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「表現の不自由」? 【エッセイ 意見文】一二〇〇字

 昨日の朝日新聞朝刊(3月4日)の「折々のことば」「天声人語」、読まれただろうか。前回の私のエッセイ「Imagine」(3月2日)で、自分なりに意見をうまくまとめたつもりでいた。が、趣旨は類似するところがありながらも・・・表現レベルの雲泥の差に、落胆。「さすがに、プロ!」と感心した(当たり前じゃろうが(-_-;) )。

 朝日の購読者は読まれたひとが多いと思うが未読のかた、読む機会を持てないかたに、ぜひお目通しいただければと、アップした。以下に、私の感想とともに、画像で紹介。あなたはどう思われるだろうか。

折々のことば_本文

「折々の言葉」
 「彼こそ祝福されるべき」と記した軍医の手紙の内容。どう思うだろうか?私は、「I agree!」。

画像2

「天声人語」
 「息子」の返信「シャンソンの主人公」の手紙の内容。どう思うだろうか?私は、これも、大大「I agree!」。

と、ここまでは、新聞記事の画像を利用した意見の表現である。

が、

 今回、あえて新聞記事の画像を使って、意見を表現しようと試みたのは、ある「実験」を目的にしたからである。この種(最近の悲しい「出来事」)のテキストによる記事を投稿すると、記事上部に「注意書き」が挿入される。疫病関連の投稿の場合も鬱陶しいが、「567」表記で、回避できる。じゃ、今回の「悲しい「出来事」」の場合は、いかがいたそう。そこで画像を使って表現すれば(テキストじゃなく、イラスト、写真、絵画でも良いわけだ)、その「おせっかい表記」を逃れることができるのではないかと、考えた。つまり、画像にすると、タグ、プログラムに埋め込まれたキーワードでチェックできないので、「おせっかい表記」を挿入しようがないと思った、次第である。
 どうだろうか?
 なぜ、こんなお茶目なことをするかと言うと。この「注意書き」は、一歩間違えれば「表現の不自由」「思想統制」にもつながる危険を孕んでいる。Note仲間のアルプ・スナフキン君の「各自の判断に任せればいい」とのコメントを読んで、そう思った。Noterさんの「MOH」氏は、今後、何個も「注意書き」が挿入されスクロールが長くなることに、疑問を感じている。
 確かに不正確な、微妙な表現も散見されるので致し方ないのかもしれない。さらに「注意書き」の下には、寄付の呼びかけをするボタンを配置するなど、一定の配慮がなされてはいる。が、note社には、そのやり方、扱いを、慎重に考えていただきたいと思うのであった。
 因みに、実験の結果。「NO WAR」「STOP WAR」「戦争反対」「表現の不自由」「思想統制」「注意書き」などの表記は、OK。「ウ〇〇〇ナ」「ロ〇〇」は、〇のままであれば良いが、文字が入ると、「ブーー!!」であるようだ。なお、その関連記事へのリンクは、画像と同じ処理になるのか、NGじゃなかった。(追記:なんと「プーチン」は、ピックアップされませんでした。2語だけでした。拍子抜け・・・)
 
 今回は面白おかしく「実験」してみたわけだが、このようなことが必要になるような世の中にしないように、われわれがしっかりと注視、声をあげ続けなければならない、というのが結論である。

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