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0. その男、考える無鉄砲につき

noteをご覧の皆様、Guten Tag!

ドイツ・Stuttgartでアイスホッケーをしている込山優(こみやま まさる)と申します。
COVID-19に世界中が揺れ動く中、就業時間の変更や短縮に伴い、自分を見つめ直す時間が増えたので、これまで僕自身が体験してきた事を著名人や有名なアニメ・漫画の名言などとリンクさせ、noteに書いていこうと思います。不定期な更新になりますが、皆様がサラッと読めるような形で書けていけたら…と思っています。
その前に、まずは僕自身の事を知って頂ければと思います。

生まれも育ちも東京

最初に簡単な生い立ちを。

1989年10月9日:東京都港区の山王病院で込山家の次男として誕生。
1996~2002:港区立青南小学校
2002~2005:慶應義塾中等部
2005~2008:慶應義塾高等学校
2008~2012:慶應義塾大学理工学部機械工学科
2012~2015(10月):東京食品機械株式会社
2015(10月)~2016(6月):Stuttgart Rebels所属、日本料理屋でアルバイト
2016(6月~10月):日本に一時帰国、複数店舗でアルバイト
2016(10月)~現在まで:Stuttgart Rebels再登録、スポンサー企業で機械エンジニアとして正社員勤務

世間一般で言われる、いわゆるエリート街道を幸いにも進めた。
だが、アイスホッケーが好き過ぎて、安定していただろう道を断ち、ドイツに飛び出した。2015年夏に現在も所属しているチームのトライアウトがあったのだが、日本を出て1週間後に会社へ退職届を出しに行った。この話は内容が盛り沢山なので、別の機会に書こうと思います。

アイスホッケーとの出会い

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では、そんなに魅了されたアイスホッケーとはどこで知って、いつ始めたのか。

アイスホッケーを始めたのは、慶應義塾高等学校(以下、塾高)に入学した時。つまり、15歳ちょいで始めたのだ。それまでは、小学校でスイミングスクールに通っていたり、中学3年間ラグビー部でプレーをしていた。少し特殊なものとしては、学童クラブで小1から中3までの9年間、ローラースケートを履いた『ローラーホッケー』をしていたぐらいだろうか。

ただ、僕にとってアイスホッケーはとても身近なスポーツだった。2歳年上の兄が塾高でアイスホッケーを始め、試合にも何度か観に行ったことがあった。観に行った試合でゴールを決めた兄は、とても輝いて見えた。
それだけではない。中学の同級生やラグビー部の後輩、さらには小学校の同級生にもアイスホッケーをしている友達がいたのだ。自分の周りでアイスホッケーをしている人がこんなにも多かった。

アイスホッケーって、こんなにも面白いんだ。

高校に内部進学する際に、ラグビーを続けるか、他の競技に転向するか悩んでいた僕は、兄と同じアイスホッケーを選んだ。そこからアイスホッケーの魅力に取り込まれた。

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氷上で走るスピード、スティックハンドリングで相手をかわす技術、豪快なシュート、激しいコンタクトプレー…自分が体験してこなかったスポーツに出会い、もっと上手くなりたいと感じた。
高校生ということもあり、社会人や大学・大学同好会などの深夜練習にも参加させてもらえた。そこで知り合った方とは、いまだにお話しする機会がある。人とつながることを教えてくれたのもアイスホッケーだった。

大学に内部進学した際も、兄が在籍していた大学體育會を迷わず選んだ。
兄弟を持っている方なら分かるかと思いますが、兄弟とは周りから必ず比較されるものである。当然、僕も兄と比較された。兄には運動センスがあり、スケーティングもキレイなフォームで速かった。自分にはないもので、羨ましかった。
ただ、兄はケガで悩まされた。膝の前十字靭帯を損傷し、復帰するまでに時間がかかった。手術もしたが、膝にサポーターをしながらプレーをすることを余儀なくされた。その点でいえば、僕は大きなケガは一切していない。ケガをしない能力も大切だと感じた。

そこから社会人になってもアイスホッケーを続けた。
東京都の社会人リーグの強豪:三井物産に入部。就職先は全く三井財閥とは関係ないが、OBがたくさんいたこともあり、そこでさらに上のレベルを目指し、練習や試合を重ねた。

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東京都の社会人リーグで優勝したことも、全日本社会人リーグに出場したことも、とても良い経験だった。お手本となるようなチームメイトや上手い敵選手とプレー出来て、とても刺激的だった。
だが、もっと上のレベルでやってみたいとも思っていた。

なぜ『考える無鉄砲』なのか

さて、タイトルで書いた『考える無鉄砲』。無鉄砲とは広辞苑にこう書かれている。

無手っ法
理非や前後を顧みず、むやみに事をすること。むこうみず。あとさきみず。無鉄砲。(広辞苑 第六版より)

後先考えずに行動することやそのありさまを表現した単語だ。
でも『考える』ことをするのでは、『無鉄砲』にはならないのではないか。
僕の場合、『考える』ことよりも先に『行動』してしまうことが多い。別にむやみやたらにやるわけでもないし、行動の先に起こりえるだろうことも考えている。だが、それ以上にワクワクする方が上回り、アクションが先になってしまうのだ。
小学校の時の担任にこう言われたことがある。

「あなたは考えることよりも先に、行動をしてしまっている。
一度立ち止まって、よく考えて、それから行動しなさい。」

今でも時々思い出す、この言葉。
人生の先輩でもある担任の言葉は、今でも心に響く。小学生の時から『考える』よりも先に『行動』していた。もはや才能としか言いようがない(笑)
もしも、この言葉通りに行動していたら、もっと違う人生になっていたと思う。今頃、安定した会社でアイスホッケーを楽しんでいたかもしれない。

だが、残念ながらそうはならなかった。

僕はアイスホッケーをする為に仕事を辞めた。そして今、ドイツでアイスホッケーをしている。『行動』が先だったことは間違いないだろう。もちろん、日本での仕事も楽しかったし、社会人リーグで上手くなることは出来ただろう。それでも、なぜ海外に飛び出したのか。答えはシンプルだ。

海外でアイスホッケーをしてみたい。
そして、もっと上のレベルの選手たちとプレーしてみたい。

もちろん、東京都の社会人リーグのレベルが低いという訳でもないし、日本各地にはレベルの高いリーグもあると思う。
ただ、それらのチームと数多く試合が出来ないのが現状だ。
試合と練習、両方がそれなりに無いと成長は出来ないと思っていた。それを実現するためには、海外のリーグ編成がしっかりしたとこでプレーするのが一番だと思った。そこからチームを探し、現在に至る訳だ。

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別にむやみやたらに行動しているわけではない。後先考えずに動いているわけでもない。色々考えながら、決断はしている。
ただ、その中で守っている決め事がある。

やらなかった後悔よりも、やってしまった後悔を選べ。
やってしまった後悔は笑い話に出来るが、やらなかった後悔は墓場まで持っていく事になる。
その選択が正しいかどうかなんて今は分からない。ただ、『正しかった』と証明することは出来る。

自分の中で何かに迷った時にいつも問いかける言葉だ。
この言葉のおかげで、自分のやり遂げたい事への決断がすぐに出来る。
それが他の人よりも早いから『行動』が早く見えていたのだろう。(と、信じたい。)
他の人からは『無鉄砲(無手っ法)』に見えても、本人は『考える』思考を止めてはいない。だから、『考える無鉄砲』と表記した。

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最後に

簡単な自己紹介のつもりが、思った以上に書いてしまいましたね…
400字詰め原稿用紙なら約8枚分…これは書き過ぎですね(笑)
次回からは、もう少し読みやすいものに推敲して参ります。最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

Stuttgartより感謝を込めて
込山優

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