お金を稼ぐこと〔18歳〕(20200412)

 バイトを始めました。

 時給は決して高くはありませんが、電話対応やメールの送り方、エクセルの使い方など社会人として必要な要素をギュッと簡易的に経験出来る上、普通に働けば”103万円の壁”のギリギリまで稼げるみたいです。一石二鳥です。

 僕は高校のときに一切バイトをしなかったので、はじめてお金を稼ぐかたちです。つまり、いままでお小遣いで貰って大切に使っていた5000円とか1万円が数日シフトに入るだけで手に入ることになんですよね。まだ実感は湧いていませんが。

 だから、お金の使い方を改めて考えなければなりません。

 いまの僕は社会人0年生の”ビギナーズランカー”的感覚が抜けず、牛丼を食べていても「ああこれさっきの30分か〜」とか、靴を選んでいても「えっ、明日のシフト丸々この靴に注ぎ込むの!?」と考えてしまいます。

 それをバイトの先輩に話すと「オレも最初そう思ったけど、どんどん擦り減っていくよ。オレなんか気付いたらバイト用のスーツばっか買ってるし」と言われ、他の先輩に至ってはオフの日なのに電話一本のために出勤して「今日は時給もらえるだけの仕事してないんで」と言って帰って行きました。

 ”時給分の仕事は一生懸命するが、逆に時給の発生しない仕事はしない”をポリシーにしていこうと思っていた僕は、しょっぱなから面食らいました。んー、働くって難しい。とりあえず身を置くことの大切さはデカイ。

 また、かえって「贅沢」も考え直すことになりました。当たり前に触れてきたモノは結構贅沢かもしれない。

 たとえば入浴剤。ただでさえ温かくてありたがい命の源であるお湯に、色と香りを付けるという贅沢。またはコンビニのスイーツ。親と行くときは迷わずにカゴに入れていましたが、そもそもの価格設定が高い上に美味しくない可能性も大いにあるので、労働数十分を使ったギャンブルという贅沢。さらには音楽。移動とか寝る前の時間に趣味に合った潤いを与えるという贅沢。

 総じて言えることは「無くてもあまり困らないけどあると嬉しい、みたいなモノ・コト」が本来の「贅沢」なのかな、と。そのモノ・コトは人それぞれの価値観によっていい車とかいい時計とかメイクとかタピオカとか変わるんでしょうけど、自分の労働(または我慢?)で得られたそれをテキトーに扱ったらいけないと感じます。ましてや人に流されて使うのは勿体ないですよね〜。

 ただ「贅沢」が全くない人生も違う。人が社会的に十分に生きてくためにはその日の3分の2くらいを”生活”に使わなければならないのだから、あとは「贅沢」の選択を出来ないと人間が人間であることに縛られすぎてしまう気がします。その人にあった「贅沢」がこれからも贅沢に選べるように、続いていって欲しいなあと願うばかりです。

 

 また話がややこしくなってしまいました。内容の精査は読者の皆さんのリテラシーにお任せして、散文めいた話はおしまいです。

 

 バイト、頑張ります。

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