人はこのように考えています。けれども僕は、これがただ楽譜として出されるのではなく、コンサートという枠の中で演奏されたことで初めて意味を持つと考える立場をとりたいと思います。

とりわけ初演については、コンサートで演奏者がピアノの前に座った以上、何かしらの演奏が始めると期待するのが、観客としては普通ではないでしょうか。しかしその期待は裏切られ、観客は徐々に不安になっていきます。その中でどよめきも聞こえてきて、自分の鼓動や呼吸音が聞こえてきた人だっていることだと思います(残念ながらそうした詳細は記録には残っていません)。演奏されるはずが演奏されない、聴こえるはずの音楽が聞こえない。その中で別のものが聞こえてしまう。それが音楽なのかを考えるためには、実演ごとに異なるはずの環境音に、実際に立ち会うほかありません。想像では環境音は聞こえない/聴くことができないからです。

音楽史における「4分33秒」と、ケージのその後

このようにケージは実演を通して、「聞こえているけれども聴いていなかった音」を聴かせました。そして、これだって音楽だよね、という問いかけを行ったのです。あらゆる「可聴音(聴くことができる音)」を音楽として提示するケージの試みは、音楽史的にどのような意味を持つのでしょうか。

ケージが「4分33秒」に至るまでに経験した音楽史とは、大まかに言えば第一次世界大戦とそれに向かう工業化・軍事化のプロセスの中で、音楽と政治が強力に結びついたことと、それへの反発でした。

1920年にはサティ「家具の音楽」が生まれますが、その前には例えばストラヴィンスキー「春の祭典」(1913年)や、シェーンベルク「プレリュード」(1921年)が登場しています。ストラヴィンスキーはクラシック音楽における「リズム」の秩序を、シェーンベルクはクラシック音楽における「調性」の秩序を、それぞれ解体しました(岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったか』)。またそれ以前には、ヨーロッパが工業化・軍事化に向かうプロセスで、機械音や武器の破壊音にすら音楽を見いだす「未来派」が出現しています(1909年、のちにミュージック・コンクレートと呼ばれる動きにつながりました)。

これらの動きは、僕たちが音楽の授業で音楽の三要素として教わる「リズム」「メロディ」「ハーモニー」を、音楽における政治的な秩序として嫌悪し、そこからの解放を目指すものとして理解することができます。つまり、音楽とは美しく秩序立てられたものであり、そうした作品やそれを産み出す音楽家に権威が付随するという音楽状況に対する、真っ向からの挑戦でした。

また別の角度から言えば、何が音楽で何がノイズかという線引き自体が極めて政治的であり、その政治的な線引きの中で、音程やテンポが指示されてそれに従うことの全体主義的な政治性が見て取れます。ここに、「これだって音楽だよね」ということに帯びる使命が理解できると思います。ケージは音楽の全体主義を民主化し、いやもっと言えばアナーキー化しようとしたのだと言えます。ただしそれはあくまで「音楽としての提示」であり、その意味で決してケージはカオスを望んだわけではないといえるでしょう。あるいは、ケージがアコースティック楽器から離れたのも、従来のアコースティック楽器自体が、そうした和声・調性に「適してしまっている楽器」であり、そこから離れた演奏がむしろ難しい楽器だったからです。

そしてケージは、この「4分33秒」以後特に、聴衆、つまり聴く人に能動的であってもらうことに、格別の関心を払うことになります。それは「4分33秒」の前からも少しずついだいていた関心でした。「4分33秒」の少し前、ケージは自分の作品が込めた意味合い通りに聴衆に伝わらないことに悩む中で、音楽とは作曲者や演奏者が込めた意味を聴衆に伝えるコミュニケーションではなく、ただ音楽をすることで音楽家が自分のやりたいことをより高めていくものなのだと、理解し直すに至ります。

それは反対に言えば、聴衆には、込められているかもしれない意味=正解を必死に探すのではなく、それぞれに聞こえてくる音楽を自由に楽しむことが期待されていると言えます。さきほどの音楽における政治性という文脈で言えば、そうした政治性を帯びた作品を、聴衆はただじっと座って一方的に聴かされるという制度的装置が、コンサートというものでした。ケージがあくまでコンサートという場所で「4分33秒」を実際に「演奏」したのも、コンサートという場で聴衆を裏切ることが、意味として大変重要だったからなのだと思います。

さらに、ケージはこの「4分33秒」以後、作曲と音楽という行為に解放をもたらすことに加えて、「演奏」にも解放をもたらす方向性を強めていきました。1973年には「エトセトラ」という作品が発表されますが、この作品はオーケストラに対して「3人の指揮者」が配置されています。演奏者はこの3人の指揮者がいるそれぞれのブースに任意で着席して、演奏が始まります。日頃通常のフォーメーションに慣れている僕たちからすれば、この説明だけでハテナが3つくらいはつくんじゃないでしょうか。僕はこれをいつかのコンサートでやりたいと思っていますが、果たしていつやらせてもらえるか・・・

1979年の「ロアラトリオ」では、実際の小説に出てくる土地でたまたま録音された音や、小説に出てくる音楽が、小説を読み上げる声とともに多重録音されている作品です。この頃から特殊な表記法(メソスティック)を用いた詩の作成にも関心を持つなど、ケージの関心は音楽だけでなく、演劇や詩にもクロスオーバーしていきます。実際にケージは、あるとき、「これからは演劇の方向に向かう」と言及したことがありました。

そして1987年からは、ナンバーピースと呼ばれる作品シリーズが始まります。それは例えば「THREE^4(3の4乗)」のように表記されたタイトルのように、数字だけでタイトル表記された作品群なのですが、この例で言えば「3人の奏者のために書かれた作品の4作目」という意味です。それ以外の意味をタイトルに込めない「無題」のようなものでしょうか。

このナンバーピースの中で重要なのが、さきほど紹介した「タイム・ブラケット(時間枠)」です。この時間枠には、「柔軟な時間枠」と「固定的時間枠」の2種類があるのですが、前者は、例えば、演奏の開始場所に「0'00~1'15"」と書かれており、終了場所に「5'45"~6'30"」と書かれているものがあります。これは、その楽器が、曲の開始0分00秒から1分15秒後の間のどこかで任意に演奏を開始し、5分45秒後から6分30秒後のどこかで演奏を終了することが、指示されているという意味です。この間であれば、開始と終了のタイミングは、演奏者に委ねられています。

そして後者は簡単で、演奏の開始と終了の時間が、明確に定められているようなものです。演奏者は、定められた時間ぴったりに演奏を始め、ぴったりに終了することが指示されています。この指示の下でアンサンブルをすることが求められているので、演奏者には普段あまり使わない神経を使って演奏をすることになります。

ケージとアミオケ

このように、ケージは徹底して演奏者や聴衆を信じました。ケージの世界では、演奏者は指示されたことに従うのではないし、聴衆はあらかじめ答えの決まったものを、ただ聞かされているのではありません。僕は、この思想にとてもとても共感しています。

アミオケの釜ヶ崎でのコンサートに参加してくださった方、もしくは聴きに来てくださった方には、演奏とは別でワークショップがあったことを覚えておられるかと思います。そこには、楽器を使って演奏者同士で会話をしたり、楽器を持たない人と会話をしたりする場面があります。そこには楽譜も指示もなく、相手の投げかけた言葉などのきっかけに対して、音を出して返答することが求められています。そこでは、例えば調性や音程に気を取られると、むしろ言葉を失ってしまいます。本来会話とは、少し乱暴に言えば、言葉であっても、少々意味が伝わっていなくとも成立するものです。もしくは、そう言って差し障るなら、僕らは普段の会話において、大抵の場合、文法一字一句、過度に正解を探しながら言葉を発してなどいません。でも、楽器になるとそれを忘れて不安になってしまいます。そうしたことから自由になるきっかけとして、あのワークショップを毎回やることにしているのです。そしてもちろん、その様子をどうご覧になるかは聞き手の自由です。

また、実現には至りませんでしたが、ラヴェル「ボレロ」を使って盆踊りをしよう、という企画案もありました。僕が「ボレロん踊り」と名付けたのですが、中心でスネア(小太鼓)がボレロを叩きながら、それぞれが決めた節、メロディ、振り付けで自由に入りながら反時計回りに回転する「アンサンブル」です。当然、きれいに「ハモる」ことはほぼないでしょう。自由に、と言われて戸惑う人も少なくないと思います。でも、ボレロのスネアという共通の基準がある中で、時間と回る方向だけが共有されながら、あとはその「枠」で自由に合わせたり、合わせなかったりする。アンサンブルとはいえ、ひとりで楽しむ時間があってもいいし、合わせたいときに合わせたらいいのです。どっちも楽しいし、場は自然と成立します。この自生的な秩序こそ、ケージの描いたアナーキーなユートピアではないでしょうか。(やってくれるところ募集しています!笑)

ケージは、例えオーケストラであっても、演奏者1人1人を、one of themであるとは、決して考えませんでした。むしろ1人1人をソリストだと考えて、曲を作っていたとすらいいます。またケージは、楽譜は指示書ではなく、「音が発生する場所を探す手段」だと考えていました。それは技術的に高度だ、と多くの人がこぼします。でもこれは、実は技術の問題ではありません。そうではなく、マインドの問題なのです。正解を探さない、指示を待たない、みんなで場を作るということはいつもいつも人に合わせるということじゃない。僕たちが日々送る日常で、たまに感じる「生きづらさ」は、このマインド次第なところがあるはずです。そして、ケージがそう考えたように、それが楽しいかは人それぞれ、けれども、やってみたら面白いかもしれない。なにが面白いかを、やる前から決めるのではない、そういう柔軟さがオーケストラに生まれることで、僕たちは新しい音楽に出会えるのかもしれないと、僕は結構本気で思っています。


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最後に余談ですが、今回ゲストで呼んでいただいたとき、ちょっとでも実際にケージの雰囲気を感じることができれば、と、ケージの手法を組み合わせて、「宮津市立図書館とブッククラブみやづのための4分26秒」という曲を作ってみました。作曲しました、と言うにはおこがましい真似事ですが、実演してみるとなかなか面白く、少しケージに触れたような気がしました。


宮津市立図書館とブッククラブみやづのための4分26秒
~Hommage for J. Cage~

3人の朗読+パーカッション(本)

<概要>
チャンス・オペレーションによって宮津市立図書館から3冊の本を選書し、指定の方法で演奏者に1人1冊手渡す。
指定の方法で導き出したページ数を各自広げ、タイム・ブラケットに従って3人が同時に朗読を行う。
併せて、3+8+2拍子(382=みやづ 笑)をマイクロ・マクロコズミックの原理で並べ、同じくタイム・ブラケットに従って、図書(課題図書)を使用して打音を鳴らす。
本を叩くとき、時間枠の中でテンポを調節するのは素人にはやはりかなり難しかったです。途中で何回叩いたか分からなくなりそうになったり、やはり修業が必要だと感じました・・・遊びに付き合ってくださった宮津の皆さん、ありがとうございました!

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