見出し画像

【エッセイ】あえて「時間がかかる」ことを選ぶ

昨日家に帰ったら、國際平常函件というラベルが張られた、単行本ほどの小包が届いていました。台湾に住んでいる知人からの贈り物です。少し前に、「春節にメッセージカード送るね」とSNSがあったので、ついにきた!と嬉々として封を開けると、まず飛び出してきたのは、どこか東洋のオレンジ色の夕日に似たような、強い芳醇な香りでした。クラフト紙の包みの中には、新年のメッセージカードとともに、4種類のティーバッグが入っています。烏龍茶とか鉄観音茶とか書いてありますが、どう考えてもそんな香りには思えません。が、それも可笑しくて、ふふっと笑ってしまいました。

メッセージカードを読んだ後に、もう一度包みのおもてに目をやると、2月2日に切手が切ってあります。届いたのが14日なので、かれこれ10日以上かけて台湾からやってきたことになります。もちろん今現在、航空機で日本-台湾は3・4時間程度の距離ですが、他の荷物との兼ね合いもあるので、空輸でもこのくらいの時間がかかるのでしょう。海を越えてわたってきたことは間違いないのです。そう思うと、何とも言えない気持ちになります。


思い返してみて、初めて同じような体験をしたのは、小学校5・6年生くらいのときだったと思います。といっても、手紙ではありません。
当時、僕は革小物に凝っていて、今から考えるとおじさんみたいですが、関連する記事をインターネットで漁っていたり、雑貨店に足を運んだ記憶があります。そんな中で、とあるオーストラリアのスタジオのウェブページが目に留まりました。手縫いの革雑貨を扱うそのスタジオは、革鞣しから裁断やデザイン含め一通りの工程を行っていて、そういうところに子供ながら惹かれたのかもしれません。その中でも比較的手ごろな黒のカンガルー革の財布を、親のクレジットカードを貸してもらって購入しました。
一か月くらい経っていたかと思います。家のポストに、緩衝材でふんわりした白色の郵便封筒が届きました。送り状は青の無機質なフォントの英語で書かれています。中からは、茅色の厚紙で、縁が刺繍糸で縫ってつくられた、可愛い袋が出てきました。一ヶ月間待ちに待ったあの時、今でも袋を開けた瞬間をはっきり覚えています。それは何よりもまず、あの革の香りでした。


僕は写真が好きなので、写真の話をします。カメラを始めたのは今から5年ほど前で、フィルムカメラが最初です。Rollei35というレンジファインダーカメラを使っていました。露出やシャッタースピードは当たり前にマニュアルで、かつ組込み式の露出計は壊れていたので、単体露出計を持って撮影という、かなり不便な仕様です。それに知っている方はご存じだと思いますが、このRollei35は目測ピントといって、被写体との距離を ’目測’ で見積もってピントを決めるので、人物とか花とかは慣れないうちは撮影が難しいのです。ただ、バカチョンと違って、一枚とるのにかなり神経注ぐ必要があって、うまくいったりうまくいかなかったりする、このカメラがきっかけとなって、写真好きになりました。
そんなフィルムカメラの一番の価値だと感じているのは、シャッターを切ってから、その写真を確認するまでの時間だと思っています。すぐには上手く撮影できているかわからないし、だからこそ丁寧に撮ろうと思えます。時には旅から帰ったあと、片付けが面倒で放置していたバッグの奥底に撮影済みフィルムが眠っていて、現像するとその時の記憶がふっと戻ってくる。そういう経験もなかなかできるものではありません。


やっぱり時間というのは、それだけで価値があるように感じられます。最初の手紙を書くという行為自体も、気軽にスマートフォンでやり取りするのと違って時間や頭も使うし、労力が伴います。最近は、段々とその労力を減らそう、時差をなくそうとするように、発展してきていますが、現代では煙たがれるこれらにこそ、一種の豊饒さがあって、人は深みを感じたりするような気がします。あえて「時間がかかる」ことを選ぶ。こんなアナクロニズムな考えも、大事だよなあ。

今月末に台湾に行くので、写真とメッセージカードを持っていこう、いや、手渡しより郵便で送る方が意外にうれしかったりするのかな、なんて考えながら、今日はこの辺で。

それではまた。




この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?