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1. 腹にくくった“一本の槍”

世の中にはたくさんの言葉で溢れている。
著名人の言葉、偉人の言葉、漫画・アニメの主人公の言葉…
そんな中で共感した言葉を見つけることはあるだろう。今日はその中から、僕の人生を変える大一番での気持ちを表現してくれた言葉を紹介いたします。

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2015年8月26日18時過ぎ

良く晴れてた水曜日。真っ青な空が上に広がり、夏の日差しが照り付けていた。そんな中、僕はバスから降りてスケートリンクに向かって歩いていた。
そう、これからトライアウト(チームへの入団試験)を受けに行くのだ。

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それは遡ること約2ヵ月前

2014年に参加したホッケーキャンプで知り合ったエージェントと海外リーグについて渋谷のコーヒー店で話していた。元々海外リーグへの挑戦は考えていたが、踏み出す一歩が出なかった。
それらも含め、エージェントの人に相談していた。当時25歳の僕は、自分の人生も考えた上で「今がラストチャンスになるかもしれない」と思い、各国のリーグでトライアウトをしているチームを探し始めることにした。

その後、トライアウトをしているチームを見つけ、そこにコンタクトを取った。それが8月5日。トライアウトの3週間前だ。その日のうちに当時のコーチにトライアウトを受ける旨を伝え、それに向けて準備に入った。

会社に有給休暇と代休を申請。4日間の休みを貰うことが出来た。そして、航空券とホテルを予約した。8月18日。日本を出国する1週間前だ。
もちろん、仕事も並行しながらこれらの事を進めていた。専門商社の営業として、客先に商談をしに行ったり、トラブル対応の為に現場入りしたりと、全国を飛び回った。

8月24日(月)
いつも通り仕事を終えた後、仲の良かった課長にだけトライアウトを受けに行くことを話した。新卒時代から席が隣で、よく客先にも連れて行ってくれた課長。話を聞き終わった後、「分かった。とりあえず、思いっきりやってこい。」と言われた。
その日の夜、両親に「優、この休みは何しに行くの?」と聞かれ、トライアウトに行くことをここで初めて伝えた。当然、両親からこの件について言及された。両親はもちろん反対したが、出発前日ということもあり、帰国後に話し合う事となった。

8月25日(火)
渋谷から成田空港行きの電車を待った。そのホームで高校の同級生に遭遇。二人して驚いたが、彼にトライアウトの話をしたら、さらに驚いていた。車内では、お互いの仕事の話や高校の思い出話で盛り上がった。

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空港で彼と分かれ、いざStuttgartへ。
イスタンブール経由で到着するも、ホッケーのスティックがロストバゲージを食らうというトラブルに。幸いにも翌日の便で届くことが分かり、一安心したが、Stuttgartについたのが深夜だったこともあり、本当に届くのか、手元に来るまで不安だった…。

8月26日(水)
ホテルで朝食を食べた後、空港にスティックを取りに向かう。

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書類の手続きをして、無事に手元に戻ってきた。これで自分の道具が揃った。トライアウトまで時間があったので、ホテルの近くを軽くランニング。長閑な街並み。日差しは強いが、涼しい風が吹き抜ける。走っていてとても心地良かった。

トライアウトへ

スケートリンクの近くまで出ているバスに乗り、いざ出発。
ホテルのスタッフから貰った地図と路線図を片手に、一人でバスに乗る。海外で一人で行動することなど今までなかったので、不安もあった。だが、それ以上にワクワクが止まらなかった。

だが、思った以上にバス停からリンクまで距離があった。
夏のドイツは日本と比べて涼しいが、それでも日陰のない道を長く歩くには少し暑かった。リンクに早めに到着したので、近くのバーで飯を食った。

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「他のお客が奢ってくれるけど、君も飲むかい?」と、シナップスという度数の強い酒を勧められたが、さすがに断った。これから自分の人生を賭けた大一番という場面に、これぽっちも酒は要らない。

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トライアウトは、チーム練習にトライアウト選手たちが混ざり、スケーティングやパスメニューなどをした後、紅白戦を行った。

希望ポジションはセンターFWとして話していたので、そのポジションでプレーすることに。即席チームだが、コミュニケーションする事に躊躇は無かった。
プレーする上で味方を知るのは大切なこと。苦手な英語を駆使しながら、常に声をかけた。(そこで一緒にプレーをしていた一人が今のセカンドチームのコーチだった。今思えば、すごいタイミングで出会っていたのだ。)

試合は一進一退の攻防を繰り返していたが、その中で自分らしいプレーもしっかり出せたし、得点チャンスを作ることも出来た。100点満点とは言えないが、ベストは尽くしたので、これで落とされるのなら良いと思った。

そしてトライアウト終了後、各選手はコーチに別室に呼ばれた。
その場で合否を言い渡され、どうするか決めるといった感じだ。僕の結果はこうだった。

「プレーは良かった。だが、トップチームは外国人枠の関係でプレー出来ないかもしれない。でも、セカンドチームなら外国人も少ないからプレーできる。場合によっては、トップチームへ招集することもある。」

一生に一度あるかないかのチャンスが目の前にやってきた。僕は即答した。

「分かりました。じゃあ、僕はここでプレーします。」

すでに僕は決めていたのだろう。
目の前のチャンスがあるならば、それを拾う。
その気持ちが無ければ、即答はしなかったはずだ。コーチとその後の手続きについて話した。夜遅かったこともあり、チームスタッフにホテルまで送ってもらった。

帰国し、両親を説得。そして、会社へ

翌日27日の夕方の便で帰国予定だったので、市内を少し観光することに。

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ワインフェスタをやっていたこともあり、街はだいぶ賑わっていた。だが、僕はワインが苦手なので、この日はただただ街の中を歩いた。

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そして飛行機に乗り、帰国。

28日(金)の夕方に成田空港に到着し、その日の夜に両親にトライアウトの結果とドイツでプレーすることを報告した。案の定反対されたが、僕はすでに『腹にくくった“一本の槍”』を持っていた。

「……全身に何百の武器を仕込んでも、腹にくくった“一本の槍”にゃ敵わねェこともある…。
生きるか死ぬかの海賊の戦場じゃあ一瞬でも死に臆した奴はモロくくずれる。少なくともあの小僧に、ためらいはない。
生きるための装備か…。……………。死を恐れぬ“信念”か…。」(赫足のゼフ)

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尾田栄一郎作 ONE PIECE(集英社):第65話『覚悟』より引用

なぜ、自分がトライアウトを受けたのか。
トライアウトを受けてまで、何をしたかったのか。

その答えはいたってシンプルだった。

海外でアイスホッケーがしたい

ただそれだけだった。その気持ちが揺らぐことはなく、自分の中で“一本の槍”となった。
両親を説得し、週明けの月曜日に会社へ退職届を出した。
課長からは「マジか…。」と一言。そりゃそうか。元気に出社していた社員が休暇明けに退職届を持ってきたのだから。だが、課長からは「応援しているから、中途半端な事はするなよ。」と声をかけてもらった。

自分一人の挑戦ではなく、応援してくれる人と共に挑戦するのだ。

そこから再出国までに、自分の持っていた案件の引き継ぎなどをした。
社会人4年目でそれなりに客先との繋がりを持っていたので、後輩を引き連れて、引き継ぎの挨拶回りをした。客先の方々から「込山さんには頑張ってほしいですね。」「大丈夫です、込山さんなら出来ますよ!」と、去り行く僕を応援してくれる声も頂いた。
技術者チームでお世話なった先輩からは「お前が辞めるのは悲しいが、同時にお前が夢を持って辞めるのだから、俺は嬉しいよ。」と言われ、泣きながらその言葉を受け取った。

自分一人が挑戦すると考えていた。だが、実際にはたくさんの人が応援してくれていたのだ。
一人ではなく、応援してくれる人と共に挑戦するのだ。


そう心の中で思い、自分の“覚悟”が大きくなり、曲げられない“信念”も強まった。中途半端な姿で会う事は出来ない。そこから僕は挑戦する事の本当の意義を知った。

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最後に

赫足のゼフのこのセリフは、これから何かに挑戦する人への問いかけでもあると思う。
『死を恐れぬ“信念”』とあるが、それは失敗や不安を恐れない覚悟とも捉えることができ、中途半端な覚悟では、その挑戦もモロく崩れるという事を表現しているようにも感じる。

もちろん、何か挑戦する際に、失敗や不安が無いという事はないと思う。しかし、挑戦する目的や意味がしっかりしていて、それが揺るがないものであれば、その人の挑戦は成し遂げられるだろう。それが『腹にくくった“一本の槍”』というものだろう。

僕は、自分が海外挑戦する事を周りから笑われました。
「お前なんかが海外でプレーなんて出来ないだろ。」と。
気にしなかった訳ではありません。でも、その時にこう思ったのです。
「いつか見返してやるよ。そんな事は二度と言わせない。」


今はそんな事を言う人は見かけません。
だって、ドイツのリーグに挑戦してから、もう6シーズン目に突入したのですから。挑戦してみなければ、何が起こるかなんて分かりません。
でも、一つ言えることは、挑戦しなければ何も起きないという事。
これから何かに挑戦する人には、挑戦する事を誰よりも楽しんでほしい。そして自分の起こしたアクションに自信を持ってほしい。その時点で、他の誰よりも挑戦しているのだから。

Stuttgartより応援を込めて
込山優

ここでサポートして頂いたものは、ドイツでのジュニア指導ならびに選手としての活動費として使わせて頂きます。 皆様からのサポートに応えられるように、日々精進して参りますので、よろしくお願いいたします。