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ほとけさまのおしえ「マルハラ」

 Z世代や十代のやり取りには、文末に「。」を付けないそうです。

 当たり前のように文末に「。」を付けてきた世代には、なんとも「キレが悪い」感じがします。

 付けないと文の終わりが意識できず、もしかしたら「あまり文章を書くのが得意ではないのかな?」と逆に思ってしまいます。

 でも若い世代は「。」に威圧感や冷たさを感じるようです。

 まさか令和のこの世になって、句読点にも「気を使わなくてはならない」時代になろうとは思いもよりませんでした。

 でも実は私はそれほど「違和感」がありません。

 それはなぜかと言うと、お勤めの最後に拝読させていただく「御書」には句読点がついていないのです。

 漢字と片仮名で書かれ、なおかつ句読点がないので、「暗記するほどに」読み込んでいないと、言葉の区切りがわからなくなってしまいます。

 大谷派や西本願寺派では蓮如上人の「御文章」が詠まれますが、たぶん句読点はついていないと思います。(違っていたらすみません)

 実は句読点が一般的に使われるようになったのは「明治時代」からと言われております。

 それまでの「音読」に代わって、「黙読」をするようになって、区切りをより「はっきりさせる」ためにつけられたそうです。

 そして告別式の後に渡される御礼状にも、句読点をつけません。

 区切るということが「縁を切る」ことにつながるという「いわれ」があるそうです。

 そんなことで、Z世代は日本語のあるべき姿に「原点回帰」をしているのかもしれません。

 そして御書や御文章を原文のまま、スラスラ読める若者も増えてきてくれたら嬉しいのです。


☆今日の一句☆

 句読点
   なしを受け入れ
         偈文読む

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