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ギンナン拾い競争

 それほど大きくはないが、寂れているというほどでもない神社が、地域の中心に鎮座している。この神社では正月に始まり年末まで、神社の年中行事はもちろん、地域のために祭りを開く。神社の参道に沿って、市の分庁舎、地域の寄り合い所、市の文化会館などが林立する。住民だけでなく、市全体がお世話になっている場所だ。

 神社の参道は白い御影石でできていて、私鉄の線路から社殿に向かってまっすぐ伸びている。二人か、三人が並べる幅だ。その御影石の列の脇には、桜と銀杏が交互に並んでいた。春は桜並木が花を咲かせる。

 ちょうど今は葉が色づき、次々と地表へ落下していく時期だ。落ちた葉は、銀杏の、大人でも一抱えはあろう太い幹とがっちりと張った根を中心に、キレイな円形を描いていた。

 積もり積もって、円形に落ちた葉っぱはふかふかの絨毯のようになっていた。桜の木が間に挟まることで、銀杏同士の距離が絶妙になり、他の木の葉と混じらず、キレイな円形になる。

 石畳の参道の中央には、朱塗りの随神門がある。人が行き来する門のくり抜きの参道より一段高い石床には太く四角い木が渡してある。

 ボクは渡し木に座って、膝に肘をつき、両手で顎を支えて、参道の様子を眺める。ボクのわきには茶トラの猫のマルスが香箱座りで寝ている。シッポはボクの腰のわきを叩いている。ボクもマルスも退屈している。

 ボクはこの日は荷物持ちとして連れてこられた。どうしてボクかというと、例によって、一番ヒマに見えるという理不尽な理由である。友人で塾を経営しているケンジの母親が東の婦人会の仕切り役で、手伝いに来いと昨日の夜不意に言われた。午前中の出役と聞いて本気で嫌がったのだが押し切られた。ただ、荷物持ちは荷物がなければ用がないのである。だから役を振られるのを待つ。

 立ち並ぶ銀杏一本一本の足元には丸い黄色い絨毯がある。中年の女性が中腰になって、あるいは屈んで、黄色い絨毯の辺りを漁っている。皆、熱心にギンナンを拾っている。片手にスーパーのレジ袋を持っている。ギンナンの匂いがついた袋はすぐに棄てる。銀杏を潰さないように、足取りも慎重だ。

 朝、東西の婦人会の面々がやってきて拾い始めた。総勢二十人くらいいるおばちゃんが、参道の線路脇から本殿に向かって拾ってゆくのである。今おばちゃんたちは中央の随神門を越えつつあった。手にしたレジ袋はギンナンがいっぱい入っていて重たげだ。

 参道は二つの自治会の境になっていた。東の婦人会を仕切っているのがケンジの母親なら、西の婦人会を仕切っているのがニシダというおばちゃんだった。ケンジの母親とこのニシダがどうして張り合うようになったのか、理由はよくわからない。元々、東西の婦人会は折り合いが悪い。仲の悪いままなのは婦人会だけだ。男衆はそんなことはない。そもそもこの辺りは海苔の養殖が盛んなのであるが、それが原因とか聞いた。場所取りだかなんだかで揉め始めた。

 今は海も埋め立てられ、海苔養殖をやっている家自体がなくなったので、揉めることもなくなった。ところが、東西の婦人会にその仲の悪さだけが残った。そして婦人会は、このギンナン拾いのときは表だって張り合う。理由がないのに揉めているのだから、きっと揉めたいのだろうとボクは思っている。揉めながら、何かを確認しているのだろう。

 「お前らと一緒だな」

と言いながら、マルスの背をゆっくりと撫でる。一瞬半目を開けて溜息をついた。子猫はじゃれ合いながら、狩りなどの動きをおぼえていく。

 ふと目線を上げると、一番随神門に近い黄色い絨毯の上で、三歳くらいの男の子がしゃがんでは黄色い葉っぱを拾い、立ち上がっては宙に放って遊んでいた。絨毯のすぐ外には若いママがしゃがんで息子を見ていた。黄色い葉っぱ、男の子のジーンズの青、ママのコートの薄いピンク色、あまりの色彩の豊かさに、ボクはジャンパーからスマホを取り出し、写真を撮った。

 ギンナンを拾い始めてから、男の子はそこで遊び始めた。婦人の仁義なのか、男の子が遊んでいるのを邪魔はしなかった。本当は男の子のいる絨毯も漁りたいのだろうけど。東西婦人会ともに手を出さない。

 「そういえば、向こうの近藤さんがいないねえ」
ケンジの母親が聞こえるように大声でひそひそ話をした。
「ええ、実は近藤さんとこのおじいちゃんが入院したらしくて、近藤さんつきっきりらしいんですよ」
シンドウという三十すぎるかすぎないかくらいの主婦が応える。
「なに? 報告がない」
「すいません」
シンドウは恐縮して見せた。本当は恐縮していないだろう。
「それで」
「は?」
「向こうは何贈ったんだよ。調べてあるんだろ」
「もちろんです。近藤のおじいちゃん、将棋が好きらしく、将棋の駒を贈ったらしいです」
ケンジの母親が鼻で笑った。
「もちろん、その駒は天童市の駒だよね」
「は?」
「その辺の安物を贈ったんじゃないよね」
「いや、その、それは・・・・・・」
「調べてな、もし安物だったら、天童市の駒を贈りな。もちろん、『東婦人会』って熨斗紙付けなよ」
と言いながら、腕を組んで肩をいからし、ニシダの方を見る。

 シンドウは「ヘイ」と返事をしてから、「ひっひっひ」と卑屈でいやらしい笑い方をした。ケンジの母親の格好は農作業のときのものだ。モンペのようなズボンに割烹着のような上着。顔には白い手ぬぐいをまいて、キャディさんのようなツバ広の帽子を被っている。手ぬぐいの巻き方が平安時代の僧兵のようだった。もともと細い身体であるが、着ぶくれしているので武蔵坊弁慶に見える。

 一方そう言われたニシダは、同じような格好であるが、それでも細く見える。眉毛を剃りすぎているので平安貴族に見える。モンペのせいだろう。あれで薄衣でも被って、笛でも持てば牛若丸である。ニシダは涼しげな顔でギンナンを拾い続けているが、こめかみに血管が浮いている。

 それにしても、近藤のおじいちゃん、将棋好きなのだから、盤も駒も持っているだろう。そこに二組も将棋の駒が来て、さぞ面食らうだろう。馬鹿な見栄だ。それにしてもシンドウはよく調べた。揉めてるのはアタマだけか。


 横で寝ていたマルスの頭が不意にむくっと起き上がった。男の子の遊ぶ絨毯の辺りに何かいたのか、マルスはキッと顔を上げ、その何かを睨み付けた。そして目標を定めて、上体を沈め、尻を突き出して、飛びつく構えをした。そのまま尻を左右にプルプルプルと細かく振った。

 マルスの様子に気づき、興味を持ったのか、男の子がこちらに近寄ってくる。と同時に、マルスが黄色い絨毯に向かって飛び込んだ。男の子の足下に向かって、マルスが葉っぱを集めていった。それはブルドーザーが砂を集めているようだった。葉っぱがなくなった下に、大量のギンナンが現れた。

 反射神経で周囲にいたおばちゃん二人がギンナンを拾おうとする。その勢いに気圧されて男の子がひっくり返り、泣き始めた。
「止めな」

 ニシダとケンジの母親が同時に叫ぶ。

 おばちゃんたちはペコペコしながら、よそへ行ってギンナン拾いを止める。
スマホに夢中だったママよりも早く、二人が男の子を助け上げる。立たせて、ジーンズについたゴミを払ってあげた。弁慶は「びっくりしたね」と宥めながら、頭を撫でた。

 ママは呆気にとられている。

 「アンタ、何やってるのよ」

 美人だが、険のある顔に最大限に不快という意思を浮かべて、ニシダはママを睨み付ける。その迫力にママは思わずのけぞる。

 「アンタの子どもでしょ。あんた最近越してきたのね。調子に乗ってると、ここいらに住めなくなるよ」

 弁慶は仁王立ちをしている。

 マンション建設ブームの頃、大量のマンションが神社の周りに建ち、新住民が大量に入居した。ママと男の子はそんな人々なのだろう。

 ママは男の子を小脇に抱えて、血相を変えて走り去ろうとした。「すいませんでした。すいませんでした」と頭を何度も下げていた。

 「かわいそう」

 そんな姿を見ていて、つい口をついて出てしまった。

 「何、コウスケくん、文句あんの」

 弁慶ことケンジの母親が言う。

 「ああいうのはね、言ってあげなきゃいけないの。自治会とか地域の活動にも参加していない人たちっていうのはね、どっか観光客気分なんだよ。目的があって、目的だけを満たすだけにやってきて、何も貢献しないで去って行く。もちろん、あの子が小学校に入ったときには小学校関連のことをするんだろうけど、地域に貢献しているという意識じゃないし、子どもが卒業すれば、やっぱりそういう作業に参加することもなくなる。
あそこ見てみて」

 ケンジの母親が指を指した方向には市の分庁舎があって、分庁舎には託児所が併設されていた。託児所の線路側にはブランコや滑り台などの遊具があって、子どもたちが遊んでいた。ちょうど先ほどの男の子と同じくらいの子どももいて、遊具の外でお母さんたちが話していた。

 「入っていけないのよね。きっかけをあげたんだけどね」

 とニシダが言った。

 「怖すぎるわ」

 とボクは突っ込んでしまった。

 お母さんたちに入っていけないママが打ち解けるきっかけになるには、二人の女傑は迫力がありすぎた。

 「あと、仲良いのね」

 と呆れてボクが言うと、二人はお互いに一瞥して、それぞれの群れへと帰って行った。


 ギンナン拾いが終わり、最後に計量する。その前に、銀杏の葉っぱをキレイに掃く。本来は掃き掃除が東西婦人会のもともとの目的だ。その余興のはずだがそっちがメインの行事になってしまった。

 駅前から本殿に向かって、二十人の婦人会の面々は竹箒で葉っぱを集めていく。枯れ葉の山がいくつかできあがる。もちろん、東西の婦人会で別々の山を作る。その枯れ葉の山を一つずつ回って、ボクは燃えるゴミの袋にそれを入れていく。すると山と山の間、参道を叩くカンカンという音が響いてきた。

 振り返ると、小柄な老人が杖をつきながら歩いてきた。白い杖、つまり目が不自由なおじいちゃんだ。おじいちゃんは色の濃いサングラスをしている。少し微笑んでいるようにも見える。

 「まずい、市だ」

 「イチ?」

 「そう。なんか気配を感じると『あぶない』って言って、あの杖をぶん回しちゃうんだよ。全然危なくないんだけどね。でも目が見えないだろ。だから、『危なくない』ってことも教えられないんだよ。だから、ここいらの子どもが『座頭市』ってふざけて呼んでるんだよ。なにもなければ、そのまま行っちゃうから、コウスケくんも黙っときな」

 なんだかわからないけれども、見てもいけないような気がして、屈んだまま顔を伏せて行き過ぎるのを待った。

 ――カンカンカン・・・・・・。

 背後をゆっくりと市が歩いて行く。屈んだまま背後を過ぎる市の足下を見る。するとその先に何も気づかずに手で葉っぱを燃えるゴミの袋に入れているおばちゃんがいるのが見えた。

 「あ、ヨシノさんだ。イヤホンしてる。こんなときまで」

 ヨシノとは、東の婦人会の一員である。なんだかんだ言い訳をして婦人会の仕事をさぼろうとする人らしい。出てきても自分の意見は強く主張するし、今みたいに、「私はあなたたちとは違うの。だから話しかけないで」アピールをイヤホンでする。

 市が目の前にしゃがんでいるヨシノさんに気づいたらしく、歩みが止まった。

 「あぶねえじゃねえか」

 と言って、杖を逆手に持ったまま振り回した。目の前で振るから、ヨシノさんには当たらなかった。しかし、そのまま垂直に突き立てようと杖を振りかぶった。刹那、横からケンジの母が走った。持っていた竹箒で、振りかぶった市の拳を受け止めた。同じく飛び出していたニシダがヨシノさんを突き飛ばした。

 「ひい」

と叫びながら、ヨシノさんはコロコロ転がって、枯れ葉の山にぶつかって止まった。バックドロップされた後みたいな格好で止まっている。

 「ほらおじいちゃん危ないよ」

とケンジのお母さんとニシダの二人でやさしく宥めた。

 呆気にとられて様子を見ていた。そして内心「仲良いじゃん」と呟いた。するとシンドウがいつの間にかボクの脇にやってきてささやいた。

 「あの二人、もともと中学、高校まで同級生で、ソフトボール部のピッチャーとキャッチャーらしいです。仲良いんです。ところが、婦人会に入るようになってから、仲が悪くなったんですよね」

 ふうん、と返事をした。納得はしていなかったけど。


 最後、拾ったギンナンを計量した。
 東西ぴったり同じ重さだった。

ーー了ーー(四九九四文字)

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