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【大学散歩】台湾大学 植物標本館から統治時代を知る

2月中旬から3月上旬にかけて台湾を訪問しました。台湾の友人に会い、屏東や台東を自転車ツーリングするのが目的です。

この旅については、何回かに分けて書こうと思いますが、今日は国立台湾大学(以後、台湾大学)の散策記録を残したいと思います。

学生で賑わう構内
伽藍洞の講義室

台湾大学は、台北の大安區に位置する、台湾で最も有名な大学です。日本でいうところの東大にあたりますが、これはイメージの話ではなく、日本統治時代に設置された台北帝国大学(その名前の通り旧帝国大学の一つ)がその前身であるからです。僕は歴史に暗いので、台湾大学資料館の歴史年表を見て知った時は、本当に驚きました。

植民地支配という事実を是認することはできませんが、実際のところ、行政やインフラ、そして教育という点で、プラスな影響も与えています。日露戦争の総参謀長も務めた児玉源太郎は、台湾の行政の基礎をつくり、加賀の生まれの土木技師である八田與一は、台湾南北に走る中央山脈の西部平野に鳥山頭ダムを築き、インフラの整備に多大な貢献をしました。そして教育という観点では、この台湾大学を外すことはできません。

台湾大学の中には、植物標本館という建物があり、まさに日本統治時代における“教育”の影響が現れています。というのも、先に述べた台北帝国大学はもともと、植物研究を行っていた旧台北高等農林学校を基に拡張されたからです。

台湾における植物研究の歴史

この標本館では、1900年代に台湾で採集された植物の標本に加えて、台湾における植物分類学の黎明期を垣間見ることができます。去年の朝ドラ『らんまん』でも、牧野富太郎が台湾に植物採集に向かうシーンが描かれていましたが、まさにあの時代です。
建物自体も、1961年の改築されたのみだそうで、建設当初からほとんど変わらない姿を残しているのも魅力です。

建物はこじんまりとしているものの、中に入ると標本の数と、その美しさに圧倒されます。そして、100年近く昔の植物が眠っていると考えると、ちょっとした異世界に入り込んだ気分になります。

有機溶媒に浸漬保存された標本たち
目を凝らすと、W.Yamamotoという日本人の採集者の名前が見える

標本館の周囲には、附属の温室や、日本統治時代に植えられた植物が栽培されている庭園を観ることができます。何世代もタイムスリップした趣で、これがまた落ち着くんです。

植物標本館付属温室

蒼の壁画の講義棟を抜けると、庭園が現れます。

植物学(生物学?)講義棟の一角
植物庭園

植民地支配において、やはり宗主国としては、宗主国に相応しい姿を示したいという想いが根底にあると思います。実際に、日本は、当時の日本の中でも最先端の技術を使ったインフラ整備を台湾で実施し、上で述べたような教育の面でも、その学問基盤の構築に携わっています。小さな植物標本館から、新しい発見がありました。

次回も台湾旅行記の続きを書きますので、興味があれば。
それではまた。




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