エセ自分探し(20200329)

 眼鏡を買いに来ました。

 ここ最近度が合わなくなってきていました。でもあまり不自由ないので作りなおすきっかけもなく、面倒ごとを後回しにし続けた結果、ダラダラと時間が経ってしまっていました。ずっと逃げ続けるわけには行かないので免許取得をきっかけに重い腰を上げた次第です。

 これはその待ち時間に書き始めました。

 実は前日も眼鏡を買いにきたのですが、どのフレームがいいか三軒巡って小一時間悩んで結局決まりませんでした。頭の中の「いつも通りがいいよ」という安全思考と「冒険しなきゃダメだよ」という大人の思考、2つのスタンスの戦いに決着がつかなかったわけです。「眼鏡ごときで?」と色々な人に笑われましたが「眼鏡ごときで」大真面目に悩みました。何度も説明を受けましたから、各店の料金プランはとっくにインプットされております。早い話、店員さんの説明は先回りして知っているんですよね。でも選べなかった。それには、たぶん、こういう理由があります。

 僕には「自意識の壁」が、僕を取り囲むように存在しています。

 たとえば服を買うとき。洒落た音楽が流れていたり、いい匂いがしたり、高そうだったりする店に入ることが出来ません。表参道とか新宿にある個別店舗はもちろんのこと、代官山やら下北沢やらには近づけやしないし、ショッピングセンターであってもある程度の覚悟を持って入らなければならない店が数多くあります。ZARAの敷居を跨ぐのに数年を要しました。

 これは物心ついた頃から同じです。服を選び出した中学生時代は《誰か》に見られているから入れないのだと思っていました。「田舎風情のヒョロヒョロ小僧が一丁前に服なんて選んでんじゃねえよな!」って誰かに(特に店員に)思われるのが嫌だから入れないのかな、ってことです。明らかな被害妄想ですが、当時は本気でした。

 でも、何か違っていました。ネットでひとりで服を調べていても同じようなモヤモヤとした感情を抱くのです。

 はっと気付きました。これは他でもない《自分》に見られているのです。《自分》が自分に「ナニ気取ってんだよ!」と内側から後ろ指を刺しているわけです。

 これを僕は「自意識の壁」と呼んでいます。厚い厚い、厄介な壁です。

 今度は新しい敵が壁の内側に出現しました。それが今回の本丸、《他人の意見》です。

 ティーンが読む雑誌とは距離を置いて生活させていただいております故、そもそも僕のなかには「冒険しなきゃダメだよ」という考えなど毛頭ありませんでした。しかし僕の周りもそうとは限りません。色気付き、洒落っ気溢れて冒険を求める彼ら「探検部隊」が何度もそう薦めるので、ある種洗脳として、僕の壁の内側にも「探検部隊」が出現したと考えます。

 窮屈になった僕はちょいと「壁」の外側を覗いてみましたが「”あえて”〇〇」とか「ヘルシー」とか「コーデ」とかさっぱり分からん! なぜ秋冬の流行が春の終わりくらいに分かるんだ?! ズボンはズボンだろ、パンツじゃねえ! ダメだこりゃ、ついていけねえ。

 だから僕は「自意識の壁」の内で、静かに敵と休戦協定を結び、必要なときはまた戦おうと誓って、いまに至ります。他の人の考えが自分の中にこっそりと移植されて、元々の自分の考えと戦うまでになるってのは、なんだか怖い気もしますが、それはそれとして付き合っていくのも大人ってことでしょうか。

 長々と書きましたが、「自意識の壁」の中にいるリトル沢井は現実と違って屈強なので、結局「探検部隊」を撃破して、無難な黒縁細メガネの購入(8年連続、5回目)が決定しました。見つからない自分を探すより、明らかにそこにいる自分を大切にしてやった方が人間らしくていいじゃないですか。2日悩んだ僕はそう結論を出しました。

 レンズの度が格段とアップしてしまったので商品は1週間後の到着だそうです。店員さんは申し訳なさそうでしたが、引きこもり生活の僕にとって外に出る予定をつくってくれてありがとうとしか思いませんし、どうせ見た目は変わらないので影響ありません。大事なのは、自分の見え方だと思います。

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