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手帳【エッセイ】一八〇〇字

『手帳(その1)』は、2年前の8月29日(なんと誕生日!!笑)にアップしたものです。Note仲間の中には読んでいただいた方も何人かいらっしゃいますが、新作(その2)を追加し、再掲します。
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手帳(その1)【エッセイ】六〇〇字

 彼女は、立派に秘書役を務めてくれた。出張や一人旅のときも。次々と予定が決まっていないと落ち着かない質なので、分刻みで。
 そんな私が、四十七で興した会社を、六十五を機に整理することにした。念願の「サンデー毎日」ならぬ「サタデー毎日」(翌日が常に日曜日なので、そういっている)が始まった。と同時に、彼女も暇になってきた。
 一時期は、タイムシステムなんて、タイトスカートをはいたキャリア・ウーマン風が流行り浮気もしたけど、結局元の鞘に納まった。
 いまスマホを使うひともいるが、デジタル系の商売だった私でも、紙がいい。手書きは気のせいか忘れない。終えると横線で消すと、「やってやった!」という達成感がある。
 しかし、横線を入れるスケジュールがめっきり減った。なけなしの行事さえ、“567”禍でなくなったものが多い。趣味のゴルフは自粛。自分史を残すために文章修行で通ったエッセイ教室、高齢者が多く中止。友との呑み会も、重症化リスクがあるヤツが多いので実現できそうにない。歯科医院は怖くて行けないので、予定なし。残ったのは、Z00Mを使った英会話レッスンと持病の電話診察のみ。
 書き込みがなくなると、曜日感覚が薄れるようだ。だけど、やっと辿り着いた「サタデー毎日」。そろそろ縛られることなく気ままに歩いてみよう、と思う。旅は白紙のほうが想定外の発見があって、むしろ楽しいという。
 「秘書よ、大儀であった」
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 「サタデー毎日」の生活をしていると、むろん、「秘書」を雇うほどではない。なにしろ、雇わなくても記憶できる。ほとんどが空白なのだから。曜日感覚が薄れるが、いまは1週間分のピルケースが頼りになっている。それでも、変わらず手帳は、毎年買っている。現役のときと同じ、髙橋書店の手帳。サイズは小さくなったにしても。日記代わりになると思うから。
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手帳(その2)【エッセイ】一二〇〇字

 日記を書いたことはない。いや、正確に言うと、三が日までは書くけども続かなかった。そんな「あるある」人である。しかし手帳は、後に見ると、日記ほどではないにしても、「あのときは何をしていたのだろう」と、タイムスリップしたように振り返ることはできる。独立してからの手帳は全て残しているので、「サタデー毎日」の身になったいま、ときどきながめることがある。
 やはり一番大切にしたいのが、“飛ぶ鳥落とす勢い”と呼ばれた時期の、2011年版。その年の3月11日は、何度も開いた。まさにあの時刻、14時46分は、忘れられない。伊勢丹大阪店開店準備室の会議室にいた(その日の手帳のページがTOP画像)。

 前日は、伊勢丹京都店(JR京都伊勢丹)で午後に打ち合わせがあった。10時30分の新幹線で、12:51分につき、13:30からの会議に参加している。詳細には書いていないが記憶をたどると、その後は、宿泊先の(右ページにある)大阪のホテル阪急インターナショナルでチェックインを済まし、夜に予定している接待まで待機している。店は、いつも決まっている京都・六角堂通りの割烹旅館「要庵」。大阪店の担当にも声かけていたので、宿泊先は大阪にしたようだ。
 当日、伊勢丹の写真素材でお世話になっている京都の広告制作会社に挨拶に行き、大阪に戻っている。場所は、大阪駅前第三ビル。
 その時刻、会議室にいた。震度は3だったが、20階より上だったこともあり、大きく揺れた。ブラインドがガラスに当たる音で、揺れの大きさが伝わる。会議室のテレビをつけると、間もなく、テロップで震度7を伝えた後、大津波警報が流れる。そして、あの衝撃映像。最初は、5メートル。すぐに、10メートルを超えた。が、妙に冷静だった。回線が混まないうちにと、東京の事務所に電話できていたし、昨夜の宿泊先にWEBでつなぎ、2泊の延長もしていた。一緒に行ったデザイナーの大隅にもこんな冗談を言うほどに。
「大隅。なんかダブルしか空いていないようだ」
「えええっ!勘弁してくださいよぉ・・・」
「いや、ツインだよ!」
 しかし、まもなく、「映像」は冗談を言っている顔をこわばらせた。公式サイト開設前、2か月。その日に打ち合わせしなければいけないことを最小限に済まし、新幹線が走っていないことを確認。宿泊先に戻った。
 外食に出る雰囲気ではないのでルームサービスを頼み、ウィスキーグラスを傾けながら、深夜まで津波の映像を見ていた。終わりのない映画を観ているかのように、私は知らぬ間に眠っていた。しかし大隅は、溜っていた仕事を片付けながら、一睡もできなかったようだ。翌日知るのだが、小さいときに遊びに行った親戚が南相馬にあり、眠れなかったのだ。
 翌日、新幹線が動き、なんとか東京に着いた。駅前のタクシー乗り場は、気味が悪いほどに静寂につつまれていた。視点が定まらないままボーっと、順をまっていた。「非日常」の世界から浜辺に戻った、浦島太郎のように。

 「手帳」は、過去とつなぐトンネルのようだ。

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