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さがしもの【エッセイ】八〇〇字

早大エクステンション「エッセイ教室」春講座。最終課題(全八回)は、「さがしもの」(八〇〇字)。
「ん? noteに『自分探し【エッセイ】一〇〇〇字』を書いたけど、これはまさに『さがしもの』じゃないか? ひょっとして師匠は、noteを覗いてくれていて、『まあ、一回くらいは悩まなくてもいいようにしてやるか』と、お題を決めていただいたのかも」と思いました。だが、それはない。そんな生やさしいお方であろうはずがありませぬ。(笑
先の投稿を読んでいただいていた方には申しわけないけども、一〇〇〇字を八〇〇字(正確には、タイトルと氏名の行があるので、760字)に詰め、リライトした投稿になります。しかし、削っただけでは芸がないので、構成と最終部も変更してみました。いかがでしょうか? 前作よりは、スッキリしたのではと思うのですが・・・。やはり文字数制限すると、緩みが消えます。

               ※
 受験に失敗し、静岡・藤枝の発掘現場にいた。重労働だったが、その分、崩れかけていた自分を忘れることができた。癒しは、Eと仲間たち。そして、酒。考古学の話には、聞き役だったが、出番は、大江の本。深夜まで語り合い、「————パイロットは、わたくし、城達也でした」の、バリトンの声で深い眠りに着く、日々。
 高二で病欠留年し、現役受験にも失敗。札幌で浪人中。現役で北大に入り、革マルに関わっていた同期のTと、発禁扱いの『政治少年死す』の海賊版を製作。拡販をしていた頃。立正大にいる同期のEから、連絡が入る。受験期間中に寮に潜り込み、学内で販売しないかと。
 宿泊先が決まっておらず、渡りに船。二月初め。教養学部がある熊谷に向かう。むろん寮は、部外者、立入禁止。が、難なくクリア。Eがいる十人の大部屋で寝泊まりする。春休みで帰省中の学生のベッドが使えた。関門は、点呼。しかし、寮長が回る時刻、Eの手下たちの協力もあり、ロッカーに隠れ、難を逃れることができた。
 Eは、考古研に所属していた。そもそも親分肌で、研究会の学生を中心に、「大江の発禁本だぜ、買え」と、ほぼ強制的に買わせたこともあり、持参した三十冊は、完売。だが、当然の帰結だが、全て不合格となってしまう。
 もう迷惑はかけられないと、就職を考えていた頃、またEから誘われる。遺跡発掘のバイトだった。二浪させてもらえるかどうかわからない。迷った。が、三食付きが、魅力だった。
 約束は三月末まで。トレンチ掘りが続き、「土方」仕事で終わるかもと思っていたが、「塊」にたどり着く。あとは、発掘らしくなる。スコップから草削りに変り、竹串、刷毛と徐々に繊細な道具に。図面描きまでやっている頃。宿泊所に、母から電話があった。
 「お父ちゃんも許してくれたよ。タカ(二歳違いの弟。東京の専門学校に決まっていた)と一緒に住んで、もう一年がんばりなさい」と。

(次回予告)
脊柱管狭窄症なる“加齢病”💦を患った故に、ワタクシの十八番のシリーズもの『ウォーキング小景』が書けなくなった。そこで諦めるワタクシではない。新企画『ロードバイク小景』を画策しているのだが、乗りこなさないと実現できない。よって、現在、特訓中。

近所にある大日本印刷本社の敷地内の歩道です。
小柄な愛車がぽつりと、淋しく映っておりやす。
(6月20日撮影)


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