電気仕掛けのペットロス

 店は「雪の下」といった。大通りと土産物屋が立ち並ぶ通りに挟まれた場所に立っていた。
 ふたつの通りは観光客が一年中あふれている。並んでいる食べ物屋も、古い店はそれなりの価格設定になっている。だが、新しい店や通りから奥に引っ込んだ店は、それなりにリーズナブルな価格になっている。店によっては、リーズナブルな店の倍の金額を取る店もある。
 舞が初めてこの店に来たころ、彼女はこのあたりで働きたくて、働き口を探していた。母親のいる老人ホームがこのあたりにあるからだ。舞の母親は、クセのある母親らしく、最後死ぬときはこのあたりが良いと言い張って、勝手に老人ホームに入所した。もちろん、費用は舞が持った。急に言い出すので、夫が死ぬときに残した生命保険は使い果たした。日本の慣習的に、老人ホームに入ったからといって、全く放っておくわけにはいかない。我ながらため息が増えたと思うのだが、断ち切れぬものは断ち切れぬものと、このあたりをさまよっていた。ただ、なかなか働き口は見つからなかった。
 昼ご飯時に休憩のために「雪の下」に立ち寄った。表にある客寄せの看板で見ると、値段が安かったからだ。うどんとしらすご飯のセット「福禄寿」を頼んだ。うどんとシラス丼のセットだった。うどんの味はまあまあ、しらすご飯もまずまずだった。ただ、野菜の漬け物の味が抜群だった。このあたりの野菜は美味しいと聞いていた。漬け物の味が気に入って、できればここで働きたいと思った。そう思ったのを記憶しているが、結局求職の辛さできっかけはどうでもよかったのかもしれない。
「助かりますよ。いくら雇ってもすぐに辞めちゃうんですよ。辞められても困るので正直に言いますけど、うち忙しいですよ。時給はそれなりに払いますけど」
二〇〇〇年代に入って、少子化が進んだ。二〇一一年に東日本大震災が起こった。日本の二分の一の地域が被災した大震災の復興はなかなか進まなかった。何を考えたのか、震災の復興と同時に政府は東京五輪を招致した。流行語のように、「人手不足」という言葉が経済界を席巻した。それほどの震災と同時に東京五輪を開催するための巨大公共事業をいくつも行えば、人手は不足する。同時に都内のインターネットカフェや漫画喫茶では、難民と呼ばれる人々があふれていた。
「人手不足」は機械化の口実に過ぎなかった。時期的にAIの開発が進んでいた時期でもあった。
AIは人々の仕事を奪っていった。わかりやすいのは肉体労働の現場で、AIが搭載されたロボットは、メンテナンスだけすれば休憩なしに夜中でも稼働できた。遅れていた東京五輪の各施設はロボットのおかげで工期を余らせて完成した。
サービス業でもAIロボットが普及していった。しかし、肉体労働の現場とは様相が違った。初めは珍しがってみなロボットの接客を受けていたが、人々がそれに慣れる頃になると、ロボットをぞんざいに扱うようになった。特に酔っ払って気の大きくなった男性客が、蹴ったり引き倒したりし始めた。その後法整備がなされてサービス業におけるロボットの使用は補助的に使用が限定された。法整備のきっかけは大阪における事件だった。その年阪神タイガースがクライマックスシリーズも含めて制覇した。歓喜したファンが近在の居酒屋からロボットを道頓堀から投げ入れた。その被害は数億に及んだ。『おのれらホンマはファンちゃうやろ。いいかげんにせえ』という大阪在住のフリージャーナリストによる名誉回復のための記事が出たが、はてなブックマークに鼻で笑われ、大手メディアには黙殺された。みなは阪神ファンの名誉には興味がなかった。問題は雇用を奪われた者たちの報復であったのではないか、という点と、接客業である以上、人に恨まれる方法で営業を続けるメリットがあるのか、という点だった。
票田を奪われることに異常に敏感だった与党によって、法整備が急がれた。
それによって、一時期解消したと思われた人手不足が再び顕在化した。しかし、同時に時給は鰻上りで、バイトやパートくらいの労働の月収で生活ができる程度になった。経営者は同一労働同一賃金をいやがったが、こんないきさつでイレギュラーに達成された。だから、きつい店だとみな辞めてしまうのだ。
「面白い店でしょ。うち、前が喫茶店なんですよね。居抜きでね、調理場を少しいじって食器を入れただけで、ほとんど変えてないの」
店長は白髪混じりでおそらく天然パーマなのだろう。近くの海でよく遊んでいるのか、浅黒い丸い顔をしていた。
へえ、と言って舞は周囲を見回した。一度食べにきたときにはそんなこと気づきもしなかった。よっぽど焦燥感でいっぱいだったのだ、と気づいた。

働き始めて一番面食らったのが、この店の客は外国人が多いということだ。
舞は外国語が話せない。しかし、AIロボットが常に横について翻訳をしてくれた。本当は技術的にスキンを被せて本物の動物とほぼ同じ外見にできるのであるが、業務用のロボットでそれは禁止されていた。
多忙な店のフロアを切り盛りするのは舞一人だった。その舞の横には犬型のAIロボットが常について補助してくれた。彼の名前は「ジェーン」だった。ジェーンといえば女性の名前だが、サザンオールスターズが好きな店長の趣味でそういう名前をつけた。「稲村ジェーン」から取ったらしい。大きさは中型犬くらいの大きさである。簡単なものなら配膳も可能だ。本物の犬と比べて、口の部分が器用にできていた。
白人のお客さんが注文を知らせるように右手をあげた。普通外国の人は右手をあげて注文を知らせないのだが、よほど日本が長いのだろう。舞とジェーンが狭い店内を行く。ジェーンがお客さんの顔つきから判断して話し始める。正確にはわからないけれども、北欧の言葉を話しているようだ。となりに座っているパートナーは日本人で、「えらいねえ」とジェーンの頭をなでる。ジェーンはアルミ製の細い尻尾を振って喜んでいる。この辺りのリアクションは本物の犬のようである。
ほかの席には中国人の大学生くらいの年齢の集団がいる。男子二人と女子二人のペアである。中国訛りの日本語で注文をする。ジェーンが「日本語上手ですね」と中国語でおべっかを使う。あまり日本語が得意でない女子は話しかけられないようにスマホに目を落としていたが、ジェーンが話すのを見て、ニッコリ笑った。
「中国のロボットよりも、日本のロボットの方が言葉が丁寧です」
と積極的な大学生が言った。
「国によってそんなに違うんですか」
日本でしか業務用ロボットを見たことのない舞は尋ねた。
「ええ、中国のロボットはもっと言葉が汚い。でも、中国の方が・・・・・・、ええ、積極的? 優しい? 違うな、ああ、親切は日本の方。なんていうか」
上手く言えないようで、大学生は苦笑いした。
なんとなくわかりますよ、と舞はフォローした。察したジェーンが「暖かいとか、アツイとか?」と言った。大学生は首を傾げた。ジェーンが中国語で訳した。
「そうそう。そんな感じ」
ああ、と舞は納得した。
外国人に、「日本人は冷たい」と言われることが何度かあった。自分たちは礼儀正しく、暖かい方だと思っていた舞は初め驚いた。しかし、その礼儀正しさが相手によっては、距離を感じさせることがあるのだろう。基本的に人見知りだし。この中国人の大学生もそう感じたようだ。

ほかに日本人の修学旅行生六人組が来ていた。おそらく学生が出すには値段がリーズナブルという理由で、こういうお客さんもたくさんくる。
どうしてだろう、こういうメンバーだと日本人の客を一番ぞんざいに扱ってしまう。
こういうところが冷たいのか、と妙な勘ぐりをしてしまう。いや、人と人との関わり方が淡白なのだろう。

北欧から来た客にはマグロ丼とうどんと天ぷらがついた「弥勒」、パートナーにはうどん、しらす丼、天ぷらのついた「福禄寿」を出した。中国から来た大学生にもそれぞれ海鮮丼とうどんを中心とした定食、「大黒」などを出した。メニューは七福神などめでたい神様や仏様の名前がつけられていた。
振り袖を来た若い女性客と若草色の羽織を着た女性と小豆色の道行を着た中年の女性客が入ってきた。成人式はとっくに終わっているのであるが、いったい何事だろうと舞は思った。結婚式に振り袖をきていくわけもなし。新婦より目立ってしまう。
 店は基本的には八〇年から九〇年初頭に作られた喫茶店を模して作られたレトロな雰囲気であった。白壁の内装に、木製の机と椅子が並んでいるが、机も椅子も黒く塗られていた。その一見モノトーンの空間が和装の女性が入ることで、一気に華やいだ。
 ただ、自らが艶やかであることで神経が高ぶっているのか、おしとやかとは言えないくらいまくし立てるように話し始めた。注文をする前から雑談に花が咲いている。これはしばらく注文しないだろうと踏んで、舞は店内を見回した。
 中国人の大学生のとなりには日本人のさえない中年が二人がけに座って、「福禄寿」を食べている。その隣、壁際の二人がけの席にはおばあさんと小学生低学年のちょっと肥満気味の男の子が座っていた。舞は気づいていたのだが、男の子はジェーンが舞の後ろについて店のなかをちょろちょろと動き回っているのをずっと見ていた。
 北欧からの客はおばあさんの後ろの席に座っている。その席は昔の学校の図書館のように六人掛けの席の間に仕切りがつけられていた。仕切りは磨りガラスになっていて、その向かいに男の子の両親が座っていた。両親はすでに注文を決めていた。
 もうそろそろ注文を決めたかと思い、舞がおばあさんと男の子の横に行った。「ご注文はおきまりでしょうか」と舞が言う。それをジェーンが韓国語に翻訳する。それを聞いた途端、男の子が「どれにしたらいいか、わからない」とか「どれにも決められない」と、半べそを掻きながらわがままを言い出した。おばあさんはどうして良いか分からないらしく、磨りガラスの仕切りの向こうに向かって、一生懸命助けを求めて視線を送っていた。
 その視線に気づいたのか、大騒ぎになったのに気づいたのか、両親がこちらへ向かってきた。周囲の外国人も修学旅行生も和装の女性も、みな男の子の騒ぎに釘付けになっていた。両親がやってきて、「あれにしろ」とか、「これはどうなの」という感じで、メニューをあちらこちらめくりながら、あれこれと男の子を懐柔し始めた。
 厨房から注文ができたという合図があった。おそらく、目の前にいるお父さんとお母さんの分ができたのだと判断して、「席にお持ちします」という風に言った。すかさず、ジェーンがそれを韓国語に訳す。「お願いします」と言いながら、ジェーンを見る二人の表情が険しくなった。
 注文の品を持って行くと、両親は自分の席にすでに戻っていた。そして、おばあさんと男の子の二人分の注文を韓国語でした。
 「うるさくして申し訳ありません」
 と丁寧に謝罪してきたので、
 「いえ、お気になさらないでください。子どもさんは大変ですよ。ホームシックになっちゃったんでしょう」
 親と一緒にいてホームシックになるはずもない、と舞は言った後に気づいた。
 「そうではないのです。実は・・・・・・」
 男の子の父親はそこまで言って、それを訳しているジェーンに向かって人差し指を口に当て、右目を閉じてシーッと言った。察したジェーンは音量を絞った。

 男の子は小学校三年生であった。あまり人付き合いが得意な方ではなく、友だちもなかなかできなかった。それを改善する目的もあり、両親はAI搭載のペットを買い与えた。AIペットが友だちとして機能し、コミュニケーションの訓練になると考えたからだ。その犬は「白(ペク)」と名付けられた。ペット用のスキンの色を男の子が選択したのだが、純白のスキンを選択したからだ。
 男の子の人見知りは解消されなかった。AIペットは男の子にとって居心地がよく、人間の友だちと一緒にいるよりも、白と一緒にいることを好んだ。白は男の子に会わせてくれたからだ。わがままも言わないし、意地悪もしなかった。
 「韓国の男同士の友人は、たぶんだけど日本人の男性同士よりも濃密なんです。そんななかで友人ができないというのは不幸だと思って、息子に白を買い与えたんですけどね。白兎ばっかり仲良くなってしまって。それに、白は馬鹿なんです」
 AIのなにがどう悪かったのか、白は理解力がなかった。言葉への理解力が特になかった。
 「会話にならないんですよ。だから、息子は、会話のモードを切りました。するとほとんど普通の犬になりました。つまり、あん、白は家庭教師どころか、話さない手下になってしまった」
 父親はそれではいけないと思い、白を修理に出そうと考えたのだそうだ。しかし、AIを修理するということは、白の性格までいじるということになり、それに対して息子は強い抵抗を示したのだそうだ。
 「おもしろいもので、結局、AIが修理されれば、白は普通のロボットになってしまう。白を修理しなければ、ロボットよりは劣るけれども、犬よりは賢い存在になる。息子にはそれのほうが良いのでしょうね」
 母親は横でどんどん食べ始めている。
 舞が男の子を見ると、未だにグズッていた。鼻をズルズル鳴らしながら、床に届かない足を持てあまして、ぶらぶら揺らしている。
 「日本旅行も気分転換になると思ったんですけどね。だめでした・・・・・・」
 父親は舞ににこりと微笑みかけて、話を終わらせうどんをすすり始めた。

 店は「雪の下」といった。大通りと土産物屋が立ち並ぶ通りに挟まれた場所に立っていた。

 ふたつの通りは観光客が一年中あふれている。並んでいる食べ物屋も、古い店はそれなりの価格設定になっている。だが、新しい店や通りから奥に引っ込んだ店は、それなりにリーズナブルな価格になっている。店によっては、リーズナブルな店の倍の金額を取る店もある。

 舞が初めてこの店に来たころ、彼女はこのあたりで働きたくて、働き口を探していた。母親のいる老人ホームがこのあたりにあるからだ。舞の母親は、母親らしく、最後死ぬときはこのあたりが良いと言い張って、勝手に老人ホームに入所した。もちろん、費用は舞が持った。急に言い出すので、夫が死ぬときに残した生命保険は使い果たした。日本の慣習的に、老人ホームに入ったからといって、全く放っておくわけにはいかない。我ながらため息が増えたと思うのだが、断ち切れぬものは断ち切れぬものと、このあたりをさまよっていた。ただ、なかなか働き口は見つからなかった。

 昼ご飯時に休憩のために「雪の下」に立ち寄った。表にある客寄せの看板で見ると、値段が安かったからだ。うどんとしらすご飯のセット「福禄寿」を頼んだ。うどんの味はまあまあ、しらすご飯もまずまずだった。ただ、野菜の漬け物の味が抜群だった。このあたりの野菜は美味しいと聞いていた。漬け物の味が気に入って、できればここで働きたいと思った。そう思ったのを記憶しているが、結局求職の辛さできっかけはどうでもよかったのかもしれない。

「助かりますよ。いくら雇ってもすぐに辞めちゃうんですよ。辞められても困るので正直に言いますけど、うち忙しいですよ。時給はそれなりに払いますけど」

面接のときに店長が開口一番そう言った。履歴書はろくに目を通さなかった。

二〇〇〇年代に入って、少子化が進んだ。二〇一一年に東日本大震災が起こった。日本の二分の一の地域が被災した大震災の復興はなかなか進まなかった。何を考えたのか、震災の復興と同時に政府は東京五輪を招致した。「人手不足」という言葉が経済界を席巻した。それほどの震災と同時に東京五輪を開催するための巨大公共事業をいくつも行えば、人手は不足する。同時に都内のインターネットカフェや漫画喫茶では、難民と呼ばれる人々があふれていた。

それは機械化の口実に過ぎなかった。AIの開発が進んでいた時期でもあった。

AIは人々の仕事を奪っていった。わかりやすいのは肉体労働の現場で、AIが搭載されたロボットは、メンテナンスだけすれば休憩なしに夜中でも稼働できた。遅れていた東京五輪の各施設はロボットのおかげで工期を余らせて完成した。

サービス業でもAIロボットが普及していった。しかし、肉体労働の現場とは様相が違った。初めは珍しがってみなロボットの接客を受けていたが、人々がそれに慣れる頃になると、ロボットをぞんざいに扱うようになった。特に酔っ払って気の大きくなった男性客が、ふざけて蹴ったり引き倒したりし始めた。その後法整備がなされてサービス業におけるロボットの使用は補助的な作業に限定された。法整備のきっかけは大阪における事件だった。その年阪神タイガースがクライマックスシリーズも含めて制覇した。歓喜したファンが近在の居酒屋からロボットを道頓堀から投げ入れた。その被害は数億に及んだ。『おのれらホンマはファンちゃうやろ。いいかげんにせえ』という大阪在住のフリージャーナリストによる名誉回復のための記事が出たが、はてなブックマークに鼻で笑われ、大手メディアには黙殺された。みなは阪神ファンの名誉には興味がなかった。問題は雇用を奪われた者たちの報復であったのではないか、という点と、接客業である以上、人に恨まれる方法で営業を続けるメリットがあるのか、という点だった。

票田を奪われることに異常に敏感だった与党によって、法整備が急がれた。

それによって、一時期解消したと思われた人手不足が再び顕在化した。しかし、同時に時給は鰻上りになり、バイトやパートくらいの労働の月収で生活ができる程度になった。経営者は同一労働同一賃金をいやがったが、こんないきさつでイレギュラーに達成された。だから、きつい店だとみな辞めてしまうのだ。

「面白い店でしょ。うち、前が喫茶店なんですよね。居抜きでね、調理場を少しいじって食器を入れただけで、ほとんど変えてないの」

店長は白髪混じりでおそらく天然パーマなのだろう。近くの海でよく遊んでいるのか、浅黒い丸い顔をしていた。その頭で店内を見合わしながらそう言った。

へえ、と言って舞は周囲を見回した。一度食べにきたときにはそんなこと気づきもしなかった。よっぽど焦燥感でいっぱいだったのだ、と気づいた。

働き始めて一番面食らったのが、この店の客は外国人が多いということだ。

舞は外国語が話せない。しかし、AIロボットが常に横について翻訳をしてくれた。本当は技術的にスキンを被せて本物の動物とほぼ同じ外見にできるのであるが、業務用のロボットでそれは禁止されていた。

多忙な店のフロアを切り盛りするのは舞一人だった。その舞の横には犬型のAIロボットが常について補助してくれた。彼の名前は「ジェーン」だった。ジェーンといえば女性の名前だが、サザンオールスターズが好きな店長の趣味でそういう名前をつけた。「稲村ジェーン」から取ったらしい。店長の風貌に似つかわしいおおらかさだと舞は思った。大きさは中型犬くらいの大きさである。簡単なものなら配膳も可能だ。本物の犬と比べて、口の部分が器用にできていた。

白人のお客さんから注文を知らせるように右手をあげた。普通外国の人は右手をあげて注文を知らせないのだが、よほど日本が長いのだろう。舞とジェーンが狭い店内を行く。ジェーンがお客さんの顔つきから判断して話し始める。正確にはわからないけれども、北欧の言葉を話しているようだ。となりに座っているパートナーは日本人で、「えらいねえ」とジェーンの頭をなでる。ジェーンはアルミ製の細い尻尾を振って喜んでいる。この辺りのリアクションは本物の犬のようである。

ほかの席には中国人の大学生くらいの年齢の集団がいる。男子二人と女子二人のペアである。中国訛りの日本語で注文をする。ジェーンが「日本語上手ですね」と中国語でおべっかを使っているように聞こえた。あまり日本語が得意でない女子は話しかけられないようにスマホに目を落としていたが、ジェーンが話すのを見て、ニッコリ笑った。

「中国のロボットよりも、日本のロボットの方が言葉が丁寧です」

と積極的な大学生が言った。

「国によってそんなに違うんですか」

日本でしか業務用ロボットを見たことのない舞は尋ねた。

「ええ、中国のロボットはもっと言葉が汚い。でも、中国の方が・・・・・・、ええ、積極的? 優しい? 違うな、ああ、親切は日本の方。なんていうか」

上手く言えないようで、大学生は苦笑いした。

なんとなくわかりますよ、と舞はフォローした。察したジェーンが「暖かいとか、アツイとか?」と言った。大学生は首を傾げた。ジェーンが中国語で訳した。

「そうそう。そんな感じ」

ああ、と舞は納得した。

外国人に、「日本人は冷たい」と言われることが何度かあった。自分たちは礼儀正しく、暖かい方だと思っていた舞は始め驚いた。しかし、その礼儀正しさが相手によっては、距離を感じさせることがあるのだろう。基本的に人見知りだし。この中国人の大学生もそう感じたようだ。

ほかに日本人の修学旅行生六人組が来ていた。おそらく値段がリーズナブルなので、こういうお客さんもたくさんくる。

どうしてだろう、こういうメンバーだと日本人の客を一番ぞんざいに扱ってしまう。

こういうところが冷たいのか、と妙な勘ぐりをしてしまう。いや、人と人との関わり方が淡白なのだろう。

北欧から来た客にはマグロ丼とうどんと天ぷらがついた「弥勒」、パートナーにはうどん、しらす丼、天ぷらのついた「弁天」を出した。中国から来た大学生にもそれぞれ海鮮丼とうどんを中心とした定食、「大黒」などを出した。メニューは七福神などめでたい神様や仏様の名前がつけられていた。

振り袖を来た若い女性客と若草色の羽織を着た女性と小豆色の道行を着た中年の女性客が入ってきた。成人式はとっくに終わっているのであるが、いったい何事だろうと舞は思った。結婚式に振り袖をきていくわけもなし。新婦より目立ってしまう。

 店は基本的には八〇年から九〇年初頭に作られた喫茶店を模して作られたレトロな雰囲気であった。白壁の内装に、木製の机と椅子が並んでいるが、机も椅子も黒く塗られていた。その一見モノトーンの空間が和装の女性が入ることで、一気に華やいだ。

 ただ、自らが艶やかであることで神経が高ぶっているのか、おしとやかとは言えないくらいまくし立てるように話し始めた。注文をする前から雑談に花が咲いている。これはしばらく注文しないだろうと踏んで、舞は店内を見回した。

 中国人の大学生のとなりには日本人のさえない中年が二人がけに座って、「福禄寿」を食べている。その隣、壁際の二人がけの席にはおばあさんと小学生低学年のちょっと肥満気味の男の子が座っていた。舞は気づいていたのだが、男の子はジェーンが舞の後ろについて店のなかをちょろちょろと動き回っているのをずっと見ていた。

 北欧からの客はおばあさんの後ろの席に座っている。その席は昔の学校の図書館のように六人掛けの席の間に仕切りがつけられていた。仕切りは磨りガラスになっていて、その向かいに男の子の両親が座っていた。両親はすでに注文を決めていた。

 もうそろそろ注文を決めたかと思い、舞がおばあさんと男の子の横に行った。「ご注文はおきまりでしょうか」と舞が言う。それをジェーンが韓国語に翻訳する。それを聞いた途端、男の子が「どれにしたらいいか、わからない」とか「どれにも決められない」と、半べそを掻きながらわがままを言い出した。おばあさんはどうして良いか分からないらしく、磨りガラスの仕切りの向こうに向かって、一生懸命助けを求めて視線を送っていた。

 その視線に気づいたのか、大騒ぎになったのに気づいたのか、両親がこちらへ向かってきた。周囲の外国人も修学旅行生も和装の女性も、みな男の子の騒ぎに釘付けになっていた。両親がやってきて、「あれにしろ」とか、「これはどうなの」という感じで、メニューをあちらこちらめくりながら、あれこれと男の子を懐柔し始めた。

 厨房から注文ができたという合図があった。おそらく、目の前にいるお父さんとお母さんの分ができたのだと判断して、「席にお持ちします」という風に言った。すかさず、ジェーンがそれを韓国語に訳す。「お願いします」と言いながら、ジェーンを見る二人の表情が険しくなった。

 注文の品を持って行くと、両親は自分の席にすでに戻っていた。そして、おばあさんと男の子の二人分の注文を韓国語でした。

 「うるさくして申し訳ありません」

 と丁寧に謝罪してきたので、

 「いえ、お気になさらないでください。子どもさんは大変ですよね。ホームシックになっちゃったんでしょう」

 親と一緒にいてホームシックになるはずもない、と舞は言った後に気づいた。

 「そうではないのです。実は・・・・・・」

 男の子の父親はそこまで言って、それを訳しているジェーンに向かって人差し指を口に当て、右目を閉じてシーッと言った。察したジェーンは音量を絞った。

 男の子は小学校三年生であった。あまり人付き合いが得意な方ではなく、友だちもなかなかできなかった。それを改善する目的もあり、両親はAI搭載のペットを買い与えた。AIペットが友だちとして機能し、コミュニケーションの訓練になると考えたからだ。その犬は「白(ペク)」と名付けられた。男の子の選んだペット用のすきんのいろが純白だったからだ。

 男の子の人見知りは解消されなかった。AIペットは男の子にとって居心地がよく、人間の友だちと一緒にいるよりも、白と一緒にいることを好んだ。白は男の子に合わせてくれたからだ。わがままも言わないし、意地悪もしなかった。

 「韓国の男同士の友人は、たぶんだけど日本人の男性同士よりも濃密なんです。そんななかで友人ができないというのは不幸だと思って、息子に白を買い与えたんですけどね。白とばっかり仲良くなってしまって。それに、白は馬鹿なんです」

 AIのなにがどう悪かったのか、白は理解力がなかった。言葉への理解力が特になかった。

 「会話にならないんですよ。だから、息子は、会話のモードを切りました。するとほとんど普通の犬になりました。つまり、あん、白は家庭教師どころか、話さない手下になってしまった」

 父親はそれではいけないと思い、白を修理に出そうと考えたのだそうだ。しかし、AIを修理するということは、白の性格までいじるということになり、それに対して息子は強い抵抗を示したのだそうだ。

 「おもしろいもので、結局、AIが修理されれば、白は普通のロボットになってしまう。白を修理しなければ、ロボットよりは劣るけれども、犬よりは賢い存在になる。息子にはそれのほうが良いのでしょうね」

 母親は横でどんどん食べ始めている。日本語がわからないのだろう。

 舞が男の子を見ると、未だにグズッていた。鼻をズルズル鳴らしながら、床に届かない足を持てあまして、ぶらぶら揺らしている。

 「日本旅行も気分転換になると思ったんですけどね。だめでした・・・・・・」

 父親は舞ににこりと微笑みかけて、話を終わらせうどんをすすり始めた。

 北欧のお客さんと中国人の大学生と修学旅行生が食べ終わり、レジ前から動かず、店内がいくらてんてこまいでも手伝わない店長が会計を済ませて客が帰ったあと、ようやく和装の女性たちが注文を決めたらしく、舞に「すいませ~ん」と茶色い声をかけた。

 顔が引きつらないように気をつけながら、舞は和装の客のところへ行った。ジェーンが後ろから着いてくる。翻訳はいらないからついてこなくてもいいのだが、どうしたのだろうと思った。もうジェーンのような動物型AIロボットは珍しくも何ともないので、女性たちも「かわいい」などと反応することもない。

 矢継ぎ早に注文をしてくるのを必死にメモして、「少々お待ちください」と一礼をして去ろうとした。すぐ後ろには例の男の子がいた。ジェーンは男の子の足下に行って、椅子の下でくるくる回っている。男の子は空腹だったのか、半べそながら、一生懸命野菜のかきあげにかぶりついている。

 ジェーンに気づいたのはおばあさんだった。とっくに食べ終わって、孫が夢中で食べているのを見つめていた。

 ほら、見てごらん、というように笑みを浮かべながら、指を指した。

 舞はハラハラした。 

 それは逆効果かもしれないよ、ジェーン。そう心の中で思って、少しだけ後ずさりした。

 「ほらみてごらん」

 と食事に夢中になっている孫におばあさんはもう一度指さして教えた。

 男の子がかき揚げから口を離して、自分の脇を見た。ジェーンはそれを見越したように、男の子の膝の上に前足を乗せて、尻尾をブンブン振った。視線は男の子の顔にあった。仕様で舌は無いし、涎も垂れない。しかし、舌を出しているように見えた。

 「きっと慰めてくれているのよ」

 ジェーンは通訳していなかったが、おばあさんは韓国語でそう言ったような気がした。

 こくりと男の子はうなずき、ジェーンの頭を撫でた。

 業務用のロボットに実物に見えるスキンを使用してはいけないというのは、ペットロスの感情を防ぐためだった。人なつこく、相手の好みを瞬時に学習してしまうAI搭載のペットロボットはすぐに人の心に入り込む。そしてペットロスになるからだ。仕事を辞めるときに盗難するものも過去に出た。

 今も両親と舞の会話を通訳しながら、ジェーンは自分がどんな振る舞いをすれば男の子を慰められるのかを考え、行動したのである。舞には分からなかったが、きっと男の子の好みも判断していたのだろう。

 「きっと新しい白は、前の白よりももっといい友だちになるよ」

 心のなかでそう言いながら、舞は仕事に戻った。

ーー了ーー(六五三五文字)

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