マサルさん

こんにちは、俺です。自分の半生の記録をどこかに残しておこうかな~って思いましてnote…

マサルさん

こんにちは、俺です。自分の半生の記録をどこかに残しておこうかな~って思いましてnote始めてみました。あくまで自分のために作っているので有償化等は考えてません

最近の記事

デジャヴ

ちょっと休んでたので連投します。 こんにちは、俺です。 会社もつつがなく進んでいたある日。 うちのメンバーの中で酒飲みながら話していた時にキャバクラの話になりました。 まぁみんな好きなんですよ。で、勝手に飲みに行っておりまして、こっちはそれどころじゃないし、キャバクラくらいならって思って何も言わなかったんですよね(この頃、俺は地元のスナックや居酒屋で飲んでいたんですけど、1軒辺り3000円とかだから別に領収書とかはもらってなかったんですよね:つまり自腹で飲んでいる)

    • 引き抜き工作

      新年度に入りましてやっと次のタスクが決まり、ちょっとだけ忙しくなりました。 社内ニートってヤバ過ぎるw こんにちは、俺です。 さて、新たな会社が立ち上がり登記作業なんかを手伝いながら(自分の会社なので定款とか作る必要あるんですよね)、一緒にやるためのスタッフを探すことにしました。 とはいえ、学生からあがってすぐの身ですから、業界に知り合いなんかはほとんど居ないので、自分の専門学校時の同級生とか1こ上の先輩とかを伝手にしました。 とはいえ、同級生は社会人になって数年。学

      • 4月1日

        Twitter見ていてAFって書いてあるのを見て、風俗かよっ!って思った俺はオッサンです。 こんにちは、俺です。 今時の若い人達は、AF=エイプリルフールなんですね。 風俗のオプションではないんですね・・・今時の人達はあまり風俗行かないからかな~・・・。 あ、俺も風俗苦手です。 さて、4月1日 【令和(れいわ)】と元号が発表されましたね。 個人的には響きも日本的で良いし、違和感も少ない名称なのでいいかな~って思っています。 いやいや、入社式の話です。もうね。4月1日に

        • 復活の兆し

          花見の季節になりましたね。今週は3分咲き位で気温落ちてくれましたので今週末まで花は持ちそうでなりよりですw   こんにちは、俺です。   完全に色んなものを失った俺。   でも食わないと死ぬって思ってたんですよ。で、仕事も続いていたので辞める訳にも行かないっていう日々に打開策を見出そうとあがいておりました。 そんな時、ひとりの社長が声かけてくれました。 自分に改修案件の直接オファーがあったんですけど口座開くのに会社機能してないので困ったなーって思っていた時に連絡ありま

          清貧の生活

          こんにちは、俺です。 貧乏時代に生み出したエンゲル係数を下げる方法。 今や100均が大量にあって多少の貧乏なら100均ベースで揃えていれば何とかなる便利な時代になりました。 でも、100均って商品は100円で安そうにみえるんですけど、1品ずつ他のスーパーとかと比べると高くつくものがあったりするので、実際食費が削れなかったりすることがあります。 特に食品は100均ベースで仕入れるよりは、何軒かのスーパーや八百屋、肉屋とか回った方が1回当たりの食費は安くなるんですよね。 冷

          清貧の生活

          金言

          こんにちは、俺です。 緩和休題です(この先まだまだ波乱万丈のエピソード満載なのでw)。 俺が心にずっと留めている言葉があります。 金言とでも言うんですかね? 【もしも昔を語るなら   あぁあの頃も良かったと    今を含めて誇れるような     自分でいたいと思います】 ボンボャージュの一節です。 これ見た瞬間にグッときたんですよね。 あぁ確かにっていうか、自分の人生を振り返った時に。 よくいるオジサン達が言うセリフだと、 「バブルの頃は良かった」とか 「昔はこ

          波乱の始まり

          こんにちは、俺です。 さて、順調(順風)に走っていた会社なのですが、資金繰りがキツくなってきます。 コンピューターって今じゃ稼働の月締めで工数ってのが普通なんですけど、昔は納品単位(期間毎の中間納品や検収完了タイミング)での支払いでした。 当時は下請け法も無かったので、通常の会社(零細に優しい会社)なら、末締め翌末、末締め45日ってのが多かったんですね。 そうなると、納品タイミングから換算すると入金までが4か月とか半年とかざらだったんですよね。 資本金も1000万しか

          波乱の始まり

          缶詰

          土日はゆっくりしておりまして、久しぶりにゲーム三昧でした。 こんにちは、俺です。 缶詰の話。 缶詰とはいってもシーチキンとかじゃありません。 コンピューターに携わったことがあるロートル(40代以上)なら分かると思うんですが、仕事が終わるまで(プログラムが組み終わるまで)事務所やどこかに軟禁されることですw これを通称:缶詰と言います。 最近は労基やら働き方改革やら下請法やらでこんなのやったらハラスメントで訴えられますが、昔は普通(恒例)の納品前の行事でした・・・。

          バネの気持ち

          こんにちは、俺です。 エンジニア(当時はマルチメディアのオーサリング中心に制作していました)で切磋琢磨していた時の話。 あるプロダクションに月給148500円で雇われておりました。 そこはSONYのPC1号機にゲームを下ろしていたり、日本は初めてUNIXマシンとC言語を持ち込んでいた制作プロダクションです。 社長含めて従業員は5名。エンジニアは俺だけです。師匠がいたんですけどその人は食えないと言って他の会社で働きながらそこの手伝いしておりました。 師匠は当時C言語のエ

          バネの気持ち

          人生の転機

          こんにちは、俺です。 スキの評価いただきましてありがとうございます。 つたない文章ですが、自分の半生をノンフィクション(昔の事なのでうる覚えのとこは誇張表現あるかもしれません)を綴っていきたいなと思います。 今後とも宜しくお願いします。 さて、スナックのチーフも板についてきて順調な日々。ある時ママからこんな提案がありました。 チーフさ、この店買わない?? チーフならできると思うのよね。あたしも疲れてきたから任せられるなら任せたいんだけど、どう? ちなみにママ、店売るっ

          人生の転機

          昔の傷

          こんにちは、俺です。 当時地場のスナックを10軒くらいですかね。飲み歩いていたの。 夜になって帰ると帰り道のネオンに惹かれるんですよ。 で、財布確認して5000円持ってればレッツゴー!って感じです。   でね。当時、スナックがほぼ全て終わった後に空いている中華料理屋があって、そこに各店の店員やマスター、チーフなんかが仕事帰りで集まるんです。 店に入ると、お、俺くんお疲れー!ってみんな色んな酒飲みながら迎えてくれるんですよね。 あ、この時プログラマーやってたんですけど、ホ

          淫靡なスナック

          こんにちは、俺です。 キャバクラにも飽きてきて(この後、歌舞伎町っていうステージに替わると復活しますがw)、当時一緒に働いていたミュージシャン崩れのオジサンに連れられてスナックの扉を開けました。 スナックって店内が見えないので、ホント入りずらいんですよね。 当時キャバクラの煌々とした照明の階段を一人で入っていけた若者もちょっと間口が薄暗く、扉越しに響く演歌や歌謡曲の1枚の扉を開けるのって凄い勇者感やインディージョーンズの気持ちになっていたんですよ。 で入ると、薄暗いし

          淫靡なスナック

          魅惑のキャバクラ

          こんにちは、俺です。 めでたく学生時代の終盤でヲタクを卒業しました。 そしたら凄く時間が余るんですよ。何せやらなくてはならない可処分時間が削減されましたから、バイトもこの頃は順調で、メインは映像撮影&編集、休日の人手が足らない時には電化製品の納品、設置やってました。 SONYの代理店でアルバイトしてまして、その店舗では業務用の映像編集スタジオをショールーム兼で保持しておりました。特機と呼ばれる準業務機を備えておりまして、来るお客もAVオタク系の人が大半でした。 この8mm

          魅惑のキャバクラ

          そりゃもうヲタ一直線でしたよ。

          こんにちは、オレです。 晴て専門学校特待生となった自分ですが、これからは趣味がそのまま学業となる訳ですよ。 それもその前5年位PC触ってますし、ほぼ無敵って思ってましたよ。 登校初日、大量の新入学の生徒さんが集まる中、自分も居ました。 でも、その95%くらいは2年制の生徒です。そっちのクラスは8だったか9クラスくらいあったかな~(あ、私第2次ベビーブーム頂点くらいの生まれですので、小学校の時も1クラス48名で12クラスあったんですよね。なので当然、入学、卒業の時にも凄い生

          そりゃもうヲタ一直線でしたよ。

          小学生の頃からパソコンヲタクでした

          こんにちは、オレです。 コンピュータ(PC)に初めて触ったのは小学6年生の春休みだったと思います(明けたら中学1年生)。 団地住まいだった隣の同級生がある日、凄く楽しいところがあるので一緒に行こうよって誘われまして、自転車で向かってみたのが駅前にある雑居ビルでした。 中は凄く薄暗く、怖かったイメージがあります。 その2階に煌々と光るガラスケースにPCがズラリと並んだパソコンショップがありました。 ここから自分の人生が始まりました。 最初は人のやるのを見るだけだったのです

          小学生の頃からパソコンヲタクでした

          健康体なのに1級障碍者になりました・・・

          さて、タイトルの通りです。 私、46歳の時に1級障碍者になりました。見た目は健常者の方となんら変わりません。 運動もやるし、趣味でサバゲーもやって日がな1日野原を駆けずり回っていたり、毎日立ち飲み屋で酒飲んで、カラオケスナックでカラオケしています。 商売はITをやっておりまして、趣味から初めてもう35年以上になります。 こんな私ですが、若かりし日々からの無理が祟って今の身体になってしまったと思っていました。20代前半で会社を経営する羽目になり、当時秋葉原(末広町)の雑居

          健康体なのに1級障碍者になりました・・・