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内向型だけではなく、今このご時世に読んでおくべき本「もう内向型は組織で働かなくてもいい」堤ゆかり


 noteで読書感想文コンテストがあることを知った。課題図書もあり、様々な本が並んでいた。参加しようと課題図書を見ていると、「内向型」という文言に目を引かれた。自分が読むべき本だと思った。
 本書の最初の章では、自己診断テストがある。それは、内向型か、外向型か、それとも両方を備えた両向型かを判断するテストだ。
 簡単に言っておくと、内向型だからといっても一口に「こういう特徴」とは言い表せないらしい。漫画のキャラクターのように、教室の隅にいて、寡黙で、なにを考えているか分からないタイプとは言い切れない。それに社会人にもなれば、コミュニケーション能力は必然的に鍛えられる。要は興味のベクトルが自己に向かっているか、外に向かっているかの差であると本書では紹介される。ネットで軽く検索すると、「組織のトップはみな内向型」という訳の分からない記事すらヒットする。内向型といっても、千差万別なのだろう。
 そして、本書では内向型をさらに四種類に分類する。しかし、この四種類の区分が本書でがっちり反映され、「このタイプの人間はこうしなさい」といった対策があるわけでもない。ただ、本書を充分に使いこなそうと思ったら、この四種類のタイプをきちんと把握しておくことが必要だ。自己分析に関わってくるからだ。
 四種類を簡単に紹介すると、A「物思いにふけるの好き」、B「ひとりの時間が元気の源」、C「時間をかけて情報を処理する」、D「刺激に敏感でマイペースを好む」となる。ちなみに、私は両向型のB、Dタイプであった。
 変な感じだった。別にタイプがB、Dだったことや自分が内向型でなかった違和感だけではない。どうしても過去の記憶と向かい合ってしまうのだ。「どうしてこうなったのか」を一瞬確認したくなる。どうしても来し方に目を向けてしまう。そういった記憶との対峙は、どこか無意識の領域ではしていたのかもしれない。だが、それをごまかし、振り払いながら数十年生きてきたような気がする。こういう感覚は久しぶりだった。
 高校くらいから、どうも自分と反りが合わない人間が多いと感じていた。今となれば、どちらが悪いというのではなく、本書で述べられているようにタイプが違うというだけの話だ。「自分」というものが確立され、「自分」っぽい人間と、「自分」とはほど遠い人間が意識のなかで選別されただけだ。が、そこは思春期。不必要に悩んでしまった。考え続けた結果、「自分がおかしいのだろう」という結論に落ち着いた。なぜなら、少数派だったからだ。多数派は楽しそうにいじめをし、どこかで競い合い、意地を張り合い、傷つけ合って生きているように見えた。なんとなく、なじめなかった。意識的に距離を取って生きてきた。もちろん、正しいとか間違っているとかいう話ではないことは強調しておく。ただ、タイプの違いだ。
 友人がいないわけでもない。親友と呼べる者もいる。どちらかといえば、浅い話よりも深い話の方が好きだ。しかし、交友関係は広くはない。本書に書かれている通りだ。
 自分は変な人間であり、交友関係が広いわけでもない。自分には外向的な要素がないとどこかで信じ込み、著者の堤さんのような無理をした生き方をしてきたと感じていた。
 著者の堤ゆかりさんを簡単に紹介すると、学生を終え、二度の離職経験がある。特に二度目の離職では、適応障害になってしまい、長く苦しんだ。結婚もされていて、「主婦になりたい」と夫に言うが、猛反対される。収入のこともあったろうが、もう二度と外に出られなくなる、と夫は考えたのだろう。
 世の中は外向型の人間が重宝される。だが、内向型の生き方はできないのか。
 堤さんの模索が始まる。
 初めは堤さんも自分が内向型だと受け入れられなかった。
 孫子の言う、「己を知る」が欠けていたのだろう。
 しかし、彼女は自分が内向型だということを受け入れた。そこから、人生が回転し始める。書籍を読み、自分について理解を深めた。ネット販売を始める。そのノウハウを活かしながら、同じように悩んでいる人のカウンセリングやコンサルティングの仕事も行う。これを書いているのは11月30日であるが、今月に締め切られたセミナーもあったらしい。ツイッターを見ると、募集が締め切られていた。
 彼女の内向型人生に照らすと、私の場合は「己を知る」の一歩手前なのだろう。自分の特性をきちんと掴んでいく段階だ。
 高校以降の自分を書くと、二十代の初めに病気になり、定期的に入院を繰り返した。入院というのは質が悪い。自分が何もできない無能であることを刷り込まれる。そして、何度も入院を経験すると、自分が何をしても躓く運命なのだと思い知らされる。どんどん、自分がネガティブな人生を歩まねばならない気がしてくる。
 それも00年代の話。ネットでのクラウドワークも今のようには発達していなかった。ネットで稼ぐというのも、それなりに才覚のいる作業だった。しかし、その誤解も、本書が解いてくれる。自分の経験や才覚に応じて、様々な分野の商品も販売されるようになってきた。
 元来ネットは、オタクやIT系の技術者への親和性が高いものであった。それが徐々に普通の人に解禁されているイメージだ。
時代がやっと内向型の人間に開かれてきたのだろう。いや、内向型の人間だけでなく、内向型の働き方を選択せざるを得ない人々にとっても僥倖となってきたのである。
 本書を読んで、それを強く感じた。

 この感想文を書いている2021年11月30日、南アフリカ由来の新型コロナウイルス変異株、オミクロン株の日本国内での感染が確認された。感染力が強く、現時点では、ワクチンの有効性がはっきりしていない。次の新型コロナウイルスの感染の第六波が来る可能性がないとは言い切れない。
 2020年の3月以来、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、日本でも少なからず影響があった。ほぼ全国民が自宅待機を余儀なくされた。飲食店や観光業、ステージ型のエンタメ業界を中心に多くの業界で影響が出た。
 非正規雇用の女性を中心に解雇が進んだ。こういう場合の自殺は男性が中心であったが、女性の自殺者が多発している。
 観光業界にしても、飲食業にしても、エンタメ業界にしても、働く人に要求されるのは外向型の要素だ。だが、今のような局面では、一時的にこのような人々も内向型のビジネスをする必要があるのかもしれない。通常、とある飲食店を辞めたとしても、他の飲食店で働けばよく、業界全体が機能しないという状態を経済など社会システムは想定していない。だから、一時避難的にでもネットビジネスをやる必要がある。第六波が来れば、内向型の人のビジネスに参加せねばならない状況がますます加速される。
 それに普通のビジネスマンでも副業が解禁される企業が増えてきた。ここに書かれているスキルは万人に必要なのかもしれない。
 この本を読む前に誤解していたことは、自分の経験を売るにも、それなりに実績がないと売れないと思っていたことだ。しかし、本書を読むことでそれが誤解だと分かる。自分の作った趣味程度のハンドクラフトの作品でも売ることができる可能性があり、ライターの経験がなくてもライターとして独り立ちできる可能性もある。もちろん、本書はその案内も書かれている。要はやってみなければ分からないということだ。しかも、これらは完全に匿名でもできる。内向型でもそうでなくても、試す価値はあるということだ。
 小さく試すことをベイビーステップと言うが、内向型の人には特にそれが推奨される。ただ、それは外向型、両向型の人間にも共通することだ。必要なのは、自分の可能性にアクセする勇気なのかもしれない。
 ちなみにその勇気を引き出すステップも最終章や本書の様々な場所にちりばめられた先輩たちの先例として書かれている。

 趣味の小説執筆で、コロナウイルスの影響で失業してしまった女性の話を書いた。そのときに思った。この小説は本当にこのようなシチュエーションにある人々に届いているのだろうか、と。
 その後、小説で想定していた結果になってしまう人々のニュースが何度も流れた。その度に無力感にさいなまれた。追い詰められている人には、どんな情報も届かないのである。
 とにかく、私が無知だからか、読んでいて「ああ、そうなんだ」の連続であった。人生何が起こるか分からない。こんなご時世だからこそ、広く情報を取ったほうがいい。
 内向型の特徴として、「熟考する」というのがある。要するに考えすぎるのである。ただ、考えるには栄養が必要だ。本書の情報は最適な栄養だ。
 この本は、内向型の人々だけでなく、多くの人に届くべき情報だと感じる。その作業は著者の堤さんというより、出版社の役割であるとするのは重すぎるのだろうか。この本が突破口になって救われる人というのがもっと増えることを願っている。


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