追悼:笠井裕文

2019年11月20日午前1時20分 神戸のバンド、Thee Bossmenの笠井くんが亡くなった。

享年50。

僕は笠井くんとはそれほど深い付き合いをした仲ではなかったが、僕なりに彼について少し書いてみたいと思います。

僕が笠井くんを認識したのは、いつだったか忘れたが、90年代(おおざっぱすぎるが、、、)、シェルターの楽屋であった。そのとき川崎くんもいたよな。90sのガレージバンドが好むようなウィンドブレーカーにキャップのようないでたちだったと思う。髪がキャップに収まりきってない感があり、「髪の量が多い人だ!」というのが最初の印象(笑)そこでたしかFinkが紹介してくれたのかな?Finkがプロデュースしたという付帯情報とともにThee Bossmenというバンドを知るところとなった。このへん記憶があいまいだが。

90年代半ば、東京から見て、関西のガレージシーンの窓口はキング・ジョーであった。いいとかわるいとかでなく、キング・ジョーが窓口のような存在であったのは事実だろう。彼の趣味は60s的なガレージに寄っていたと思われるので、Teengenerate、New Bomb Turks、Devil Dogsなどの90sガレージ・パンクを志向していたThee Bossmenの存在が東京に浸透するにはすこし時間が掛かったと思う。

Thee Bossmenはレコード屋(新星堂?)勤務の仲間を中心に結成されたという。そのことからも想像できるが、彼らは深く「掘る」集団だった。笠井くんは特に僕に近いタイプの掘り方をする人で、レア盤をレア盤として買うのではなく、安いレコードをいっぱい買って聴きまくり、その中からなにか探し当てるようなタイプであった。評価の高いレア盤をきちんとした値段で買うというのも大事であるというのも理解しているが、とにかく、僕や笠井くんはそういうタイプであり、その点で話の合うやつだった。

笠井くんの成した偉業として「Modern MIndsの発掘」というのがある。カナダ、トロントのバンドModern MIndsの7インチに関して、僕らは友達ルートでその存在は知っていたのだが、笠井くんはそこからさらに深堀りしてMoe Berg本人(のちにThe Pursuit of Happinessで有名となる)にたどり着く。そこで7インチの3曲以外にも曲があることをつきとめ、入手。それらの曲が入ったMDが僕ら界隈で爆発的に出回り、結果BASEからCDの形でリリースされ一般の知るところとなったわけだ。(このアルバムは2018年にカナダのUgly Popよりタイトル、ジャケを変えて再発されている)

笠井くんにはパワーポップを愛でる趣味があり、一時期Thee Bossmenとは別にRubber Toonsというバンドを組んでいたことがある。2000年に大阪でRubber Toons企画があって僕はその企画に呼ばれたRockbottomと一緒に大阪に行った。たしかPay Channelも出ていたな。笠井くんが実はすごいビートルズ・フリークであるというのは、僕はぜんぜん知らなくって、つい最近そのことを知ったのだけど、Rubber Toonsはガレージパンク味のある、言ってみればThee Bossmenの発展系ともいえるパワーポップであり、当時モノを研究して再現しようとするより、時代とともに進行形であろうとするような音であった(今思えば、だけど)。

Thee Bossmenは7インチを2枚出しているが、その後上に書いたRubber Toonsもあったりして、僕からみるとThee Bossmenはやってるのかやってないのか、わからないような状況にあった。それでも彼らはデモを録音したりしていて、シェルターにライブをしにきたり、デモのCDRをもらったりしたことがあった。それを聴くと、7インチで聴けるストレートかつLo-fiなガレージ・パンクからパワーポップの要素も入れたかたちに変わってきていたので、その後の活動への期待もあったが、笠井くんとはその後、たまに東京にライブを観に来た時に挨拶を交わす程度だった。

時は流れ、2010年代に入ってTeengenerateの映画を作る話が出てきた。2014年公開の"Get Action!"である。僕は監督の近藤くんに相談を受け、誰にインタビューすべきか、というリストを作ったりしていた。実現した人とできなかった人がいるが、Teengenerateが地方にどのように波及していったのか?みたいな話の中で僕が推薦したのはP.C.2のヒロヤスとThee Bossmenの笠井くんであり、そのアイデアは採用され、彼らのインタビューを収録することとなった。僕はその撮影には立ち会わなかったが、撮影はぷあかうで行われたようであり、後日、映画にてその姿を確認することができた。語り口は訥々としていたけど、Teengenerateのことが好きだったんだな、ということが感じられた。

その後とくに笠井くんとは交流がなく時が流れていたのだが、

昨年2019年の11月17日のこと、Thunderroadsが姫路にツアーに出てから話が急展開する。マサハルくんから「笠井君、闘ってます」というコメントともに見舞いに行った写真が送られてくる。え、カーシーどうしたの?と訊いたら、「また連絡します」と返ってきたのだが、そのわずか3日後に笠井くんは旅立った。

僕はなんも知らなかった。ずっと闘病していたこと、結婚していたこと、お子さんもいることなどなど、、、

盤としては2枚しか残さなかったが、笠井くんは確実にシーンに爪痕を残したと思う。それはレコード作品だけの話ではなくて、彼のやってきたこと、言動、人柄などが多くの人に確実に残っているということだ。年末に神戸を訪れて、彼を知る人と話をして、そのようなことを思った。


(つづく)



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