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仏教に学ぶ生き方、考え方「救ってあげるのではないということ」

 阿弥陀如来様は私たちが生まれる遥か前から、私たちが数多くの煩悩に苛まれ、その結果悲しみや苦しみを抱くであろうことを「知って」おられました。

 なのでそういう凡夫のために「四十八の願い」を建てられました。

 その一つひとつは、ただただ私たちを「救いたい」という願いから発せられたものです。

 ここで、阿弥陀如来様は「救う」ということをどのような心持ちで抱かれたのでしょう?

 私も知り合いが悲しんだり苦しんだりしていたら、なんとか「心が軽くなるように」と思います。

 それは救いたいという想いになりますが、その中に「救ってあげる」という心持ちを抱くものです。

 つまり、こちらはそれほど困っていないから、困っている人に「同情して」救ってあげるという気持ちを持ってしまいます。

 でも阿弥陀如来様は実はもっと深い「慈悲の心」でお救いいただいているのです。

 それをあえて言葉にするなら、「どうぞあなたさまを救わせていただきたいのです」と言っていただいているようなものだと思います。

 つまり上から手を差し伸べて引き上げるのではなく、一緒に横にいて抱き上げて「救わせていただく」ようなイメージでしょうか?

 それは私たちが命あるときも、命尽きるときでも同じように向けられているのだと思います。

 そしてそういう心持ちでいていただけるからこそ、私たちはすべてを「お任せ」できるのです。


☆今日の一句☆

 救わせて
    ほしいと願われ
          任さるる


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