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仏教に学ぶ生き方、考え方「泡とバブル」

 今日はまた「真夏」に戻ったような蒸し暑い一日です。

 午前の法要では汗が「額や背中」を流れるくらいでした。

 ても「手洗い洗濯」と「水シャワー」には最高の日和です。

 石鹸で泡だらけにして「シャワー水」で勢いよく流したり、洗剤の泡で「バブル洗浄」をしたりするときは、汚れがさっぱりして気持ちいいものです。

 泡は汚れを落としてくれるありがたい存在ですが、同時に「儚い存在」でもあります。

 汚れを落とした泡は、すぐに水に流され「消えて」しまいます。

 方丈記を記した鴨長明は、その序文で人の命を水面に浮かぶ「泡のよう」だと例えました。

 大きさや長さの違いこそあれ、やがては流されて消えゆくものだと例えられたのです。

 私は泡でありバブルであり、ふわふわと得体のしれないものに浮かんで流れていくものである。

 それを自然に思い起こさせてくれるものは「法要」であり、「仏の教え」だと感じております。


☆今日の一句☆

 我が命
   泡とバブルで
        包まれて

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