追悼:笠井裕文(後編)

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前回の続き。

作業を一休みして昼ごはんにしようということになった。僕としては作業を進行させたいので、コンビニのおにぎりでもなんでもいいじゃんか、と思ってたけど、みんなで食べようというので近所のお好み焼き屋に行くことになった。僕はあんまり食に興味がない人間なので、基本的になんでもおいしくいただけるのであるが、みんなが言うには特においしいお店だったようだ。思い起こせばサガやんはちゃんと話したことがあったけど、ヴォンくんやオレッちとはちゃんと話したことがなかったので、いい機会となったし、こうじやマサハルくんからもしょうこさんにエピソードを話すという形を借りて笠井くんとの関係性を聴くことができたので、なんでこの2人がわざわざ神戸までくるという強い意志があったのかもなんとなくわかり、結果的にはおにぎりよりよかったかもね。ただ、よせばいいのにパカパカ飲んじゃったんで、午後の作業はかなり鈍くなったが。

かんたんにまとめると、マサハルくんとBossmenの繋がりはAccel 4時代に遡り、Accel 4が関西に来た時に当時ワラビーズからリリースしたシングルを笠井くんが買ってくれたのがきっかけとなり、何度も関西に呼んでくれたということだ。それゆえに絆が強い。僕は恥ずかしながら、オレッちのいたジョニーロケッツの活動についてもほとんど知らずにここまで来ているが、マサハルくんはBossmenを含めたバンドたちの活動の雰囲気を肌で感じてきていたということだろう。なので、マサハルくんはオレッちのことを当時の呼び名?のパンサーと呼ぶ。こうじも別の意味で笠井くんと繋がりがあり、笠井くんが東京に来た時にはこうじのウチに泊まって一晩中レコードを聴きながらパワーポップについて語ったりしたとか、僕が思っていたよりも深い関係だったんだなと感じた。

午後の部はモクオくんが加わり、サガやん(当日DJ予定あり)、ヴォンくん、オレッちは離脱という体制でまたひたすら仕分けを行ったが、満腹&飲みの影響により朝よりも確実にペースダウンした笑

僕は遠出した際には無理やりにでもレコード屋に行くということをやるのだが、今回はさすがにその時間はなかった、、、

夜になり、またごはんとなった。僕はなんでもよかったのだが、焼肉屋にいく手はずになっているというので、近くの焼肉屋へ。笠井くんの息子さん(3才)も一緒。僕はこう見えても子供好きなんだけど、やっぱりレコードのことが気になっていて、遊んだりする暇がなかった。ここからは仕事上がりでハカセが合流した。思えば、モクオくんやハカセともちゃんとしゃべったことなかったし、これはこれでよい機会だった。

ハカセは笠井くんとのいろんなエピソードをしゃべるのだが、大体はこんなことをして笠井さんに怒られましたわ、とかそんなかんじの内容をおもしろおかしく言おうとするのだけど、すべてがスベリまくる感じで、でもそんなキャラだから笠井くんが気兼ねなく付き合っていたのかもなー、などと思ったりした。モクオくんとはもう少しパンクの話をしたかったかな、とは思うけど、それはまた別の機会だな。この日のメンバー、ヴォンくん、サガやん、オレッち、モクオくん、ハカセ、総じてみな真面目で働きものだし、笠井くんのためということでパッとこれだけのメンバーが集まるというのは人望あったんだな、と改めて思った。

近くにとってあった宿に泊まり、朝マックしてからふたたび笠井くんの家に向かう。夕方まで作業して帰る、という予定。

この日は法要があるということで、ご家族が集まっていた。僕らはレコードの部屋で作業を継続、ハカセにはCDに手をつけてもらう。CDもなんだかんだで2,000枚くらいあるかな。実は近年CDの方こそ査定が難しくなっているというのが個人的な感想。暴落するものはそれこそ100円だが、CDとして希少なものも中にはあり、その落差と変動が激しい。これこそブックオフなどに一括で持ち込んだら損である。安いものだけをまとめてブックオフはありだと思うので、ここでもハカセにおおまかに仕分けをしてもらう。CDもビートルズ関連がかたまりとしてあるので、これは除外。前日同様黙々と作業。僕は7インチの方にも手を付け始めた。7インチはボックスに収納されており、各ボックスに「Garage」「Powerpop」などラベリングされていたので、後日サガやんたちにもう一度見てもらう想定で僕は普通のロックや和モノなどに手を付け始めた。特筆点としてはModern MIndsのオリジナルが4枚あったということ。本人とのやりとりにて入手したものと思われる。4枚のうち3枚はアンプレイド、つまり1回も聴いていない新品であった。僕はこの盤自体を目にしたことがなかったので、いいものを拝ませてもらったという気持ちになった。

途中でお呼ばれし、ご家族の方々にご挨拶しながらお寿司をいただいた。東京からこのような作業をしにきた(まあ僕は神奈川県なのですが、こういうときは東京ということにしている)と言ったら恐縮されていたが、お父様は尺八の師匠であり、音楽を通じた友人がたくさんいるということがうれしそうではあった。いろいろ話せることもあったとは思うけど、僕はレコードの仕分けを進めたいので、こうじとともに早々に作業に戻った。マサハルくんとは笠井くんとの思いでをいろいろお話されたようであるが。

午後になって、チヒロさん、キャプテン、イソちゃんが来た。僕はもう帰る時間も近づいていたので、作業を進めたくて、せっかく来てくれたのにあんまりしゃべったりしなかった。ごめんね。へんな義務感みたいなのが生まれてたんだよね。オレッちも来たけど、まあ、、、

あっという間に変える時間となりマサハルくん、こうじ、僕の3人は家路に。マサハルくんはミックステープ"Radio Katrhy"を全部持って帰るとのこと。テープ50本以上あったけど、全部カバンに詰め込んだ。僕とこうじはレコード数枚ずつ形見分けとしてもらって帰った。帰り際にキャプテンがThee Bossmenの音源をまとめたCDRをくれた。前にもらったデモと被る部分もあるが、あらためて聴くとThee Bossmenは90sならではのガレージ・パンク・バンドであったのだなと思う。同時代にこのような音楽を聴いていた人とそうでない人では感想は違うかもしれないけど、僕はこのようなサウンドとともに日常を過ごした時期が長くあったし、ときおり立ち返りたくなる音であると言える。

この短い旅に参加したメンバー+プラスαでナックなども加わったラインのグループがつくられ意見交換が始まった。大きく2つの目的があり、ひとつはやり残したレコード、CDの作業。もう一つは追悼ライブの企画だ。このライブ企画はマサハルくん、こうじが東京でやっていた「ROCK市ROCK座」のスタイルを踏襲してフリマ&ライブをやりたい、と。そこの場でこの笠井くんのレコードをみなさんに販売しようという計画だ。こうじはこのあともう1回整理にいったが、僕はなかなか行くことができないので、このライン・グループでああだこうだ言ってるだけなのだが、メンバーは何回か通って整理を続けている。大量のレコードにちゃんと価値づけをするっているのはとにかく大変なことである。このライブに関してはもう少ししたらなんらかのアナウンスがあることと思う。

年が明け2020年1月、横浜関内にて60' Whalesのレコ発があり、そこにNOWONが出るというので、ギターを弾いている元Frantic Stuffsナオキに会いがてら観に行った。ちなみにナオキも上に書いたラインのグループに入っている。NOWONといっしょにレーベル主としてHard Core Kitchenのコメットが来ていた。そうだ、僕がいちばん付き合いのある神戸の人はコメットだったかもしれない。あとはヤンペンの吉田氏か。聞けばコメットも笠井くんのお通夜には参列したとのことであった。現在は奈良と神戸を行ったりきたりの生活のようだ。

ライブ終了後、打ち上げというのかわからないが、60' Whales芳賀くんの店たらふくちゃんでものすごく久しぶりにナオキと飲んだが、その時点でナオキがまあまあベロベロだったので打ち合わせもなにもなかったが、ヴォーカルのエスカルゴと初めてちゃんと話した(飲んだ)。エスカルゴはみんなはエッさんと呼ぶが、Double Bogys~Moga The 5¥のヴォーカルでいわばレジェンド級の人である。僕の一個上らしい。早口で自分で言ったことに自分で笑うタイプの楽しい人で、いろんな話をしてくれたが、キャプテン、チヒロさんの近くに住んでいるということで、笠井くんの話も少ししてくれた。

2月の頭にBroken Heartsのレコ発があり、僕もDJで出てたんだけど、Finkが来てて、この前笠井くんちに行ったそうだけど、そのときにレコード部屋見たか?という話をした。見たというから、僕がけっこうわかんないレコードあったんだけど、特に北欧系、って言ったら、ああ、「大体わかる、だいたい俺が教えたから」って。えー、ほんとかよ。その教えたって話がホントかどうかは笠井くんにしかわからんが、じゃあFinkにもう一度行って確認してもらった方がいいかもなぁ、とは思った笑

その数日後、こんどは鈴政がSandiestとは別にやっているBarbeque Brawlというバンド(みんな知らないと思うけど)が横浜でライブやるというので、連絡をとり、ライブは間に合わなかったんだけど、飲みに行った。鈴政と飲むのはもう10年ぶりくらい?なんだけど、久々にいろんな話ができてよかったし、もちろんその中で笠井くんの話もできた。最終的には朝4時くらいにLINDAでストラマーズを聴いている謎の展開で終了したが、、、

ナオキにしろ鈴政にしろ、10年以上ぶりにこうやって連続で会えたのは、笠井くんが引き寄せてくれたのかな、なんて思ったり。

それと前後する話なんだけど、マサハルくんからたびたび曲のデータが送られてきて、それは笠井くんのテープを順に聴いているのだが、曲目が書いてないのがあり、シャザムに読ませてわかったのもあるんだけど、わかんないのがあるんですよ、ってことで。それで聴いてわかった曲もあったんだけど、わかんないのが多く、ここでもまた笠井コレクションの難易度を感じている。

長くなってしまったが、笠井くんについてのあれこれはここでいったん終了。この後追悼ライブ企画があるので、そのときはまた何か書けると思う。




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